神戸市はいかにして「衰退都市」となったのか

 神戸の人口減少が止まらず、ついに150万人の大台を割り込むことになった。

 かつて神戸は、世界有数の貿易港として栄え、昭和の初期には東京、大阪に次ぐ、国内第3位の人口を誇った。今では、福岡市、川崎市にも相次いで逆転され、全国第7位にまで順位を下げている。

 人口減少に歯止めがかからず、もはや「衰退」という二文字が目の前に突きつけられている。

 神戸はもはや、この頽勢(たいせい)を挽回することはできないのだろうか?

 

 この問題を考えるにあたって、逆に、なぜ神戸はこれまで大都市足り得たのかを考えることが、解決のヒントを与えてくれるかもしれない。

 

1 神戸はいかにして大都市となったのか

 神戸港は1868年1月1日に開港した。その直後の1月27日には鳥羽伏見の戦いが勃発し、時代は江戸から明治に移ることになる。神戸はまさに、時代の大きな転換点に誕生した。

 神戸が開港場として選ばれたのは、大坂が河川の影響で水深が浅く大型船舶が停泊するのに適していなかったのに対し、水深が深く、近代の大型船が停泊するのに適する「天然の良港」であったからである。神戸に対する人々の期待は大きく、神戸は大坂の影響から免れるよう、明治政府の意向により摂津の国から切り離され、兵庫県県都として発展していくことになる。

 当時、海外と国内の「気圧差」は現代とは比較にならず、それは猛烈な上昇気流を生み出し、すさまじい求心力を発揮した。当時、交通の主力は水運で、神戸は水路を通じて日本中と交通を通じることができた。山が迫り平地の少ない地形は、すべての交通を神戸に集める要因となり、陸路でも、山陽道西国街道を起源とする国道2号線が神戸と西日本の主要都市とを結んだ。明治7年(1874年)に大阪=神戸間に鉄道が開通し、やがて東海道本線山陽本線の起点となり、まさに我が国の国際・国内交通の中心地となった。さらに、日清、日露戦争を経て、わが国の海外植民地への交通の中心地としても発展していった。(先のNHKの朝の連続テレビ小説「らんまん」で、主人公が出身地の土佐から東京へ向かうのも、台湾へ植物調査に向かうのも、神戸を経由したのはそうした状況を物語っている。)

 神戸は世界的な港湾都市として、我が国の海、陸の国際・国内交通拠点を独占することになった。この頃に、神戸は人口が100万人を突破し、国内第3位の人口を有する大都市となって繁栄を極めた。それが昭和の初期である。現在の旧居留地界隈に残っている堂々たる石造りのビル群は、その当時のものである。

 

2 神戸はいかにして優位性を失ったのか

 ではどうやって、神戸はこの優位性の独占を失ったのだろうか?

 

 第二次世界大戦で神戸は他の大都市と同様、戦災により灰燼に帰するが、いったんは復興を遂げた。しかし、次第に神戸の繁栄には暗い影が差しはじめる。

 1945年の敗戦は、我が国は海外植民地を失うことになった。また、東西冷戦は大陸との交易を制約した。

 

 やがて、自動車が発達し、鉄道から道路の時代がやってきた。

1970年  西宮IC - 摩耶出入口間開通、名神高速道路と接続。月見山出入口で第二神明道路と直結

1983年 中国自動車道全線開通

1997年 山陽自動車道本線開通

 

 これまでは、すべての交通は必然的に神戸を経由する構造となっていたが、自動車交通は神戸を迂回する経路を開くことになった。中国自動車道は中国地方の内陸部を結び、神戸からはかなり隔たった場所を通って大阪と直接結ばれることとなった。さらに山陽自動車道は中国自動車道よりも南側を国土軸に連なる大都市を結ぶようにルートが選ばれたが、これも神戸付近で北側に大きく迂回して大阪と直接結びつけられることになった。一方、神戸を経由する大阪湾岸道路は西伸部が最近になってようやく建設がはじまったばかりで、全体計画の完成はいまだその時期も明らかになっていない。

 

1964年 東海道新幹線開通(東京ー新大阪)

1972年 山陽新幹線(新大阪-岡山)

1975年 山陽新幹線(岡山ー博多)

 

 新幹線の開通も、東京ー大阪間が先行し、神戸の東海道本線山陽本線の起点という輝かしい地位を事実上奪うことになった。

 神戸に新幹線が開通するのは、その8年後であったが、ターミナルではなく、停車駅としてであり、当初は通過列車もあるという、かつての輝かしい神戸には似つかわしくない扱いであった。しかも、中心部からは少し離れた新神戸駅は、大都市の新幹線駅で唯一在来線と接続していないという、交通拠点としては決定的な問題を抱えていた。

 これに対して、神戸市はどの程度の危機感をもって対応したのだろうか。

 このように、神戸は、国内交通の中心地から次第に周辺部に追いやられていった。

 

 また、航空機の発達は空の時代をもたらし、港の役割は相対的に低下して行った。

 そして、神戸の最大の悲劇は関西国際空港から切り離されたことであった。

1974年 関西国際空港 泉州沖に決定

1987年 関西国際空港着工

1994年 関西国際空港開港

 関西空港の開港により、伊丹空港からは国際線がすべて大阪南部に持ち去られ、神戸は国際的な交通拠点からも遠ざけられてしまった。これは国際都市として海外との交通を独占してきた神戸に致命的な影響を与えることになった。

 これまで神戸に置かれていた外国領事館が相次いで大阪に移転するのはこの時からである。

1985年 フランス領事館が大阪に移転

1987年 アメリカ領事館が大阪に移転

1993年 インド領事館が大阪に移転

 

 そして、最後にとどめを刺したのが、阪神・淡路大震災であった。

 

1995年 阪神・淡路大震災

 その被害の甚大さは説明を要しない。神戸港は使用不能に陥り、その間、整備が進められていた大阪港に機能がシフトしてしまった。

 

1995年 インドネシア、オランダ、 ドイツ、フィリピン領事館が大阪に移転

 震災を機に、相次いで、神戸にあった外国領事館は大阪に移転してしまった。

 現在、神戸に残っている外国領事館はパナマと韓国の2国のみである。

 

1998年 明石海峡大橋開通

 明石海峡大橋の開通は、フェリー航路の廃止につながり、瀬戸内海の海上交通は中心的な役割を失うこととなった。神戸は淡路、四国の玄関口にあたる場所に位置するが、明石海峡大橋から神戸の都心に向かう道路整備の遅れは、大阪に直結してしまう効果ももたらした。

 

2006年 神戸空港開港

 すさまじい逆風に耐えて、ようやく神戸空港が開港したが、神戸空港は、関西3空港懇談会の枠組みの中で徹底的な利用制限をかけられることになった。国際線の就航は禁じられ、運用は1日わずか30便の国内線のみに制限された。

 このように、かつては我が国の国際・国内交通を独占した神戸が、今ではどの地方空港でも国際線が就航し、インバウンドの外国人があふれているにもかかわらず、かえって外国人の姿を見ない一地方都市になりはててしまった。

 神戸はまるで経済制裁をされているような状況であった。もしも、このような経済制裁がこのまま続くならば、本当に神戸の都心は消滅し、大阪のベッドタウンの一つになってしまっていただろう。しかし、空港が民営化されたことにより、神戸空港規制緩和、国際化が実現されることになり、まさに「首の皮1枚」残ったというのが、現在の状況であろう。

 

 

 このように見てみると、神戸の衰退は果たして「自然現象」だったのだろうかという疑問が生じる。それとも、なんらかの人為的な作為の結果なのだろうか。

 結論としては、これらは、すべて都市間競争の結果なのではないかと筆者は考えている。つまりは、大阪との都市間競争の結果が今日の神戸の姿をもたらしたのである。

 神戸と大阪は常に綱引きを続けていた。その一つ一つの積み重ねの結果、現在の神戸と大阪の姿があるのだと考えられる。

 神戸と大阪は競合関係にあり、大阪にとっては神戸は常に目障りな存在であったに違いない。すべての交通を、大阪の手前に立ちはだかり、受け止めてしまう神戸をいかに迂回させるか、国際交易の中心地をいかに引き寄せるか、大阪側にこのような積年の念願があり、その念願を果たすべく、一貫して大阪が交通の中心地となるように交通優位性の獲得を実行していったのだ。その結果が今日の両都市の姿なのだ。

 この間、大阪自身も東京に対して大きく水を空けられ、その対抗策として大阪一極集中政策が取られた。その中で、いかに神戸の繁栄を大阪に吸収するかということはまさに現実的な課題であったに違いない。また、兵庫県が大坂から切り離されて誕生したという歴史的な背景も影響を与えているかもしれない。

 関西3空港問題は、その最も明瞭な事例なのであろう。こうした経過を見ると、明治政府が神戸を大坂から分離したのは、すでにそのような懸念を感じ取っていたからではないだろうか。まさに慧眼である。

 

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 ある意味、神戸ほど、巷間に誹謗中傷を浴びる都市はないのではないだろうか。神戸では、何か事を起こそうとすると、必ず大きな反対論が沸き起こる。かつて神戸市の都市経営が華やかなりし頃、神戸市は「開発行政」と激しい非難を受けた。しかし、振り返ってみて、神戸と大阪とを比較して、どちらを「開発行政」と呼ぶべきであろうか。神戸空港に対する非難が絶えないのは、それ単独の問題ではなく、こうした構造を背景として起きている事態の一環であると理解すべきなのではないか。筆者はかつて実際に、神戸の衰退を歓迎する発言をする人に出会ってびっくりしたことがある。

 

3 神戸復活のための方策

 では、神戸は都市の復活のため、どうすればよいのだろうか。

 それは、往年の西日本の交通中心地に返り咲くことである。具体的には、次の3つが柱となる。

(1)神戸空港国際化と一層の規制緩和

 神戸空港は2030年をめどに定期国際線が就航することになる。今後、中国、韓国、インド、インドネシア、タイ、ベトナムシンガポール、オーストラリア、ロシアなど、世界各国に路線網を構築すべきである。そしてさらに制限を緩和し、機能を拡張し、真の意味の「関西国際空港」の地位を不動のものとしなければならない。

 

(2)湾岸高速道路網の早期完成と長距離バス路線網の構築

 神戸を迂回する中国縦貫自動車道、山陽自動車道に代わる、神戸を経由する高速道路の早期実現が必要である。そして、全国各地とを結ぶ長距離バス路線網を構築するべきだ。

 

(※ 大阪湾岸道路の必要性についての資料)

大阪湾岸道路西伸部 (mlit.go.jp)

 

(3)交通結節点の強化

 新幹線が、在来交通と隔たった位置にある新神戸駅と神戸の都心、さらには神戸空港とを結びつけ、西日本の交通を束ねる巨大な交通結節点を作ることである。すなわち、新神戸ー三宮ー神戸空港のアクセス線の早期実現が必要である。この沿線上に、ビジネスセンターや集客施設文化施設を集中的に立地させ、自由に往来できる高度の機能性を持った都市空間を構築するべきだ。

 要するに、いかに、西日本最大の交通結節点を神戸の地に確立するかという視点で、知恵を絞らなければならない。この西日本最大の交通の結節点は、神戸の核心であり、生命線である。

 

 神戸を再び、西日本最大の交通拠点とする明確な目標をもって、営々と歩みを進めることが重要だ。こうした大構想を立て、それを弛むことなく着実に実現していくリーダーのリーダーシップが必要だ。

 

 交通の拠点は経済、文化の拠点でもある。経済、文化は交通に付いてくるものだ。決してその逆ではない。

 交通拠点の回復こそ、神戸が目指すべきものだ。これは不可能なのだろうか。これは、根も葉もないことではない。交通の拠点というのが、神戸の地理的条件から導かれる本来的な役割なのだ。先人は、その点に着目して、神戸の街を切り開いてきたのだ。

 

 

(神戸外国人居留地 過去の繁栄を偲ばせる大阪商船ビルと明石町筋の夜景)

 

(神戸海岸通 日本郵船ビル)

 

 

関西の空港配置はどうあるべきだったのか

 

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 神戸空港の国際化も決まり、ようやく関西3空港問題の解消に向かって進み始めたが、この現在の目で過去にさかのぼり、関西圏の空港配置はどのような決定をしておけばよかったのかを考えてみよう。

 

 下の図は、関西3空港、すなわち関西国際空港関西空港)、大阪国際空港伊丹空港)、神戸空港、のそれぞれの1時間利用圏域人口を表したものである。

(出典 兵庫県「関西3空港の目指すべき姿」平成21年12月14日)

 

 これを見ると、伊丹空港が1500万人で突出しているが、そもそもが騒音問題による制約を抱える伊丹空港の代替空港の建設という目的からこれを除外とすると、関西国際空港の設置場所の選定は関西空港神戸空港との比較の問題となる。関西空港の1時間利用圏域人口は400万人、神戸空港は1000万人で、神戸空港関西空港の2.5倍の規模となることがわかる。さらに、新幹線などの高速鉄道網とのアクセス条件や在来鉄道網の充実等の条件も考え合わせると、神戸空港の優位性はそれをはるかに上回るだろう。

 

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 この問題について、大阪の都心を中心に考えると関西空港神戸空港も立地条件に大した差がないように思われるかもしれないが、国土軸の観点から見ると、関西空港神戸空港は全く異なる条件下にあることがわかる。国土軸から大きく外れた関西空港と国土軸に沿った位置にある神戸空港との差は歴然としている。すなわち、「関西国際空港」を、いわゆるローカルとしての「関西」ではなく西日本全体で利用する文字通りの「関西(=西日本)」の国際空港と考えるならば、現在の関西空港はすでにその条件を満たしていないことは明らかだ。

 ここまで考えると、なぜ、関西国際空港の設置場所を現在の泉州沖に選んだのか、不思議に思えるほどだ。

 

 その条件を満たしていない場所にある関西空港を「関西国際空港」に選んでしまったことが、すべての過ちの始まりである。さらに問題をこじらせたのは、地元自治体を筆頭に、在阪メディア等が身びいきから関西国際空港の「ハブ空港論」を持ち出し、その独占を永久化しようとして莫大な工事費を投入して二期工事まで性急に行ってしまった。これが第2の誤りである。その過ちを、「神戸市が建設に反対したから泉州沖に決まった」というストーリーで責任転嫁しようとし続けたのが関西3空港問題だ。

 

 では、本来のあるべき姿はどうだったのだろうか。これは、上記の圏域人口の分布からも明らかである。神戸沖空港を「関西国際空港」とすべきだった。十分な建設費をかけて、3000メートル滑走路2本を有する立派な国際空港を建設すべきであった。これが、関西圏の人々にとっても、西日本全体の利益のためにも選ばれるべきプランであったであろう。

 では、泉州沖の「関西空港」はどうあるべきだったのだろうか。これに対しては、現在とは全く逆の発想とはなるが、そもそも建設をしないか、せいぜい「大阪南部及びその周辺の国内航空需要に対応する地方空港」として、小規模(2500メートル滑走路1本)な「関西空港」を建設するというのが妥当な結論であったのではないだろうか。

 しかるに、現状はこれと全く逆の姿となってしまっている。しかし、交通というものは合理性が貫徹するものであるから、合理性ない選択は今後長期間をかけて修正されていくことになるだろう。現在は、その過程がはじまったばかりなのだ。

 

みなとHANABI-2023ー神戸を彩る5日間 が開催

 神戸の新しい観光資源として観光面での経済効果をはかり、ウォーターフロントエリアの賑わい創出を目的として、小規模分散型の花火イベントを開催。
 1,000万ドルの夜景と言われるポートタワーや海洋博物館など様々な神戸を代表するランドマークを借景にダイナミックな花火を5日間連続で打ち上げます。
メリケンパークからは間近で観る迫力のある花火。
 さらに音楽にあわせて打ち上げる音楽花火となります。

 

(みなとHANABI-神戸を彩る5日間 HP)

 

みなとHANABI -神戸を彩る5日間 (minatohanabi.jp)

 


www.youtube.com

 

 10月16日(月)から20日(金)の5日間に渡って「みなとHANABI-2023ー神戸を彩る5日間」が開催された。従来の「みなとこうべ海上花火大会」とは異なり、分散型の花火大会ということで、1回の打ち上げ数は700発程度、使用される花火も最大で3号玉と、「みなとこうべ海上花火大会」が打ち上げ数1万発、最大10号玉と比べると規模は小規模である。

 しかし、実際に鑑賞をした印象は、予想を超えるすばらしいものであった。やはり、神戸には花火がよく似合う。

 会場はメリケンパークで、打ち上げる場所や打ちあがる高さの問題なのか、花火が非常に近く感じられ、花火の光の粒の一つ一つがくっきりと色彩鮮やかに輝き、とても美しい。上がる花火も、昔のように同心円状に拡がるものだけではなく、いったん上空に打ちあがり、そこから複雑な軌跡を描いて空中を疾走するタイプや、文字や絵柄を描くもの、無数の光が輝きながら枝垂れ桜のように降り注ぐもの、発射地点から箒星のように放物線を描くタイプなど、様々な花火が組み合わされて意趣変化に富み、見ごたえがあった。

 特に、今回、よかったのは、音楽に合わせて花火を打ち上げる「音楽花火」という趣向で、使用する音楽を一般からの投票を行ったことだ。その結果、最近流行のポップ系の音楽が中心となった。それによって、多くの人々、特に若い世代の嗜好にあったイベントになったのではないだろうか。ここしばらく、神戸では、社会の流行とは関係なく、一つ覚えのようなジャズ偏重のイベントを続けており、いったい誰にアピールしようとしているのか疑問に思うことが多かった。今回は、ジャズの「縛り」を解き放って、今様の音楽が使用されたことは非常によかった。神戸の音楽はジャズだけではない。神戸にはジャズしかないかのような偏重は改めるべきだ。

 今回のイベントでは、神戸港メリケンパークのロケーションの素晴らしさを改めて感じることができた。夜に見るその景色は、写真でみるとそのスケール感がわからないが、実際にその場に立ってみると雄大で壮麗である。赤と青のライトに染まる海洋博物館、たくさんの青白いランプが浮かび上がらせるオリエンタルホテルのユニークなフォルム、オレンジ色の無数の光がちりばめられた宮殿のようなモザイクの姿、鮮やかな模様を描き出す観覧車、それらを映し出す港の水面、そして、背後には林立する三宮の高層ビル群と、漆黒の巨大な空の下で、美しい光に彩られた建物がぐるりと周囲を取り囲むその壮観は、国内で比較できるものはないだろう。

 そのような舞台で打ち上げられる花火の美しさは無類のものであった。美しい神戸港の夜景と花火、これは神戸の観光振興の重要なコンテンツになり得るのではないだろうか。

 会場には大勢の観客が訪れ、外国人の姿も多く見られた。

 すべての花火が終わると、観客から自然発生的に拍手が沸き起こった。

 ネット上でも評判が高く、会期の終盤に向かうに従って、盛り上がりを見せる状況であった。この盛り上がり方は、ルミナリエのそれと似ている。ネット上には、会場から撮影した動画だけではなく、市街地のあちこち、大丸前の交差点やハーバーランドポートアイランドの北公園やしおさい公園から撮影された動画がいくつも投稿された。それらの動画には、様々な場所から神戸の美しい夜景を背景に花火が打ちあがる様子が収められており、港を取り囲んで街が構成されている神戸ならではの光景の素晴らしさを伝えている。

 今回、平日の6時30分開始で、この時間帯に見物に来ることができるのは、限られた人たちであったであろう。しかし、多くの人々がこの10分間のイベントを見物に訪れた。中には、ゆかたを着て見物に来た人の姿もあった。やはり、皆、花火が大好きなのだ。

 今後もこの形式の花火大会が継続されるものと思われる。

 やはり、花火を行う以上、十分に広報もし、多くの人々が見物できるようにすることが重要である。シークレットやサプライズなど、論外だ。

 もし、できるなら、一定の時期に定期的に曜日を定めて、継続的にこの花火イベントを行ったらどうだろう。例えば、7月から12月にかけて、毎週土曜日に花火を打ち上げる。花火を打ち上げる時間は6時30分では少し早いように思われる。7時30分頃に打ち上げれば、遠方からの観光客も訪れることができるだろう。そして、花火が始まるまでに神戸で食事を楽しめるかもしれない。週末に合わせて神戸を訪れ、宿泊をする者もあるかもしれない。

 また、船の上から花火を観る企画や、ビーナスブリッジや新神戸ロープウェイなどの山上から港の花火を観る企画を立てれば、なお人気を集めるのではないだろうか。

 

 

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(神戸海洋博物館)

 

メリケンパーク オリエンタルホテル)

 

ハーバーランド モザイク)

 

神戸ポートタワーと神戸海洋博物館)



神戸阪急が全館リニューアルオープン 

 株式会社阪急阪神百貨店大阪市北区、山口俊比古社長)は、2022 年3 月から約1年半にわたり、神戸阪急の大規模な改装工事を行ってまいりました。このたび、2023年10月11日(水)に全館リニューアルオープンいたします。
 今回の全館リモデルは、2019年10月にそごう神戸店から神戸阪急に屋号を変更後初めてであり、 またそごう神戸店時代を含めると約20年ぶりとなります。都市型百貨店として求められるハレ型の品ぞろえの強化と、独自性のある地域密着型のライフスタイルを発信するために、全館の約90%を改装しました。「『神戸阪急』ではない。『神戸の阪急』になるのだ。」をスローガンに、地元神戸のお客様と素敵な神戸暮らしを共創していく百貨店を目指します。


株式会社阪急阪神百貨店エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 発表資料(2023 年 9 月 13 日)

 

神戸阪急が2023年10月11日全館リニューアルオープン (swcms.net)

 

 神戸阪急が2023年3月から約1年半にわたって進めてきた、全館改装工事が終了し、この10月11日に全館リニューアルオープンとなった。

 様々なオープニングイベントも行われたようだ。

 

(動画)貴島明日香さん「ブランド多く買いやすい」 駿河太郎さん靴下披露・神戸阪急 - 神戸経済ニュース (kobekeizai.jp)

 

 神戸阪急は「『神戸阪急』ではない。『神戸の阪急』になるのだ。」をスローガンに、新しい店舗づくりに取り組んだということだ。そのスローガンの意味するところは、梅田の阪急百貨店のサテライト店、その縮小版ではなく、梅田とは全く異なる新たな百貨店として神戸の阪急百貨店を立ち上げようという大きな目標を掲げたということだろう。

 

 神戸阪急に期待される百貨店像はどのようなものであろうか。

 それは、兵庫県を拠点に、中国、四国地方の一円から集客する超広域の商圏を対象とする百貨店である。神戸市は現在、西日本最大級のバスターミナルを建設中である。そして、新幹線新神戸駅と、三宮、神戸空港とを結ぶ高速鉄道の構想もある。これまでも、鉄道ターミナル直結の百貨店はあったが、これだけ長距離交通機関の結節点と直結するものは、そうそうないはずだ。

 人々の消費需要には、日常生活の必要を満たす消費だけでなく、その水準を超えた高度な消費需要があるはずだ。すなわち、ファッションや趣味、自己実現のための支出など、単に機能を満たすだけではない需要というものがある。その需要を満たす場合、少々距離が遠くなっても、価格が高くても、よい品物を手に入れたいという欲求があるだろう。そうした、高度な需要を満たす商業施設としての百貨店という姿があり得るのではないだろうか。そのような高度な商業施設は、人口が少なければ成立しないが、人口が巨大になれば成立できる可能性がある。

 神戸は関西圏と中国・四国地方の交通の結節点にあたり、これらの地方の人口は約1600万人と関西圏と中国・四国地方の合計人口3100万人の半分を超える。神戸阪急は、この1600万人を睨んだ超高域の百貨店として存在感を発揮してほしい。大阪のサテライトではなく、東京、世界のサテライトであってほしい。

 つまり、1600万人の圏域の中で、最も高度な需要を満たす、そのような店舗が目指すところとなるだろう。今回のリニューアルは、その大きな目標を模索する一つの過程と考えられるだろう。将来的には、もちろん、全館の建て替えが期待されるところである。

 兵庫県、中国・四国地方を一つの経済圏として、人々が交流し、その域内の交通の結節点、中心都市としての神戸がある。日常生活とは異なる次元の高度な需要を満たすために、人々が神戸に訪れる。そして、消費や飲食、観光などを行う。筆者はそのような神戸の将来像を構想する。

 

 

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神戸市 人口150万人割れの衝撃

 神戸市は12日、最新の推計人口(10月1日時点)が149万9887人になったと発表した。150万人を割り込むのは2001年5月(149万9371人)以来で22年ぶり。ピーク時(11年)と比べて5万人近く減った。

 

(2023/10/12 神戸新聞

 

 神戸市の推計人口が、ついに150万人を割り込んだ。神戸市の人口は2011年をピークとして、2012年から減少が続いており、今年度中に150万人を割り込む見込みであることは予てから報じられていた。そして、ついに、今年10月1日時点の推計人口が150万人を割り込むことになった。

 

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 神戸市の人口が150万人を割り込んだことは新聞、テレビ等のマスコミで大きく報じられた。

 10月12日の記者会見で久元市長は、神戸市の人口減少については、一貫して「人口減少社会」を前面に出して、あたかも自然現象のように捉え、「人口の減少幅をいかに抑制するか、人口減少時代にふさわしい街づくりをいかに進めるか、を従来から考えてきたが、今後ともそうした考え方で施策を推進していきたい」(神戸経済ニュース 2023/10/12)と、平静を装っている。しかし、一般の人々の受け止め方は、とりわけ神戸市民以外の人々にとっては、神戸市の「凋落」であろう。

 

 神戸市の人口は、1992年12月に150万人を突破してピークは2011年11月の154万5362人。しかし、2015年10月には福岡市に抜かれ、2019年9月には川崎市に抜かれました。「憧れの街」のイメージが根強い神戸市は、深刻な人口問題に直面しています

MBSニュース 2023/10/12)

 

 神戸市の人口150万人割れはいつか迎える事態ではあったが、いざ現実にこの日を迎えると、やはり大きなショックを感じざるを得ない。「150万都市神戸」は失われ、「140万都市」が今後、神戸市に与えられる呼称となるのである。単なる呼称ではあるが、与える印象に大きな違いがあることが、今更ながらに実感される。神戸市がどのように言おうとも、この呼称が人々に与える神戸市への印象は、「衰退都市」であろう。都市間競争において、人口増加が続く「成長都市」と人口減少が続く「衰退都市」とでは、前者がより選ばれるのは明らかであろう。どれだけ市の発展性をアピールをしようが、人口減少の事実はこれらの努力をすべて打ち消すだけのインパクトを持っている。

 

 神戸市は、これまで人口減少の問題に有効に対処してきたといえるだろうか。

 

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 何事も、問題に対応する場合には、正しく原因を把握し、原因に応じた適切な対策を講じることが鉄則である。そして、その対応が適切であったかどうかを検証して、対応策の見直しを行うこともまた鉄則である。神戸市は、これまでの対応策を検証し、十分に見直しを行うべきだろう。そして、効果の定かならぬ施策を手当たり次第に行うのではなく、真に効果的な施策に人や物などの資源を集中すべきだ。これが、現在の神戸市政に一番必要なことだと思われる。

 

 

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 また、記者会見の中で、市長が「(神戸市の)人口が増加に転ずる可能性はほとんどない」、「高層タワーマンションは数十年で廃墟化する」と述べたことも大きく報じられ、話題となっている。久元市長は、神戸市長の言葉の重みを自覚し、もっと言葉を選ぶべきであろう。

NHK連続テレビ小説「らんまん」と神戸

 2023年4月から放送されていたNHK連続テレビ小説「らんまん」(神木隆之介主演、長田育恵脚本)が、この9月29日に最終回の放映を終えた。美しい植物の映像を随所にちりばめ、多数の登場人物を細やかに且つていねいに描きつつ、テーマ性に富んだ素晴らしいドラマであった。

 

らんまん - NHK

 

 日本の植物学の父と言われる植物学者・牧野富太郎(1862~1957)をモデルにした架空の物語とされているが、登場人物の名前や固有名詞こそ変えてあるが、かなりの部分が事実を踏襲しており、登場人物が実際の誰に当たるのか、ほぼ特定が可能である。牧野富太郎の記録や伝記に照らしてみると、登場人物の人物像や出来事の細部が巧みにドラマに盛り込まれ、再構成されていることがわかる。植物学という一般のなじみのない分野について、簡潔にわかりやすくまとめられており、その当時の学問の状況がよくわかる。事実をできるかぎり踏襲したのは対象に対するリスペクトであり、作者が創作した部分も失われたピースを補うかのようで、それが物語全体の自然な流れと説得力につながっている。

 このドラマの見所の一つは、植物の姿が美しく鮮明・細密に映像化されていることだ。主人公が森の中で新種の植物に遭遇する場面などが全く自然に再現されていたが、ロケはおそらく実際の季節と異なる季節に行われたこともあったであろうから、再現は簡単ではなかったにちがいない。一部には造花なども使用されていたのかもしれない。主人公が収集した植物の標本が室内に山積みされているシーンも描かれていたが、これを再現するには気の遠くなるような膨大な作業が必要だったに違いない。主人公の制作した植物画や雑誌や図鑑など、場面場面で登場する物のあらゆるものが精密に再現されている。これらを制作した美術スタッフの努力はいかほどであっただろうか。しかし、これらの背景や道具の数々が、このドラマの説得力をきわめて高いものにしている。明治、大正の植物学研究室の様子や、周囲の人々の服装や風俗を詳細に再現されているのも見事であった。明治初頭の新橋駅、内国勧業博覧会関東大震災の惨状なども非常によく描けていた。

 出演者について言うと、まず主人公の子供時代を演じた二人の子役が二人ともすばらしい。小さいながらにも人生の試練に遭遇し、様々な人々と出会い、植物学に目覚めていく。その中で、きらきらとした目で植物に向き合う姿が印象的であった。

 主人公だけに脚光を当てるのではなく、多くの人々の物語が同時並行で描かれ、それらの人々の心情がていねいに描かれ、それらが織りなすように物語りが展開していく。一般に、主人公を引き立てようとするがあまり、偏った持ち上げ方や、問答無用で偉い人、立派な人、おもしろい人と描かれることがあるが、このドラマでは主人公は偉人としてではなく、等身大の人間、どちらかというと「しょうがない人」と扱われながらも、その行動によって、主人公の素晴らしい能力を表現させるなど、非常に説得力があった。どの俳優も、若年から老年に至るまでの長期間にわたる物語において、年月を重ねて風貌や所作などが変化する難しい演技を丹念に演じ、皆、作中の人物その人になりきり、すばらしいドラマを展開した。最終回での主人公の感極まった姿はもはや演技を超えているとすら思える。この長い人生のドラマを演じきったことにより、まさに俳優とその役柄が一体となった瞬間だったのではないだろうか。

 

 ドラマを通じて、考えさせられることも多かった。

 主人公は学歴で言えば小学校を中退したにすぎず、単身大学に乗り込んでいくが、最初は学歴のない者と軽んじられる。しかし、主人公はおそるべき知識と能力を発揮し、たちまち学生ばかりか教授をも圧倒し、軋轢もまた起こしていく。その一方で、主人公の植物に向き合う熱意や姿勢は周囲の人々を揺り動かし、目を開かせ、彼らの人生を花開かせて行き、最後には爛漫たる花園となる。

 ここで気づくのは、やはり、好きなことに打ち込むことの重要性である。主人公は、幼い頃から、ひたすら植物に強い関心を持ち、昼夜を問わず研究し続けた。それは、一般の高等教育を受けて、海外に留学をしたとしても、たかだか数年取り組んだだけの者が適うわけもない道理だ。一方で、明治以降の学制によらず、むしろそれを凌駕するぐらいの教育を行う環境があったことには驚かされる。江戸時代に、体系的に整理はされていなかったであろうが、極めて高度の教育が行われていたということも伺える。

 もう一つ気づくのは、それぞれが、自分に与えられた大地に根を張って、天分を伸ばすことの大切さである。これが、このドラマの大きなテーマであろう。それは主人公の「この世に雑草という草はない」という言葉に象徴されている。こうしたことが可能であったのは、江戸時代の教育制度が、こうした天分を伸ばすということに優れた面があったからではないだろうか。それは江戸時代の教育が、深い人間洞察に基づくものであったからではないだろうか。

 最近、人々が自信を失い、元気のない我が国であるが、ここに日本の再興のためのヒントがあるように感じる。

 また、当初、海外の学者に頼って学名を鑑定してもらうしかなかった状態であった我が国の植物学が、たちまちのうちに国内で鑑定、新種の命名ができるようになり、やがて、世界初の大発見が国内で行われるようになる姿が描かれ、我が国の先人の優秀さを再認識することができた。

 これらの意味で、このドラマは我が国の人々に勇気と希望を与えるものであったように思われる。

 

 ところで、ドラマのモデルとなった牧野富太郎は、実は神戸・兵庫県とかかわりの深い人だ。ドラマの中では、初めて東京に上った時(第13回)と台湾に渡った時(第109回)に、神戸を経由したことが地図入りで紹介されている。また、神戸市立博物館の基礎となった南蛮美術コレクションを行った池永孟と思われる人物が登場(第119回、第120回)していた。おそらく、神戸は、高知、東京に次いで牧野富太郎と関係が深かった地なのではないだろうか。

 

(「牧野富太郎と神戸」白岩卓巳著)

 

 そのような牧野富太郎について、このたび、神戸でこのドラマとのタイアップする企画はなかったのだろうか。

 

神戸市:神戸ゆかりの植物学者 牧野富太郎博士関連事業の実施 (kobe.lg.jp)

 

 神戸市の記者提供資料を見ると、「牧野富太郎と池長植物研究所展」、六甲高山植物園「牧野の足あと~神戸で見つける博士と植物~」、ROKKO森の音ミュージアム牧野富太郎のみちくさ~音楽、書、人々との交流~」など、いくつかの関連イベントが催されたようだ。もっと大きくPRをしてもよかったぐらいだが、記念行事を企画したことは評価されるだろう。牧野富太郎については、今後、神戸ゆかりの人物として、さらに資料を整理し、顕彰をする価値は十分にあるだろう。

 一方、兵庫県はこの間どうだっただろうか。兵庫県が何か記念行事を企画した形跡を探したが見つけることができなかった。これはいったいどうしたことであろうか。兵庫県県花はのじぎくであるが、のじぎくは牧野富太郎が発見し、命名したものである。姫路の大塩に大群落があることを発見し、その後何度も現地を訪れて調査を行い、「日本一の群落地」と評したという。

 また、オープニングの瑞々しく美しい映像をバックに流れている、伸びやかなテーマソングを歌うあいみょんは西宮市の出身の人だそうだ。

 


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 このように、今回のドラマは兵庫県とは深い因縁があったようだ。

 兵庫県知事は、大阪府が進める万国博覧会に協力するだけではなく、もう少し兵庫県のことに目を向けてほしいものだ。

 

新開地 喜楽館について

 

 神戸の新開地に、上方落語の常設館である「喜楽館(きらくかん)」がある。新開地商店街の一角に、2018年7月11日に開館して今年で5周年となる。大阪にある「繁昌亭」に続く上方落語の定席として誕生した。落語の常設館ではあるが、落語だけではなく、奇術や曲芸なども演じられる。

 

 常設館だけあって、テレビなどでは目にすることの少ない落語の演目に出会えることも魅力だが、何よりも、ライブの良さを味わうことができるのが魅力だ。おなじみの演目も、客席は演者の息づかい、気迫、勢いを感じ取り、演者は客席の呼吸を読み取り、両者が合わさって、今まさに物語が進行しているかのような緊迫感が生まれる。舞台は演者と観客が一緒になって作られるものだと言われるが、そのことが実感される。

 上方落語は、落語の語り手だけではなく、三味線や太鼓、唄いなどのお囃子が入るところが江戸落語とは異なる特徴だ。これらが一体となって演じられる上方落語は我が国の長い歴史の中から生み出された世界に誇りうる伝統芸能であると思う。神戸にこのような常設の演芸館が生まれたことは、非常に喜ばしいことだ。

 上方落語は大阪の文化だという人があるかもしれないが、人間国宝となった桂米朝は姫路の人であり、爆笑王として知られた桂枝雀は神戸の出身であるなど、兵庫県は多数の落語家を輩出しており、上方落語は関西言葉から生み出された関西圏全体の文化と言えるだろう。

 

神戸新開地・喜楽館(きらくかん) | 兵庫県・神戸市の新しい文化・伝統芸能の拠点 (kobe-kirakukan.jp) 

 

 施設は、ゆるやかなスロープに椅子席と小規模な映画館のような造りである。座席数は2階席も合わせて210席で、設備は簡素であるが、新しくて清潔だ。特に音響が優れており、言葉が聞き取りにくいと感じることが全くない。話術のプロによる明瞭な発声、十分に練られた物語は、わかりやすく、おもしろいのはもちろん、頭脳が明瞭になるような心地よさを感じる。演者の言葉や動作の一つ一つに目が離せず、長時間でも眠気や飽きを感じたりする間もなく、時間が過ぎることを忘れるようである。

 幕間のBGMには三味線や笛などの和楽器で演奏するサンバやロックの音楽が流れている。世界の様々な文化が共存している所が神戸らしくてよい。プログラムがすべて終わると、その日の出演者が出口で観客の退場を見送ってくれる。観客と演者との一体感を大切にしているようだ。

 

 喜楽館のある新開地は、交通の便が非常によい所だ。新開地駅は神戸電鉄ターミナル駅で、阪急、阪神山陽電鉄が乗り入れる神戸高速鉄道の新開地駅と接続している。神戸の中心地である三宮から数駅、新神戸駅からは市営地下鉄で湊川駅まで乗り換えなしである。JR神戸駅神戸高速鉄道神戸駅からは約1㎞の地下道で結ばれ、徒歩でもほどよい距離だ。このアクセスの良さをもっとアピールして、西日本、全国で最もアクセスが便利な上方落語の演芸場として、日本全国から集客したいところだ。

 この落語の常設館である喜楽館の立地としては、やはり洋風で現代的な三宮の雰囲気よりも、新開地の雰囲気が合っているように思う。周囲には美味しくて値段の手ごろな飲食店も豊富だ。しかし、その一方で、課題があるようにも感じる。娯楽には女性や子供が安心して来場できる環境は大切だろう。そうした観点から、まず気づくことは、商店街には歩き煙草の人が多いことだ。飲食店でも隣の席で平気で煙草を吹かしている。これは、今の時代には、さすがに良くない。商店街の中に喫煙所を設けるなどの分煙対策を徹底すべきだ。

 一般に、下町や、古めかしく昭和風であることを妙に持ち上げ、褒めそやす風潮がある。しかし、やはり、娯楽は時代に寄り添わなくてはならない。隙間分野を狙うのではなく、最も大きな市場(メジャー)での支持を狙って努力をすることが必要だ。新開地も、若者から家族連れまでの、幅広い世代が楽しめる場所を目指すべきだ。そのためには大胆なイメージチェンジを図る必要があるだろう。アーケードや舗装も古めかしくて薄暗いので、できる限りリニューアルし、明るい、清潔なムードに刷新すべきだろう。清掃を徹底し、花なども飾って、人々がそぞろ歩くのに心地よい空間にしたいものだ。

 

 新開地の街づくりは、大衆の娯楽の中心地を目指すというのが、その方向性となるだろう。この優れた立地特性を活かして、西日本最大級の娯楽の集積地を目指したいところだ。新開地には他にもパルシネマのような古くからの個性ある映画館もある。これらをコアに、演芸の常設館や小劇場、ライブハウスなどをここに集積すればどうだろうか。さらに、ゲームセンター(eスポーツ)やボーリングなどの遊技場なども集めたい。卓球やテニス、ボルダリングなどのスポーツ施設も考えられる。北側に隣接する湊川公園には、王子動物園にあるような遊園地や小動物とふれあえる施設を作ってはどうだろうか。周辺を家族連れが歩くようになると、ずいぶん雰囲気が変わるのではないだろうか。

 

 かつて、東の浅草と並び称されたように、娯楽のメッカとして新開地が全国に名を轟かせるようになればよいと思う。喜楽館は、その起爆剤となる可能性があるように感じる。神戸の財産として、市民全体で応援し、名実ともに上方落語の殿堂として、大きく育てていきたいものだ。