神戸市街地の海岸線

 神戸は、幕末の開港以来、港とともに発展をしてきた都市である。「港町神戸」と当たり前のように呼ばれているが、実際に日常で港を感じる場面はそう多くなく、「港」は意外に遠い存在である。港の機能が変化したということも一因であるが、実際に港が市街地から遠ざかっていることも影響しているに違いない。このことは、昔の地図と現在とを比較をしてみると、明瞭に読み取れる。

 

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(1)現在の神戸の市街地

 

(2)1960年代初頭の神戸の市街地

 

(3)(1)と(2)をオーバーラップさせたもの

 

 

 (1)は現代の神戸市の市街地の、(2)は1960年代初頭の神戸の市街地の航空写真である。両者の海岸線の位置関係をよりわかりやすくするために、(1)と(2)を重ね合わせたものが(3)である。

 (2)の写真を見ると、現在も地名にある京橋は実際に橋として機能しており、その東側には水面が広がっている。この東側の水面は、幕末の神戸海軍操練所のあった辺りであり、神戸港の開港時にこれに面して運上所が設けられた入り江で、いわば神戸港発祥の地である。しかし、1960年代の後半には埋め立てられて陸地に変わり、阪神高速道路の高架が建設され、現在は京橋パーキングエリアとなっており、当時の姿を想起することも困難である。

 一方、現在メリケンパークがあるあたりは、長く突き出した中突堤とその東側のメリケン波止場に囲まれた部分に、広大な船だまりがあって艀がひしめきあっている。これも、1980年代の後半には埋め立てられ、現在のメリケンパークの姿となっている。

 さらに、今後は第一突堤メリケンパークの間を浜手バイパスの南側まで埋め立てする計画もあるようだ。

 

 

 やはり、時代の変化とともに、過去の港の姿も失われていくことは必然なのであろうか。

 

 神戸港とよく比較される横浜港の姿と比べてみるとどうだろうか。

 下の地図は、神戸港と横浜港の中心部分を同縮尺で上下に並べてみたものである。

 神戸港は南向き、横浜港は北東向きに海に面しており、少々比較がしにくいが、神戸港は昔の海岸線をほとんど埋め立てて、今では京橋とメリケンパークの間に、阪神高速道路の下に、わずかに当時の海岸線が残るのみである。

 一方、横浜港は、海岸通の前方は運河を挟んで埋め立てられているが、ほぼ、昔の海岸線が残されている。特に山下公園のあたりは、海に面した部分が大きく開けており、それが横浜の市街地の独特の開放感の形成に大きく貢献している。さらに、驚くべきことに、大桟橋の袂には、横浜港の発祥の地である入り江まで残されている。横浜市では、横浜港開港150年記念事業として、この入り江を整備し、当時の防波堤まで再現し、「象の鼻パーク」として開放している。

 



 神戸も横浜にならって、神戸港発祥の入り江を復元、整備してはどうだろうか。すなわち、(1)の京橋から東側の、かつて水面であったあたりを掘り起こして、再び海水を引き込み、昔の姿を復原することを提案したい。どこかで聞いたキャッチフレーズ風に言うと、「陸、再び海へ」というわけだ。

 港は神戸の原点であり、港に面して発展した独特の街並みに海は欠かすことができない。海がなければ、神戸の市街地の個性は失われてしまう。

 それを実現するためにも、阪神高速道路の高架の撤去は不可欠だと考える。

 

 

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 もう一点、まったく今更のことであるが、メリケンパークを埋め立てたことは、神戸の市街地にとってよかったのだろうか。メリケンパークの背後には、昔からの海運関係の会社が多く集まっているが、埋め立てによって、これらが海から完全に遠ざかってしまった。 

 

メリケンパークの北側付近の海岸通の風景)

 

(海岸ビルヂング(海岸通))

 

 もしも、メリケンパークのエリアが現在も海のままであったなら、どのような光景であったのだろうか。空想は膨らむ。

 神戸市は、むやみな埋め立ては行わず、できるかぎり街の成り立ちの歴史を踏まえて、保存すべきところ、大胆に開発すべきところを区分して都市開発を行う必要があると考えるがどうだろうか。