神戸は、幕末の開港以来、東の横浜と並び、我が国を代表する国際貿易港として発展してきた。その核心は、やはり開港時に開かれた外国人居留地である。現在は「旧居留地」の名称で呼ばれているが、現在の東遊園地から、大丸神戸店と元町商店街、南京町とを東西に隔てる鯉川筋までが当時の外国人居留地の範囲に当たる。町割りや地名は現在でも当時のままで、ここには往事の神戸の繁栄を偲ばせる近代建築が多く残されており、独特の景観を形成している。
残された近代建築の代表的なものを見てみよう。
(1)チャータードビル(上図①)
(2)神港ビルヂング(上図②)
(3)商船三井ビルディング(上図③)
(4)神戸海岸ビル(上図④)
(5)日本郵船ビル(上図⑤)
特に、南側の国道2号線に面した海岸通には、比較的まとまって当時の建築物が残っており、近代建築群としての街並みを形成している。
(6)海岸通の近代建築ビル群
(6)京橋から海岸通を臨む
(7)京町筋の神戸市立博物館(旧 横浜正金銀行神戸支店)(上図⑥)
(8)波止場町から見る山側の景観
これらは、過去の神戸の繁栄を物語る歴史的記録としても大変貴重なものであるが、石造りの重厚なビルの建ち並ぶ様は壮麗で、まさに美観である。これらは今後も大切に守り、景観の整備に努めるべきであろう。
今後、このエリアで建築物を建てる際には、過去にあって現在は失われた建物の意匠をモチーフとして、街並みの統一を図っていくべきであろう。
現在、残されている近代建築にあっても、できる限り建築当時のデザインを復原していくことも考えられる。たとえば、日本郵船ビルは、建築当時には、銅葺きの屋根と円形ドームを戴いていたことがわかっている。同ビルは、海岸通を東側から西方を眺めたときに、真正面に見える位置にある。これを復原すれば海岸通の素晴らしいランドマークになるだろう。
(昭和初期と思われる海岸通の日本郵船ビル)
また、景観全体を捉えたときに、視線を遮るもの、たとえば、農業会館前の陸橋などは撤去した方がよいと考える。
(上記2枚 Googleストリートビューから作成)
どうしても立体交差が必要であるならば、陸橋よりも地下道の方がよいのではないかと考える。地下道は陸橋に比べて、一般的に、景観上の障害とならないだけではなく、陸橋が大型の自動車を通過させる必要からある程度の高さを確保する必要があるのに対して、地下道は人さえ通過できればよいので陸橋にくらべて昇降を小さくできると考えられるので、通行者の負担を少なくできると考えられている。
(地下道の例:神奈川県江の島の地下道)
(Googleストリートビューから作成)
しかし、なんといっても海岸通の景観上の最大の問題点は、阪神高速道路の高架道路であろう。