みなとこうべ海上花火大会が終了

 神戸市は、1971年に始まり、コロナ禍で2020年以降中止が続いた「みなとこうべ海上花火大会」を今後開催しない方針を決めた。毎年8月に開催され、約30万人が訪れていたが、会場の神戸港周辺の再開発が進み、観覧場所の確保が難しくなっていることなどを考慮したという。

 

(読売新聞 2023/2/11)

 

 神戸市は27日、神戸港の夏の風物詩「みなとこうべ海上花火大会」に代わる分散型花火イベント「みなとHANABI-神戸を彩る5日間」を、10月16~20日の平日5日間に開催すると発表した。昨年に続き2回目で、会場のメリケンパークでは迫力ある打ち上げを楽しめる。

 みなとこうべ-は毎年約30万人が訪れる催しだったが、新型コロナウイルス禍で49回目の2019年を最後に中止した。ウオーターフロントの再開発で観覧場所が制限されたこともあり、同市などの実行委員会は時期をずらしての分散開催に切り替えた。

 各日午後6時半から10分間で、1回700発を打ち上げる。同市によると、昨年は5日間で約5万2千人が観覧し、来場者には「都合をつけやすい」などと好評だったという。実行委は10月の本番までに複数回、花火をサプライズで打ち上げる方針。

 

神戸新聞 2023/4/27)

 

 神戸の夏の風物詩というべき「みなとこうべ海上花火大会」が、終了することとなったようだ。1971年から始まった同大会は、新型コロナが猛威を振るった2020年から開催が見送られ、2019年の第49回が最後の大会となった。

 これはとても残念なニュースだ。同大会は、市内はもとより県下や近隣の都府県からも多くの人々が詰めかけ、来訪者は毎年30万人にも上るという巨大なイベントであった。神戸には、「神戸まつり」や「ルミナリエ」などのイベントもあるが、特別のPRを行うでもなく、自然発生的に多くの人々が訪れる、人々の暮らしに根付いた神戸を代表するイベントであったと言ってよいだろう。

 今後、これに代わるイベントとして、分散型花火イベント「みなとHANABI-神戸を彩る5日間」を、10月16~20日の平日5日間にメリケンパークで開催するそうだ。各回10分間、1回700発の花火を打ち上げるとのことだ。みなとこうべ海上花火大会では、1時間で10,000発を打ち上げていたから、新しいイベントでは5日トータルでも打ち上げ数はこれまでの3分の1に過ぎず、大幅な規模縮小という他はない。昨年の実績では、5日間で52,000人が観覧したというから、これまた6分の1程で、まったく別物といってよいイベントになってしまう。また、開催時期も、夜の寒さが厳しくなってくる秋の10月、しかも平日と、仕事や生活がある一般の市民が気軽に出かけられるというイベントではなくなってしまうだろう。

 このたび、なぜ、かような大幅な改変を行うのか、その理由も判然としない。市民の中から、見直しを求める声が上がっていたとでもいうのだろうか。来場者には「都合をつけやすい」などと好評だったというが、本当だろうか。来場者数の少なさが真実を物語っているように思う。

 みなとこうべ海上花火大会は、神戸の夏を彩る行事で、当日は街中で浴衣を着た若い人たちがそぞろ歩く姿を見ることも多かった。夕涼みを兼ねた親子連れの姿も多く、神戸の人々のくらしに馴染んだイベントだった。花火大会には大勢の人々が集まるが、神戸の街は鉄道が発達し、それだけ多くの人々を集めるのに十分な輸送量を持っていた。そして、市街地の中心部に神戸港という広大な空間を抱える神戸という都市は、その巨大な群衆を安全に受け入れるだけの容量を持っていた。ハーバーランドメリケンパーク、新港突堤ポートアイランドと、花火を取り囲むように観覧できる場所があった。しかも、花火は神戸港の周辺だけではなく、東灘から須磨まで、六甲山系の斜面に広がる神戸の市街地の至る所から見ることができ、港が見える家の近くの公園や、マンションのバルコニーからも大勢の人々が花火を見物した。そして、花火の轟音は、灘区や東灘区でも聞くことができ、神戸市民は、見物に出向くことはなくとも、毎年その音を耳で聞き、今年も花火大会が開催されていることを感じ、神戸の街の平和と繁栄、神戸市民としての誇らしさ、一体感を感じ取ることができたのだ。海があり、山があり、起伏に富んだ神戸の街は、花火の姿も、海に照り映える姿、山から見下ろす姿と、やはり起伏に富んだ、他の都市では決して見ることができない光景を現出させた。それは、神戸の街の地勢に非常に適した、神戸ならではのイベントと言ってもよいものだった。そして一晩で30万人を動員するという、神戸の観光の持つパワーと可能性を、広くアピールするものであった。

 そのような市民に根付いた神戸らしいイベントが、市民の声を聞くこともなく、納得できる理由も明らかにならないままに、唐突に終了してしまうことを非常に残念に思うのは筆者だけではないだろう。