阪神高速道路の地下化構想

 神戸の市街地は海と山の景観に恵まれ、異国情緒にあふれ、その美しさは多くの人が讃えるところである。しかし、その神戸の市街地の景観を損なっている最大のものは、高層ビルでも、タワーマンションでもなく、阪神高速道路3号神戸線であろう。現在の神戸の景観上の最大の課題は、港から見る六甲山の稜線や、ビーナスブリッジから見る大阪湾の水平線をいかに守るかではない。それは、間違いなく、市街地と港を分断する阪神高速道路の存在だと考える。この付近を歩くとき、高速道路の高架は、人々にかなりの圧迫感を感じさせる。特に阪神高速道路は高さも低く、目の前に長大な壁のように立ちはだかり、頭上すぐに覆い被さるようで、これがなければどれだけ開放感があるだろうかと考えずにいられない。そのように考える者は、筆者だけではないはずだ。

 

(神戸 メリケンパーク前から市街地を臨む)

 

(神戸 京橋付近からメリケンパーク方面を見る)

 

(神戸 フラワーロード側から神戸税関方面を臨む)

(上記3枚 出典:google ストリートビューから作成)

 

(神戸 メリケンパークから見た市街地の風景)

 

 上の写真を見ても明らかなとおり、これらの高架道路は神戸の市街地を分断し、大きな閉塞感をもたらし、景観を決定的に破壊している。


 実際、過去には、これを撤去して地下に移設してはどうかということが議論に上がったことがある。

 「阪神高速道路神戸線は全面的にやり直す時点で地下化すべきである」

 6月29日、神戸市復興計画審議会は計画案の答申に特記事項を加えた。しかし、翌30日に決まった復興計画で、この表現は消えた。神戸線は「早期復旧」としか書いていない。

(中略)

 「ひょうご創生研究会」(会長・新野幸次郎元神戸大学長)は3月末、神戸線撤去を提言。「地球環境の回復と自動車対策や交通政策の転換を示し、震災復興のシンボルプロジェクトに」とした。


 しかし、行政の方向は既に決まっていた。

 神戸市の復興計画づくりのためのガイドライン検討委員会。複数の学者が創生研と同じ観点から地下化、掘割化を主張したが、論議途中の3月2日、県知事、沿道各市長は、阪神高速道路公団神戸線の早期復旧を要望した。

 委員の一人は振り返る。「意見をまとめる段階では、復旧は既成事実化していた。矛盾した言い方は難しかった」。神戸市サイドからは、復旧事業は予算がつくが、地下化などは新規事業になり、何年かかるか分からないとの「現実論」も出された。産業復興、神戸港再生のために-との方向は変わらなかった。

 

神戸新聞「50年目の決算 震災で問われたもの」 1995/8/19)

 

 1995年の阪神・淡路大震災の当時、阪神高速道路神戸線が倒壊し、復興を検討する中でその地下化が提言されたが、復旧が優先され、実現されることはなかった。

 

 高速道路といえば、高架道路というのがお決まりであるが、神戸と同じ国際港湾都市である横浜市では、計画着工の直前に、高架が市街地を分断してしまうことを懸念し、計画を見直し、地下埋設に変更したという事例がある。その実現に至る経緯については、田村明「都市ヨコハマをつくる」(中公新書)に詳しい。その実現は非常に困難なものであったが、その努力は現在の横浜市の市街地の開放的で美しい景観に見事に結実している。

 

(広々として開放的な横浜港の風景)

 

(横浜 山下公園から見る ホテルニューグランドマリンタワー

 

(横浜 大桟橋から見る 赤煉瓦倉庫とみなとみらい地区の偉観)

 

 


 その他には、東京の首都高速道路では、日本橋に覆い被さる高架道路を地下化する事業を現在進めている。

 

START!新しい道へ!日本橋へ! | 首都高速道路日本橋区間地下化事業 (shutoko.jp)

 

 神戸でも、この日本橋区間の事業に続く第2弾、西日本での第1号として阪神高速道路の地下化を実現できないものだろうか。

 

 現在、神戸では、新港突堤の再開発が進められている。今後、この地区に建ち並ぶ倉庫群は、いったんすべて撤去されることになるはずだ。これはめったにない、きわめて貴重な機会であると思われる。早急に計画を立案し、ルート部分の敷地を確保すれば、さほどの難工事を要することなく実現が可能なのではないだろうか。幸いなことに、みなとの森公園も大きな空地となっている。この機会に、みなとの森公園から新港町、メリケンパークを経て、神戸駅前付近辺りまでの高架道路を抜本的に整理、移設し、これまで分断されていた市街地と港を一体のものとする再開発を、神戸の都市計画百年の計として行ってはどうだろうか。

 阪神高速道路が市街を分断して、すでに50年以上を経過している。いずれ、リニューアルの計画も出てくるに違いない。この機会に、京橋パーキングエリアごと、移設できないだろうか。

 さらに、タイミングがよいことに、最近、京橋付近で、幕末の勝海舟坂本龍馬ゆかりの海軍操練所の遺構が発掘されている。これは、日本の近代化の曙光ともいうべき我が国の重要な歴史的遺産である。この復原を一つの目標として、国家的事業として計画を進めてはどうだろうか。

 

 勝海舟の提案で幕末の1864年に幕府が開設した神戸海軍操練所とみられる石積み防波堤などが神戸市中央区新港町で見つかり、26日、神戸市が発表した。

 市によると、幕末に開港した5港(函館、横浜、新潟、神戸、長崎)のうち、開港時の遺構が発掘調査で確認されたのは初めてという。

 操練所は海軍士官養成や艦船修繕のためのドックもあり、坂本龍馬陸奥宗光らが学んだという。倒幕を目指す浪人らもいたため、反幕府的とみなされ、1年で閉鎖されたが、操練所跡を土台に港湾施設が建設され、68年に開港、その後の神戸港の礎となった。

 

日本経済新聞 2023/12/27)

 

 

 新港突堤の界隈には、神戸の代表的な近代建築である神戸税関本館や旧神戸生糸検査所(現デザイン・クリエイティブセンター神戸)などがある。しかし、現状はこれらを覆い隠すように、阪神高速道路等の高架が錯綜している。もしも、これらを撤去することができれば、市街地と港の文字通りの一体化が実現し、神戸の市街地に開放的な広がりと重厚感を与えることができるだろう。

 

 実現するためには多額の費用を必要とするだろう。しかし、これは、実現する価値が十二分にあることだと思う。実現するまでに長い時間を要するだろうが、しっかりと計画をつくり、着実に事を運ぶならば、いつの日か、開放的で美しい、神戸の市街地が姿を現し、それは市民の誇りとなるだけではなく、日本、世界の人々に愛され、多くの人々が訪れる場所になることだろう。何事も、ビジョンと熱意が重要だ。想像すること、願うことなしに物事が実現することはない。神戸市は、そうした未来の神戸のための大きなビジョンを提示してほしい。

 




 

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