「総合性」について

2017年11月1日 の久元市長のブログに次のような記事があった。

 

 今年度の当初予算を発表したとき、神戸新聞は、 「「総合性」ゆえに迫力不足」 との見出しを立て、解説を掲載されました。

 

 久元市政の特徴に「総合性」を挙げる市幹部は多い。例えば「子育て施策が地域活性化にもつながる」というように、副次な効果を持つ施策を細かく張り巡らせることで、政策効果を狙っている。ただ、総花的である分、インパクトに欠けることは否めない。

 

 これに対して、久元市長はブログで次のように述べている。 

 「総合性」の発揮は、私が勝手に唱えているわけではありません。それは、地方自治体の基本的な役割なのです。

 

として、地方自治法の条文を説明する。そして、締めくくりに、

 

 「総合性の発揮」は、地方自治体の基本的な任務であり、神戸新聞からいかに批判されようと、私はこの任務に忠実でありたいと考えています。

 

 このやりとりを読み、次のように考える。

(1)神戸新聞側は、久元市政の施策が課題に対して直接的な効果をもたらすものではなく、副次的な効果を持つ施策を網羅することで政策効果を狙っていると評価している。

(2)それに対して、総花的な印象でインパクトに欠けると感じている。

 どちらも的確な指摘だ。

 

 これに対して久元市長は、総合性は地方自治法が求めていることだと反論しているが、反論になっていない。

 

 地方自治体が地方自治法に従うのは当然のことで、どの地方自治体にもあてはまることだ。しかし、神戸市の施策は総花的でインパクトに欠けるという印象を与えるのに対して、同様に地方自治法に従いながら、総花的でインパクトに欠けるという印象を与えていない都市があるのはどういうことだろう。すなわち、地方自治法に従うかどうかは、施策の印象とは関係がない。

 

 記者団とすれちがいがなぜ生じるのか。神戸市が、直接的に効果がある施策を見出せていなくて、重点的に行う施策を決定できていないことが問題の根本であるのに、記者の「総合性」の言葉尻を捕らえて、総合性の必要性に話が変わってしまっている。

 元来、久元市長は博覧強記であるが、すべての要素を満遍なく盛り込もうとする傾向がある。予算の発表時に記者団から重点事項を聞かれ、それに対して「全て」と回答したことは象徴的である。すべての要素が欠かすことができないのは当たり前で、総合性を考えるのも当然のことだ。しかし、その中でも、特に優先すべき重点課題や、多くの人に伝えることが必要なポイントがあるはずなので、そのことについて記者が質問をするのは当然のことだと思う。それをこの機会を捉えて説明ができないのはいかがなものなのか。それを記者団の考え方に問題があるかのようにブログに書き連ねることは、あるべき姿だろうか。他のニュース源が多々ある中で、わざわざ紙面を割いて掲載しようとしているのだ。記者団に対して重点事項をアピールできずに市民、企業等にアピールができるだろうか。