美食の街・神戸

 

 神戸は食べ物がおいしい街である。その多様性と質の高さで、日本屈指の美食の街であると言っても過言ではないだろう。

 神戸のすばらしさは、それらが一部の高級レストランや料亭だけで提供されるものではないという点である。三宮や元町の有名店はもちろん、住宅街のベーカリーや洋菓子店、街角の喫茶店、小さな中華料理店や居酒屋に至るまで、高い水準の味覚がそこかしこにあふれ、市民の生活に根付いている。

 

 神戸の食については、世界に名高い神戸ビーフをはじめ、灘の酒、パンやスイーツ・カフェ、中華街の中華料理など、ガイドブック等でも紹介されているが、それが一つの都市像にまで結び付いていないように思われる。おいしい飲食店があるという情報だけでは、神戸という都市とその他の都市との違いをうまく差別化できていないのではないか。

 神戸の食文化は神戸を他の都市から際立たせる非常に重要な特徴である。観光振興や都市の発展の観点から、この特徴を言語化し、もっと全国、世界にアピールできないものだろうか。

 

 なぜ、かくも多様で上質な食文化が神戸に生まれたのか。

 神戸が美食の街となった要因を考えてみた。

(1)我が国を代表する国際港湾都市として発展した歴史の中で、様々な国籍の人々が訪れ、暮らし、多様な外国人社会がうまれ、世界中の食文化が市民に自然と親しまれるようになった。

(2)山と海に抱かれた穏やかで美しい風土は、港の経済的な繁栄に伴い、市民が生活を楽しむ文化をはぐくんだ。

(3)神戸は関西と中国四国とをつなぐ十字路の位置にあたり、瀬戸内海だけではなく、日本海、太平洋の海の幸、西日本の山の恵みが自然と集まる環境にあった。

(4)宮水、神戸ウォーターとして名高い六甲山麓の良水に恵まれ、繊細な味覚をはぐくんだ。

(5)神戸は我が国の文化的先進地帯である関西文化圏に属し、京都や大阪にも近く、関西の洗練された食文化の土壌があった。その中でも取り分け豊かな阪神文化圏の中心地として、豊かな消費生活が花開いた。

(6)それらの環境のもと、味覚の肥えた市民の厳しい目が、何世代にもわたり料理人の技を研ぎ澄ませ続けた。

 

 神戸が日本屈指の美食の街であるのは、こうした要素が有機的に結びつき、発展したという奇跡的なめぐりあわせがあると考えられる。

 

 ところで、神戸は国内有数の美食の街であるにもかかわらず、インバウンドで人気の京都、大阪、札幌、福岡ほどにも知名度がないように思われるのはなぜだろうか。

 

 これらの都市の名前を聞くと、すぐに次のようなイメージが頭に浮かぶ。

 札幌:北海道の味覚の宝庫、札幌ラーメン、ジンギスカン

 京都:日本料理の精華

 大阪:食い倒れの街

 福岡:博多ラーメン、屋台、九州の味覚の宝庫

 

 上記の都市の食のイメージはとてもつかみやすい。これがブランド力というものだろう。

 

 神戸は、この点において都市の十分なイメージ化、ブランド化ができていない。西洋料理、中華料理など、種類が豊富なことが逆に単一の都市像を結ばせることを妨げる結果になっているように思われる。これは神戸の都市全体のブランド化にも通じる問題である。

 

 神戸の本当の食の豊かさをなんとか言語化し、神戸の食ブランドを形成することができないだろうか。

 

 そこで、次のような紹介文を考えてみた。

日本と世界の食文化が交差し融合する「美食の街・神戸」

 

 美しい山と海に抱かれた日本を代表する国際港湾都市・神戸。関西の洗練された食文化を土台に、瀬戸内海・四国・日本海などの豊かな海・山の幸が集まり、世界各国の食文化を受け入れてきた街。長年にわたり良質な食材と料理に親しんできた人々の豊かな暮らしが食を磨き上げ、神戸は日本と世界の食文化が交差する国内屈指の美食の街となりました。

 

 これを美食の街・神戸の全体像を表す紹介文とし、それに続けて神戸で味わえる味覚の種別を列記、紹介する。

 

(神戸で味わえる味覚)

 

1 世界に名高い「神戸ビーフ」

2 我が国第一の酒どころ「灘の酒」

3 瀬戸内海、太平洋、日本海の海の幸

4 ぼたん鍋などの山の幸

5 伝統の日本料理

6 神戸で花開いた西洋料理

7 本場の中華料理

8 ハイカラ神戸のパン、スイーツ・珈琲・紅茶

9 インド、タイ、トルコ、ドイツ、ロシアなど世界の料理

10 お好み焼きや明石焼き、うどん・そば など庶民の味

 

 

 この項目の下にそれぞれのおすすめの店も掲載すると、観光客がこれを順に楽しむことができるだろう。これだけ多彩だと、全部味わおうと思っても、一日や二日ではとても無理だろう。

 このように、ガイドブックやホームページ等で説明をすると、料理単体ではなく、なぜ、神戸にそのような食材や料理が集まったのかが理解できるし、何を食すべきかもよくわかる。

 飲食店の一つ一つを取り出せば、どこかの都市にもあるかもしれない。しかし、このように並べてみるとまさに百花繚乱で、これだけのものが1か所に集まっている街はやはり珍しいのではないか。

 神戸の魅力は単一の名物料理にあるのではない。日本と世界の食文化が出会い、磨かれ、多様な味覚が高い水準で共存していることにある。これこそが「美食の街・神戸」の本質なのである。

 

 

神戸の異人館について

(トーマス邸(風見鶏の館))

 

(ハンター邸)

 

(うろこの家)

 

(萌黄の館)

 

(英国館)


 神戸の代表的な観光地に北野異人館街がある。異人館とは幕末から明治時代以降に欧米人が居住した建物を言い、神戸以外にも長崎や横浜など各地にもあるが、神戸の異人館はその代表ともいうべき質と量を誇っている。神戸の異人館は、戦災や震災で多く失われたものの、今なお多く残っており、それらが単体ではなく街並みを形成しているところに大きな特徴がある。

 そして、もう一つ特徴は、デザインが多様で建物の個性が際立っていることである。神戸の代表的な異人館で風見鶏の館の呼び名で知られるトーマス邸は、屋根に戴く風見鶏だけではなく、レンガの色彩が鮮やかでメルヘンチックな華やかさがある。グラバー邸で有名な長崎の異人館群とも明らかに異なる個性を持っている。

 なぜ、神戸の異人館は、かくも華やかで多様なのであろうか。

 

1 神戸に集まった外国人の多様性

 神戸の外国人居留地には、イギリス、ドイツ、オランダ、アメリカ、フランス、イタリアなど、当時の国際情勢を反映して、イギリス人が最も多かったのであるが、その他の欧米各国の商人も拠点を構えた。この国籍の多様性が、建物の多様性に反映している。

 

2 経済的な繁栄

 華やかで意匠を凝らした建築を可能とした外国商人たちの富、経済的成功が土台にある。

 

3 居留地の狭さ

 神戸の外国人居留地は、幕末の混乱期に誕生したという事情から、面積が横浜と比べてはるかに狭いものだった。神戸港の発展につれ、その範囲内だけでは収まらず、あふれる部分は雑居地とされた周辺部に展開する形となった。それは、職場と住居の分離、すなわち職住分離を生む要因となった。

 

4 異人館の成立時期

 長崎は、1859年に開港場となり、その後幕末から明治時代初期(1890年代)に多くが建設された。この期間は、まさに幕末から明治維新という激動の時代にあたり、おそらく政情も不安で、治安も必ずしも良いとは言えない情勢であった。そのため、家族で生活するというような落ち着いた状況でなかったものと想像される。

 一方、神戸は1868年という、まさに明治維新の年に開港し、神戸事件などの混乱もあったが、次第に政情が安定し、我が国の経済も発展していく時代に建設されたものである。神戸の代表的な異人館の建築年を見ると、ハンター邸は1889年、萌黄の館が1903年、トーマス邸、うろこの家は1905年と、北野町の異人館は1890年から1910年頃にかけて多くが建築されている。

 

 この時期の神戸の外国人の居住状況にはどのような変化が起きていたのだろうか。そのことを考える数字がある。次の表は1889年と1900年における神戸における外国人の居住状況を表したものである。

 

(神戸における外国人の居住状況)

 

 

 表からは次のことがうかがえる。

 

(1)1889年当時は、外国人は、居留地外に住居を構える者はまだ少なく、居留地内に住居を置き、職住未分離の者が多かった。一方、1900年になると、それが逆転し、住居を居留地外に住居を構える方が多数を占めるようになる。神戸の発展と社会の安定化が読み取れる。

(2)注目すべきは、男女の比率である。1889年当時は、合計308人でうち男性が251人と、女性は57名にしかすぎない。しかし、1900年になると、合計709人のうち男性が531人、女性は178人と女性の実数が大幅に増加し、その多くが居留地外で増えているのがわかる。これは、政情の安定により、以前はまだまだ安心して生活ができなかった日本に、家族を呼び寄せて生活の場を構えるようになったことが考えられる。そして、居留地内に職場を置き、住居を居留地外に置く「職住分離」の形態をとる者が多くなった。職住分離は、仕事の場と生活の場を切り分けることにより、安らぎや社交、趣味の要素がより鮮明に表れるようになった。そして、当時は、おそらくは、家庭は女性たちが主に生活や社交を行う場であり、より女性たちの好みにあった建物が設計されるようになったのだと考えられる。

 

 そして、家族生活においては、子供たちが生まれ、育つようになると、その傾向がますます顕著となり、異人館はまさに、富裕な貿易商たちが、安らぎ、社交する場としての役割を果たしたものと考えられる。そのため、貿易商は、贅をつくした華やかな様式の建築を、競うように建設をしていったものと考えられる。

 たとえば、トーマス邸(風見鶏の館)の内部を見ると、応接間や寝室などの他に、子供部屋の様子が再現されている。館内には、トーマス家の一人娘エルゼの当時の写真が飾られている。すなわち、トーマス邸は、妻と子供が一緒に生活をする場として建設されたのだ。

 

(トーマス邸の子供部屋の様子)

 

 北野の異人館街を歩いて感じたことであるが、華やかな異人館であるが、案外に路地が狭く、高い塀に囲まれているので、外からその姿が見えないものが多い。これは、一般の人々に見せるためではない住居という性質があるが、その一方で商人間の社交は盛んにおこなわれ、互いに華やかな邸宅を建築し、自らの出身国の文化を誇示し、その富を競い合ったものと想像する。

 わが国最初といわれる、例えば、マラソン、サッカー、ゴルフ、登山など多くの娯楽やスポーツが神戸からもたらされたことは、生活を楽しむ文化が花開いていたことを物語っている。これは現在の神戸にもつながる視点であろう。

 

 異人館は日本人にこそ珍しく、日本を観光で訪れる外国人には興味の対象外であるという人がある。しかし、北野の異人館街を訪れてみると、意外に外国人が多く、欧米系の外国人の姿も多く見かける。

 神戸の異人館は、単に日本で欧米人たちが住んだ住居というだけではなく、神戸の風土や発展の歴史を反映した独特の個性がある。そして、そこで実際に暮らした人々のドラマがある。それはもっと見直される価値があるし、大切に守っていかなければならないものだと感じる。

 

 

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神戸の繁華街

(夜の生田筋の様子)

 

 神戸というと、JAZZやカフェ、スイーツなど、全般的に上品で大人しい印象がある。それはそれで間違ってはいないのだが、神戸にもやはり繁華街がある。最大の繁華街は、阪急三宮駅北側一帯の、北長狭通、生田筋、生田新道、東門筋、北野坂などの一帯である。実際に行ったことがある人ならわかるが、表通りだけではなく、細い路地に至るまで、高層の飲食店ビルがひしめくように立ち並び、びっしりと飲食店が張り付いている。往来には夕刻になると多くの人々が集まり、深夜までにぎわう眠らない街である。特に週末ともなれば人があふれるようで大変なにぎわいだ。最近は、外国人観光客の姿も多くなり、その影響か、特に神戸ビーフの店舗が頓に増えたような印象がある。

 その規模は、ざっと東西400メートル、南北300メートルにも及び、東京、大阪には一歩譲るとしても、その数、内容が充実していることにおいては全国有数の繁華街といえるのではないだろうか。しかし、先述のとおり、神戸の街は一般にそういうイメージでは捉えられておらず、夜も静かで落ち着いた上品な街として描かれることが多い。神戸の観光当局も、これまでは、こうした繁華街をあまり積極的にPRしてこなかったことがあるのかもしれないが、これらもまた神戸の一つの実際の姿である。

 ここは神戸の美食の宝庫で、西洋料理、中華料理、インド料理にトルコ料理などの世界の料理、神戸ビーフに瀬戸内海の海の幸、日本酒、洋酒、地ビール、お好み焼きに明石焼きなどの神戸地元の味覚など、旅先でのナイトライフを求める観光客にはうってつけの場所である。駅のターミナルからほど近く、北側(山側)を見れば六甲山の電飾も見えるので、決して道に迷うことがないのも安心である。

 何も神戸の上品でおしゃれなイメージを壊そうというのではない。神戸は様々な顔を持っている重層的な街なのだ。上品で洗練された場所もあれば、猥雑で熱気あふれる街もある。それは決して神戸のイメージを損なうものではない。むしろ、神戸をインバウンドの滞在拠点として売り出そうと思うなら、なんでもそろっていることは大きなセールスポイントになりうる。

 

 では、なぜ、こうした三宮の繁華街が、これまで全国的に名の通った繁華街として認識されてこなかったのだろうか。理由を考えてみた。

 

(1)これまで、これらの繁華街が、単に「神戸」や「三宮」とひとくくりに呼ばれることが多く、地理的なエリアとして認識されてこなかったことがあるだろう。大ぐくりになってしまうと、そこにはオフィス街やショッピング街、さらには山手の異人館街も含まれるため、繁華街の印象が希薄になってしまう。その結果、冒頭のおしゃれなバーやカフェ、などの静かな街が前面に、イメージが上書きされてしまうことになる。

(2)エリアの認識もなければ、その街に対する名前も定まらない。せいぜい、その中の「通り(ストリート)」について、北長狭通、生田新道、生田筋、東門街などの呼び名はあるが、どうしても小さな単位の名前になってしまう。それではなかなか、この三宮の繁華街のスケールが表せない。

 実際に神戸の観光ガイドブックを読んでみても、個別の店舗は紹介されることはあっても、三宮の繁華街という観光名所として案内されていない。比較のため大阪の観光ガイドブックを読んでみると、こちらでは、観光名所として、道頓堀、新世界、アメリカ村、北新地などが「繁華街」というひとまとまりのものとして紹介されている。

 つまり、神戸の繁華街は神戸の観光名所ということではこれまで認識されてこなかった。その結果、神戸はナイトライフを楽しみたい観光客をひきつけることが十分できていなかったのではないだろうか。

(3)その結果、繁華街が神戸の観光名所として認識されず、ブランド化もできていなかったのではないだろうか。

 一方で、こうしたブランド化が成功し、神戸の有数の観光名所となっているのが南京町である。もともとは元町商店街の裏通りであったが、街区全体を中華街と位置づけ、楼門や東屋など統一的な街づくりを行うことによって今では神戸を代表する観光地となっている。

 

 余談であるが、神戸の観光振興の方向性として、街歩きを薦めるのであれば、もっとエリアを明確に打ち出すことが必要ではないか。例えば、北野町・山本通、三宮センター街、旧外国人居留地、元町通、ハーバーランド・メリケンパーク、新港町ウォーターフロント、そして繁華街たる生田新道である。いわゆる、ハイカラな神戸を見るなら北野町・山本通、ショッピングをするなら三宮センター街、旧外国人居留地などと案内に便利である。これらのエリアはかなり個性的で、まったく異なる街である。神戸を知ろうと思うと、このすべてを巡っていくことが必要となる。現在の神戸の観光ガイドブックを読むと、店舗単位、観光施設単位の案内となっている場合が多く、「街」の案内になっていないように思われる。

 

 こうした状況を変えることはできないだろうか。

 

 その方策として次のようなことが考えられる。

 

(1)繁華街に地理的エリアを認識すること

 こうした繁華街を、これまでの「通り(ストリート)」ごとではなく、繁華街としての性格の共通性が高いエリアを一つの「街」として認識することだ。このエリアとして、おおまかに考えると、阪急三宮駅の高架下から北は山手幹線、東はフラワーロード、西はトアロードまでがこの三宮の繁華街と捉えられる。

 

(2)繁華街に統一的な呼称を定めること

 この「街」に統一の呼称を与えることだ。これによって、街のブランド形成が可能になる。何かよい呼称はないだろうか。全体的には神戸のルーツともいうべき生田神社の周囲に密集している繁華街なので、「生田」を冠するのが全体をよく表し、わかりやすいのではないかと思う。例えば、一つのアイデアとして三宮の繁華街を東西に貫く「生田新道」(いくたしんみち)を、この三宮の繁華街全体の呼称として統一し、地区全体のブランド化を図ればどうだろうか。

 

(3)街のシンボルを設置すること

 いったん、ブランドが確立すると、ブランドを象徴するイメージも確立していくだろう。例えば、生田神社は従来から観光名所でもあるが、繁華街のシンボルとすれば、古式ゆかしい神社に繁華街というギャップが面白いのではないか。

 また、街の歴史を説明する表示や標識の整備をすれば、街の物語性を高めるきっかけにもなる。例えば、生田神社の由来、開港後の外国人が設置した神戸競馬場の跡地、外国の船員が好んで出入りしたという歴史の案内などもが考えられる。

 

 他都市の例もみると、大阪の「グリコ看板」や札幌の「ニッカおじさん」などが街のシンボルとして有名である。札幌を訪れてみると、「ニッカおじさん」付近の交差点では、多くの人々が昼夜を問わず、看板をバックに記念撮影をしている。

 

(札幌の「ニッカおじさん」)

 

 神戸の繁華街でも、街のシンボルとなりうるようなアイコンを考えられないだろうか。デザインがすぐれ、色彩的に鮮やかで、一度みると強烈な印象を残すもの、なおかつ、さすがは神戸だと言われるようなおしゃれなもの、こういったものがアイコンにふさわしい。なにか考えられるであろうか。

 これらを神戸の繁華街の入り口、または十字路の部分に掲げる。候補地としては、阪急三宮駅前のステラビルの大型ビジョンの位置、生田筋の入り口部分、あるいは東急ハンズがあった跡地にビルが建設されたら、その壁面に、大型の看板、電飾を設置する。その看板に多くの人々が集まり写真を撮影し、それを拡散してもらえたら、ますます観光地としての評判が高まっていくに違いない。

 神戸にゆかりがある企業で、ここに三宮のシンボルになるような看板を出すものはないだろうか。もしも、それが観光客の目を引き、認知されるなら、国内はもとより世界に画像が広がるはずだ。どこか、これに挑戦する企業はないだろうか。

 

 こうした取り組みが進めば、街全体のブランドが確立し、観光客はいよいよ集まり、それに応じてますます多様な店舗の集積が進むだろう。そして、集客と集積という好循環が生まれると、街がますます発展していくに違いない。

 現在でも、この界隈で見かける旅行者や外国人の姿は多い。都市を訪れる人々は、やはり地元の食や味覚に対する期待が大きいのだ。こうした期待に応えるためにも、しっかりと情報を発信していくことが大切だ。

 神戸の観光客はリピーターが多いという。それは、神戸が一通りでなく、多様な魅力があると訪れる者が感じているからではないだろうか。また、神戸に暮らすとその魅力に取りつかれる者も多い。その多様な魅力をいかに適切に言語化し、伝えるかが神戸の観光政策の課題ではないだろうか。

 

(生田新道の夜)

 

(東門街のゲート)

 

神戸布引ハーブ園/「ザ・ヴェランダ神戸」の絶景

 

ザ・ヴェランダ神戸

 

2026.4.25 Renewal ラグジュアリーな絶景空間が誕生

エレガントに、心潤す

Concept
「ザ・ヴェランダ神戸」は、標高400メートルに位置し、
眼下には神戸、阪神間の街並み、そして豊かな緑と煌めく海が広がります。
古き良き神戸の洋館のイメージとモダンなカフェやバーが融合。
森に浮かぶテラスにはクラシックでラグジュアリーな絶景空間がひろがります。

 

(神戸布引ハーブ園 ホームページ)

 

ザ・ヴェランダ神戸(The Veranda at Kobe) – 神戸布引ハーブ園/ロープウェイ

 

 神戸の布引ハーブ園は、新神戸駅からほど近く、美しい季節の花々とともに手軽に神戸の眺望を楽しむことができる人気観光スポットである。この布引ハーブ園に2026年4月、ザ・ヴェランダ神戸が誕生した。

 ザ・ヴェランダ神戸は、ロープウェイの山頂駅から少し下ったグラスハウスのその先に、山腹から市街地に向かってせり出すように設置されている。メインのテラスから渡り廊下や階段で結ばれた複数の多角形のデッキから構成されている。デッキには椅子とテーブル、ソファやパラソルが設置され、壮大な景色を楽しみながらお茶やカクテルを味わうことができる。デッキの周囲には水色のタイル張りの水盤が設えられ、その水盤の向こうに神戸の市街地が広がっている。山の緑に囲まれ、その先に近代的な都市と海が広がる、神戸ならではのドラマチックな景観を楽しむことができる。こうした山・都市・海が一体となった雄大な眺望景観はまさに絶景であり、その景観は全国屈指といえるのではないだろうか。

 来園者には外国人の姿が多くみられ、むしろ日本人よりも多いくらいだ。外国人の家族連れが、ドリンクを飲みながらゆったりと時間を過ごしている。

 園内は、季節ごとの花が美しく咲き、年間を通して楽しむことができる。ほんのわずかな距離で、都会の喧騒を離れて、美しい景色と落ち着いた時間を過ごすことができる神戸のすばらしさを凝縮したような観光地だ。

 布引ハーブ園は、開園からすでに30年以上になる。これまで眺望の中心となっていたのは山上駅付近であるが、ここは眺望地点がやや奥まっており、市街地の景観を間近に感じるという点では、やや物足りないところがあった。今回誕生したザ・ヴェランダ神戸は、市街地側に大きく張り出した位置に設けられたことで、神戸の街をより近く、迫力をもって眺めることができる。六甲山や掬星台など、神戸には数多くの絶景ポイントがある。その中でも、景観のすばらしさとアクセスの良さを合わせれば、ザ・ヴェランダ神戸はナンバーワンといっても過言ではないように思われる。

 積極的にPRして、多くの人に訪れてもらいたい。神戸を代表する新たな眺望スポットとして、自信をもっておすすめできる。

 

 

 

 

JR三ノ宮駅のコンコース

 JR三ノ宮駅は非常に狭い。とても150万都市の表玄関と思えない狭さである。そのメインとなる中央改札前のコンコースにしても十分な広さがあるとは言えない。神戸の街を初めて訪れる者は、まず、その駅の狭さに驚くのではないだろうか。もともと十分な面積がないところに、券売機に並ぶ人の列があったり、さらには物販、時にはイベントにも使われていることもある。加えて、最近では大きなトランクを運ぶ人も多く、非常に窮屈で圧迫感がある。

 そのコンコースの中央にはキオスクがあり、これが単なるブース程度の代物ではなく、コンテナハウス様の構造物が通路の中央を塞ぎ、人々の往来を塞いでいる。三ノ宮駅は1931年に建設されたレトロな建物で、構内には装飾を施した荘重な円柱が並んでいるのだが、このコンテナハウスがせっかくの柱を囲むように設置され、列柱の一列のおおよそ半分を覆い隠している。列柱はこの西側にもあるのだが、こちらは店舗に取り込まれてしまって全体を見ることができない。これらがすべて見渡せると、駅の風格も格段に上がると思うのだが、残念なことだ。ちなみに、ここは映画「火垂るの墓」の1シーンにもなっており、観光名所になってもおかしくない場所だ。

 

 ぎりぎりまで営業の用に充てたいとする意図はわかるのだけれど、やはり駅は公共スペースでもある。この都市の表玄関ともいうべき三ノ宮駅のコンコースのかくも手狭な状態は、外部の訪問者に対して来街を拒むような印象を与えるのではないかと思う。すなわち、神戸の街は「手狭である = 発展の余地が乏しい」という印象を増幅させる装置になっているのではないかと思える。神戸の市街地は、実際には、港湾部や神戸空港まで合わせると、決して狭い都市ではない、むしろ巨大ともいえる都市である。しかし、神戸の街を語るときは常に、「山と海に挟まれた狭い市街地・・・」と決まり文句のように説明される。

 しかしながら、全国の大都市を見回して、これほど、都心のターミナルが狭小である例はないと言い切ってよいだろう。都市にとって駅は、文字通り、都市の玄関であり、顔である。駅を降り立った印象がその都市全体の印象を形成する部分は大きい。そのため、国内の大都市はいずれも、都心のターミナル駅の整備に力を入れている。京都駅、大阪駅、広島駅、名古屋駅しかりである。そういう意味で、神戸は非常に損をしているし、最近の「神戸停滞論」に拍車をかけているように思われる。

 三ノ宮駅のコンコースは、文字通り神戸の「ボトルネック」になっている。ボトルネックとは、瓶に水を注ごうとした場合に、瓶の全体にはまだまだ容量があるにもかかわらず、水の注ぎ口が細くなっているがために、それが制約となり、水があふれてしまう状況を表す言葉である。都市の人流も同様に、まずは入口に十分なスペースを確保しないと、街に人を集めることはできないのではないだろうか。神戸の街の賑わいのためには、もっともっと多くの人々を集めなければならない。その場合に、「広さ」は絶対的に必要である。神戸の都市のキャパシティのためにも、さらには街の美観のためにも、ぜひ十分なスペースを確保してほしい。

 三ノ宮駅は都心の中の都心、都市活動の起点、ゼロポイントといえるほど重要な場所である。現在、新しいターミナルビルの建設が進められているところだが、既存の駅舎のコンコースについて大きく見直されるという話は聞こえてこない。ぜひ、新ターミナルビル建設の機会に既存の駅舎の機能も再配分を行い、現在の中央コンコースに十分な広さをもった空間を確保してほしい。そこに、多くの人々が集まり、四方へ人が流れていくスクランブル交差点のような、機能性と象徴性を持った場所にしてほしい。具体的には、たとえば、中央改札口西側の店舗はフラワーロードに至るまですべて撤去するほどの大空間を確保し、都市を象徴するような風格のある広場にしてはどうだろうか。もし、そのような広場ができるならば、三ノ宮駅だけではなく、神戸の街全体の印象をも大きく変えることになるに違いない。

 

(現在のJR三ノ宮駅 中央コンコース)

 

(JR三ノ宮駅 中央コンコースのキオスク)


(名古屋駅 自由通路)

 

(広島駅)

 

(岡山駅 東西連絡通路)

 

神戸は「夜が遅い都市」になれるか(後編)

 前回の議論において、神戸が「夜が早い都市」から脱却し、ナイトタイムエコノミーを活性化させるためには、単発の夜間コンテンツ拡充以上に、「神戸市への宿泊客(滞在人口)を増やすこと」が先決であるという結論に達した。需要(宿泊者)のないところに供給(夜の賑わい)は定着しないからだ。

 

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 では、大阪の「日帰り圏」という既存の図式を打破し、福岡や札幌に匹敵する規模へと宿泊客を増やし、「夜が遅い都市」へと変貌させるためにはどうすべきか。その具体的な方策を考えてみた。

 

1.「関西旅行」の概念の明瞭化とプロモーションの転換


 遠方の東日本や九州南部、あるいはインバウンドの旅行者にとって、通常、関西観光は都道府県単位ではなく「京阪神という同一都市生活圏(同一周遊圏)」を舞台にした一体的な旅行である。それらの地域にとって、やはり関西というのは遠方であるので、移動のコストも時間もかかる。したがって、旅行を計画する際には、2泊以上の複数日の日程を組んで、圏内の複数の観光地を巡るのが合理的だと考えられる。このことは、関西に住む我々が、北海道や東北、海外旅行をするときのことを考えると容易に想像がつく。そうであるとするならば、旅行計画の最大のポイントは「どこを旅のベース(宿泊地)に選ぶか」という拠点選択にある。

 神戸市民は通常、大阪や京都に宿泊せず、日帰りで楽しんでいる。「大阪・京都は日帰りで十分。神戸を拠点にすれば関西全域が快適に回れる」という事実を強力なキャッチフレーズとして打ち出し、神戸を関西周遊のハブとして再定義する。

 具体的には、神戸の観光キャンペーンでは、神戸の観光名所だけでなく、周辺の姫路、大阪、京都など観光名所もカタログのラインナップとしてPRするべきだということである。

 

 神戸の周囲には日帰り観光が可能な観光資源が目白押しである。京都、奈良などの古都、姫路城や彦根城、琵琶湖・竹生島等の国宝、USJ、天橋立、宮島(厳島神社)と、日本三景のうち二つまでが日帰り観光可能だ。神戸はこれらの観光地から中心地的な場所に位置している。(つまり、どこに行くにも便利な場所である。)

30分:大阪、明石、有馬(日本三名泉)
60分:京都、滋賀、姫路、淡路、岡山*
90分:奈良、福知山、広島*、名古屋*
120分:鳴門(鳴門のうず潮、大塚国際美術館)、舞鶴、岩国(錦帯橋)*
150分:天橋立(日本三景)
180分:宮島(日本三景)*

 * は新幹線利用の場合

 

 たとえば、3泊4日であると、初日は神戸の六甲山、2日目は京都(清水寺や二条城、市街地など)または大阪のUSJ、3日目は姫路(姫路城)、明石(魚の棚)、4日目は大阪や神戸の市街地 というようなルートが考えられる。日程が長くなれば、それだけ周遊の範囲は拡大する。

 

(日本交通株式会社 高速バス の広告用リーフレット)

 今後、神戸発着のバス路線、観光バスツアーの育成、クルーズ船の就航を図ると、相乗効果的に神戸の観光の拠点性が高まっていくだろう。

 

 

2. 交通結節点の拡充と「手ぶら観光」の徹底追及

 

 三宮エリアのバスタ(西日本最大級のバスターミナル)整備と並行し、京都駅などで実績のある「クロスタ(Crosta)」のような手ぶら観光のための荷物一時預かり・宿泊施設への配送サービスを三宮に誘致・整備し、宿泊を伴う周遊観光の最大のネックである「荷物の負担」と「移動の煩雑さ」を、インフラの力で根本から解消する。 これにより、到着した瞬間から重い荷物から解放され、身軽に街歩きや夜の街へと出かけられる環境を構築し、滞在のストレスをゼロにする。つまり、三宮到着から、旅行者の周遊が始まることになる。

 

 

3. 関西のラスト・ステーション:「大規模土産物センター」の建設


 旅行者は旅の最後に「まとめてお土産を買う」という行動傾向を持っている。地方の巨大空港(新千歳空港、那覇空港など)が圧倒的な規模で土産物等を集積させている仕組みを三宮に導入する。

 具体的には、関西圏全域の土産物がすべて揃う拠点をコンセプトに整備する。現在でも、新神戸駅では、他地域銘菓(伊勢の赤福や京都の八つ橋など)が販売されているように、三宮のバスタに「関西全域の銘品・土産物がすべて揃う巨大な土産物センター」を建設する。

 これにより、「手ぶら観光」と連動させ、旅の最後にバスタで関西全域のお土産をまとめて購入し、自宅へ直接配送する利便性を提供する。関西圏を離れる際に最後に立ち寄りたい場所を目指す。

 

 

4. 圧倒的な「宿泊環境の良さ」の訴求:朝夕の散歩と朝食カフェ


 ハード面の利便性に加え、大都市・大阪や観光地・京都の喧騒にはない、神戸ならではの「滞在の豊かさ」をアピールする。

 コンパクトな地形に洗練された街並みが広がる神戸では、夜のライトアップされた旧居留地やウォーターフロント、朝の爽やかな海風や六甲山の緑を感じながらの散歩そのものが極上のリゾート体験となる。

 神戸では、西欧料理や中華料理、インド料理、トルコ料理など、世界の料理が味わえる。神戸ビーフ、日本酒、瀬戸内海の海の幸、洋菓子、和菓子、お好み焼きやたこ焼き、明石焼きなどの庶民の味まで、すべてがそろっている神戸は、旅行者を受け入れるには最適である。 古くから根付く洋食・コーヒーや紅茶、パンの文化を活かし、「神戸での朝食」をアピールすれば、神戸宿泊の理由が強化されるだろう。

 

 

5.まとめ
 これらの施策が有機的に連動し、長期的な都市計画として結実したとき、神戸の宿泊客は顕著に増加すると考えられる。それによる滞在人口の増加こそが、結果として街に夜遅くまでの賑わいをもたらし、神戸を真の「夜が遅い都市」へと生まれ変わらせる道である。

 将来的な目標としては、この分野の先行都市である福岡市や札幌市のレベルにまで宿泊客数を増やしたい。それは、現状の倍増を意味する。そのためには、まだまだ多くのホテルを誘致しなければならない。

 この目標は過大だと思う人があるかもしれない。しかし、次のように考えるならば、必ずしも過大とは思わない。関西圏は国内最大の観光資源集中エリアなので、宿泊需要は北海道、九州をはるかに超える。それが現在の大阪の巨大な宿泊需要を生んでいる。大阪の需要は優に神戸の5倍(注)を超える。関西圏全体への巨大な観光、宿泊需要を想定するならば、その一部を分担するとして、倍増は不思議でない。むしろ、到達点から考えなければ、行動変容を促す論考になり得ない。

 こうした目標のもと、民間事業者とも方向性を共有し、着実に取り組みを進めるなら、長期的には実現は可能であると考える。

 

 これまでは、神戸単独で観光誘致をしようとしてきたが、神戸に観光施設をつくることではなく、関西圏全域を観光する、そのための利便性を追求するべきだ。進めるべきは「神戸からの関西旅行」である。つまり、神戸は観光の目的地ではなく、圏内における出発点になり、帰還する場所になることだ。この取り組みのキャッチフレーズとして、「始まりはいつも神戸から」、というのはどうだろうか。

 これまでも、一般に、「京都で学び、大阪で働き、神戸に住む」が関西人のライフスタイルの理想とされてきた。その「関西スタイルの体験」を旅のテーマにすれば、観光客の理解が得られやすいのではないか。

 

 ターゲットとしては、関西から遠方の北海道、東北、北関東、インバウンドの東アジアなどが、神戸空港の就航先との親和性もあり、有望だと考えられる。それは、神戸空港の飛躍にも大きく寄与するだろう。

 

 これは、夢物語だろうか。筆者はそのようには思わない。なぜなら、神戸はもともと、そういう都市として選択、設計されているからだ。すなわち、西日本全体の世界への玄関として長年君臨してきたのだから。市内の行政、事業者が発想を転換して、取り組めば、神戸は関西の観光拠点の一角を確実に占めるようになる。そのパイは巨大だから、神戸は札幌や福岡に負けない国際観光都市に変貌するはずだ。

 

(注)延べ宿泊人数

神戸市  総数 7,757千人  うち、外国人:1,407千人(2025年 神戸市延べ宿泊者数)

大阪市  総数 50,534千人  うち、外国人:23,888千人(大阪府地域別 延べ宿泊者数 2024年)

 

 

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神戸は「夜が遅い都市」になれるか

 神戸は「夜が早い都市」だといわれる。「夜が早い都市」とは、夜7時も過ぎると急に人通りが少なくなり、ショッピング街も8時ころまでにはおおかた閉店をしてしまうような都市のことである。逆に、夜遅くまで人通りが絶えず、商店も遅くまで営業をしているような都市は「夜が遅い都市」と呼ばれる。

 この「夜が遅い都市」としては、東京、大阪は別格として、福岡や札幌、名古屋などが思い浮かぶ。これらの都市を訪ねると、夜9時を回っても多くの人々が街中を歩き回り、神戸の日中の繁華街にも劣らない群衆がにぎやかに闊歩しており、自然に、ショップも遅くまで営業し、その繁華な様には圧倒されるような思いだ。

 神戸も、阪急三宮駅北側の一角、サンキタ通りや東門筋など巨大な飲食街があり、日付が変わる時間になっても多くの人々が行き交っており、決して夜が早いだけの都市ではないのだが、神戸を代表する繁華街である三ノ宮センター街や元町商店街も夜は8時頃になると人気(ひとけ)が少なくなり、店舗は閉店してしまう。このような姿を見ると、上記の諸都市と比べるとその差は歴然としている。

 神戸市でも、こうした課題を捉え、都心の夜の賑わいの向上を、「ナイトタイム・エコノミー」の活性化として取り組んでいるようだ。

 

ナイトタイムエコノミー活性化の取り組み


「令和8年度ナイトタイムエコノミー推進事業補助金」応募受付開始


 本市においてナイトタイムのにぎわい創出や回遊促進は、滞在型観光と消費活動に資するものですが、長期かつ継続的に推進していくには、市民や市内事業者主体の自走した取り組みが重要です。そこで、中心市街地におけるナイトタイムの回遊と消費を促すもので、市民や事業者が主体となるナイトタイムエコノミーに資する取り組みを支援します。

 

(神戸市HP 2026/06/02)

神戸市:ナイトタイムエコノミー活性化の取り組み

 

 神戸のナイトタイムエコノミー活性化の取り組みとしては、ウォータフロントの夜景の整備をはじめ、東遊園地のナイトピクニックの取り組みでも、夜遅くまで多くの人々が芝生に座って、くつろいでいる姿を見ることができる。神戸市立博物館では毎週金曜・土曜は20時まで開館時間を延長する「ナイトタイムミュージアム」を実施している。また、昨年オープンした神港突堤のジーライオン・アリーナ神戸も、ナイトタイムエコノミーの活性化の観点から貢献度は大きい。

 

 こうした、夜間のコンテンツの拡充は、もちろん重要であって、引き続き努力を続けていかなければならない。

 しかし、本論では、少し異なった観点からこの問題を考えてみたい。それは、市内の宿泊者の行動である。次の表は、国内の主要都市の旅館・ホテルの施設数、客室数のランキングを示したものである。

 

(e-Stat 統計でみる日本「衛生行政報告例 衛生行政報告例 年度報 」から筆者作成)

 

 そこで気が付くことは、そもそも、上記の「夜の遅い都市」の特徴を考えると、それらはもともと都心に宿泊客が多い都市であるということである。つまり、その地方のブロック中心都市で、いわゆる支店経済の都市である。つまり、もともと出張者が多く、多くの人々が都心に宿泊をしているのである。そうした人々が、自宅に帰宅する必要もなく、夜遅くまで市内で飲食をしたり、散策をしているのではないかと考えられる。そして、最近のインバウンド需要である。一般に、観光客はナイトライフを楽しむ傾向があり、それを目当てに宿泊客が集まるといわれるが、その事情も否定しないが、どちらかというと、その地方を観光するのに、最も交通の便がよい都市に宿泊し、その宿泊客が大量に市内を散策しているのだと考える方が妥当ではないだろうか。

 そもそも、神戸が日帰り観光で十分と言われてしまうのは、インバウンドも含め、多くの観光客が大阪に宿泊をしていることの現れである。その大阪の観光客は、日中は大阪を観光せずに、京都や神戸を観光して、それらを日帰りで十分と言っているのである。ということは、大阪が大都市として観光都市の側面があることは否定しないけれども、大阪が関西地方の代表都市と見做されていて、そこをベースに京都や奈良、神戸を観光するスタイルが定着しているのではないか。つまり、日中は、関西圏を広く観光して、夜に大阪に宿泊するというパターンが定型化しているのではないだろうか。

 そのように考えると、ナイトエコノミーの大小は、観光客の宿泊の結果であって、ナイトライフの良否の差ではないのではないか。先ほどの表でも、試しに福岡、札幌と比較すると、ホテルの室数は神戸の2倍程度あって、単純に1日1~2万人多く宿泊者があるという状態である。これらの人数が街中にあふれると、街のにぎわいが変わるのは明らかであろう。

 実際に、三宮センター街や元町商店街を夜8時以降に歩いてみると、歩いている者は、地元の人々は少なく、スーツケースを引っ張ったり、地図を見ながら歩いている様子をみると観光客が大半ではないかと思われる。神戸空港の国際化が始まり、海外の観光客と思われる人々も多く街中を物色しながら歩いている。地元の人々は、日常の生活なので、夜間はうろうろしないのだ。

 

 そこで、神戸市が、ナイトエコノミーの活性化、神戸市の「夜の遅い都市」化を目指すならば、上記のコンテンツの拡充と同時に、神戸市への宿泊客を増やすことを考えるべきである。

 これに対して、市内への宿泊客を増やすことは、ナイトエコノミーの充実が先ではないかと考える人があるかもしれないが、筆者は、原因と結果は、市内への宿泊客の増やすことが先ではないかと考える。つまり、観光客の宿泊拠点となればこそ、ナイトエコノミーは発展するのだ。なぜならば、需要のないところに供給は続かないからだ。

 

 では、神戸への宿泊客を増やすにはどうすればよいのか。この点については、次回検討することにしたい。