少子化問題について(2)

少子化発生の要因と原因

 

 では、我が国の少子化の原因は、同「報告」ではどのように説明されているのだろうか。

 

●80年代以降の少子化の要因

 

<非婚化・晩婚化・晩産化>

 少子化に影響を与える要因として、非婚化・晩婚化 及び 結婚している女性の出生率低下 などが考えられる。1970年代後半からは20歳代女性の未婚率が急激に上昇したほか、結婚年齢が上がるなど晩婚化も始まり、1980年代に入ってからは、30歳代以上の女性の未婚率も上昇しており、晩婚と合わせて未婚化も進むこととなった。

(略)

 さらに、デフレが慢性化する中で、収入が低く、雇用が不安定な男性の未婚率が高いほか、正規雇用育児休業が利用できない職場で働く女性の未婚率が高いなど、経済的基盤、雇用・キャリアの将来の見通しや安定性が結婚に影響することから、デフレ下による低賃金の非正規雇用者の増加などは、未婚化を加速しているおそれがある

 

<女性の社会進出・価値観の多様化>

 1985年に男女雇用機会均等法が成立し、女性の社会進出が進む一方で、子育て支援体制が十分でないことなどから仕事との両立に難しさがあるほか、子育て等により仕事を離れる際に失う所得(機会費用)が大きいことも、子どもを産むという選択に影響している可能性がある。

 また、多様な楽しみや単身生活の便利さが増大するほか、結婚や家族に対する価値観が変化していることなども、未婚化・晩婚化につながっていると考えられる。

 

(同報告)

 

 

 少子化の要因としては、

(1)非婚化・晩婚化

(2)既婚女性の出生率の低下

が挙げられている。婚姻をする者が減少すると出生が減るのは理解しやすい。さらに、既婚であっても、出生率の低下が生じているというのだ。

 

 では、非婚化・晩婚化の背景は何かというと、

 デフレが慢性化する中で、

(3)収入が低く、雇用が不安定な男性の未婚率が高い

(4)正規雇用で働く女性の未婚率が高い

 など、「経済的基盤、雇用・キャリアの将来の見通しや安定性が結婚に影響」し、「デフレ下による低賃金の非正規雇用者の増加などは、未婚化を加速しているおそれがある」としている。

 

 未婚率は、30歳~34歳の年代で、男性の場合、1970年には11.7%だったものが、2010年には47.3%に、女性の場合は、7.2%が34.5%にも高まっている。

 

 

 非正規労働者の未婚率が著しく高い傾向があるということについては、次のような報道がある。

 非正規で働く男性の50歳のときの未婚率(生涯未婚率)が2020年の国勢調査で6割に達したことがわかった。15年時点では5割だった。男女ともに未婚率の上昇傾向は続いているが、なかでも男性非正規社員が際立っている

 総務省が5月に発表した20年国勢調査の就業状態等基本集計を基に分析した。50歳の時点での未婚率は「生涯未婚率」とも呼ばれており、結婚しない人のひとつの指標となる。(以下略)

 

日本経済新聞 2022/6/8)

 

 この記事によると、総務省が45~49歳と50~54歳の未婚率を分析したところ、正社員の男性は19.6%、非正規(派遣、パート、アルバイト)社員では男性は60.4%と6割を超えたという。

 

 非正規労働者の増加については次のデータがある。

 

(参考)非正規労働者割合の推移

総務省統計局「労働力調査 長期時系列データ」より作成)

 

 「報告」では、少子化の要因として「女性の社会進出・価値観の多様化」も挙げられているが、これは、上記のような状況が生じている中で、旧来のように、結婚を迫られることがなくなったということで、これが非婚化・晩婚化を支える条件であっても、非婚化・晩婚化発生の主因とは言えないだろう。それは若年層の結婚意思に関する調査を見てもわかる。

 国立社会保障・人口問題研究所の調査によれば、下の図のとおり、未婚者の結婚意思は、直近の2021年においても、男性、女性とも18歳から29歳までの若い世代においては80%を大きく超えており、依然として高い水準で推移している。これを見ると、人々の結婚に対する価値観に現在起きている非婚化を生み出す程の大きな変化はないことがわかる。

 

図)調査・年齢別にみた、未婚者の生涯の結婚意思

(出典:国立社会保障・人口問題研究所「第 16 回出生動向基本調査結果の概要」)

 

 

 また、非婚化・晩婚化を乗り越えて結婚に至ったとしても、出生率の低下が進んでいる。

 

 

 

 国立社会保障・人口問題研究所による「出生動向基本調査」によると、夫婦に尋ねた「理想子ども数」(折れ線グラフ)は、1977年の2.61から2010年の2.42と幾分低くはなっているが、おおよそ2.50水準にある。これに対して、「現存子ども数」は1987年の1.93から2010年の1.71まで10%以上マイナスとなっている。つまり、2人以上の子供を持ちたいと考えている夫婦が多数であるが、実際には1人しか子供を持てないケースが多いことを表している。この理想と現実の開きを生み出す要因は何だろうか。

 


 考えられるのは、夫婦を取り巻く子育て環境である。

 少子化社会に関する国際的な意識調査によれば、「あなたの国は、子どもを産み育てやすい国だと思いますか」の質問に対して、日本では、2010年の調査では「どちらかといえばそう思わない」「全くそう思わない」を合わせて45.5%と半数近くが「そう思わない」と回答しており、国際的に見てその割合は相当に高く、直下のスウェーデンと比べるとその差は歴然としている。

 

 

 以上の分析をまとめてみよう。

 合計特殊出生率の低下は、社会全体の非婚化・晩婚化、さらに既婚者の出生率の低下が要因である。非婚化・晩婚化に影響を与えているものは、経済的基盤、雇用・キャリアの将来の見通しや安定性であり、デフレ下による低賃金の非正規雇用者の増加などが、これら経済基盤等を不安定にしている。

 つまり、

 低賃金の非正規雇用者の増加 → 経済的基盤の不安定化 → 非婚化・晩婚化 → 既婚者の出生率低下 という図式となる。

 


 「女性の社会進出・価値観の多様化」と言うものの、若者の結婚意思、夫婦の理想子ども数を見ても、この値が劇的に低下しているわけではなく、このことからも、おそらく人々の価値観がそれほど大きく変化したわけではないと言えるだろう。

 このことは、少子化は避けられない自然法則として生じているということではなく、一種の社会経済の問題であるということを意味する。つまり、台風や地震などといった自然現象であるならば、人智が及ばないことがありうるが、社会経済の問題は人間がなんとかできる問題である。これは我々がどのように未来を選択をするかという問題なのだ。

少子化問題について(1)

我が国の少子化の現状と未来

 

 我が国の少子化問題については、様々なところで論じられているが、内閣府のホームページに「選択する未来」委員会の報告書(「報告」)が掲載されている。「選択する未来」委員会は、経済財政諮問会議が平成26年1月に設置した委員会で、今後半世紀先を見据え、持続的な成長・発展のための課題とその克服に向けた対応策について検討を行ったものだ。

 

●将来推計-現状のまま推移した場合、100年後には現在の3分の1まで急減

 


 国立社会保障・人口問題研究所は、「日本の将来推計人口(平成24年1月推計)」において、日本の将来推計人口を算定している。

 将来推計人口とは、基準となる年の人口を基に、人口が変動する要因である出生、死亡、国際人口移動について仮定を設け、推計した将来の人口である。(中略)

 その結果に基づけば、総人口は2030年の1億1,662万人を経て、2048年には1億人を割って9,913万人程度となり、2060年には8,674万人程度になるものと推計され、現在の3分の2の規模まで減少することとなる。さらに、同仮定を長期まで延長すると、100年後の2110年には4,286万人程度になるものと推計される。

 


内閣府HP 選択する未来 ‐人口推計から見えてくる未来像‐ (平成27年10月28日発行)(2015年12月2日))

 

 

「選択する未来」委員会 : 経済財政諮問会議 - 内閣府 (cao.go.jp)

 

 これによると、我が国の人口は、2048年(今から25年後)には1億人を割り、2060年には現在の3分の2の規模まで減少、2110年には現在の3分の1の4,200万人程度になると推計されている。

 

 

 少子化の問題を考える場合に、「合計特殊出生率」の値が一つの目安となる。

 「合計特殊出生率」は、女性が出産可能な年齢を15歳から49歳までと想定し、ある時点における、出産可能年齢の女性の数を分母とし、その年代の母親が産んだ子供の数を分子として算定する。(正確には注のとおり)単純に言えば、この値が2.0であれば、生殖年齢にある男女に相当する子供が生まれることになる。ただし、実際には男性の数が女性の数を幾分上回るので、生殖年齢にある男女の人口の維持に必要となる出生率は2を少し超える値だといわれている。

 

 

 「報告」によると、現在の我が国の合計特殊出生率は、2005年には過去最低の1.26となったが、その後は微増に転じ、直近(2014年(概数))は1.42であるとしている。このことが意味することは、生殖年齢にある男女2人に対して、1.42人しか生まれていないということであり、これは単純再生産レベルの7割程度しかないことになる。つまり、1世代ごとに人口が3割減少するということである。とすると、おおまかに計算すると、1世代で3割減、2世代でさらにその3割減と、3世代続くと当初の3分の1の水準(0.7×0.7×0.7=0.343 ≒ 1/3)になってしまう。1世代をおおよそ30年とすると、3世代はおおよそ100年に相当するから、先ほどの「報告」とほぼ合致する。さらに長期間、このような状態が続くなら、人口は限りなくゼロに近づいていくことになる。

 そして、この「報告」後、合計特殊出生率は、さらに低下傾向で、2021年は1.30、2022年は1.27となっている。

 

 これは大変な事態である。このような状況が続けば、社会の発展どころか、社会の維持すら困難となり、インフラは崩壊し、国土が荒廃してしまうおそれすらあるだろう。

 これは、今はやりの言葉で言うと、「持続可能な社会」とは言えないだろう。

 

(注)期間合計特殊出生率


 女性が出産可能な年齢を15歳から49歳までと規定し、それぞれの出生率を出し、足し合わせることで、人口構成の偏りを排除し、一人の女性が一生に産む子供の数の平均を求める。

 ある年において、f(x)を「調査対象において、年齢の女性が一年間に産んだ子供の数」、g(x)を「調査対象における年齢の女性の数」とすると、その年の合計特殊出生率は 49 ∑ x=15(f(x)/g(x))で表される。

 一般に合計特殊出生率とは期間合計特殊出生率を指す。

 

Wikipedia合計特殊出生率」)

 

 

合計特殊出生率について|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

久元神戸市長、神戸空港〜三宮間「鉄道輸送を考える必要が間違いなくある」

 神戸市の久元喜造市長は12日の定例記者会見で記者の質問に答え、神戸空港都心部の三宮を結ぶ交通機関について「いまの(新交通システムである)ポートライナーの存在を前提として、鉄道輸送を考える必要が間違いなくある」と述べ、神戸市内の新たな鉄道の敷設が必要との認識を示した。ポートライナーは「時間帯によって乗客数は大きく異なるが、朝の通勤時間帯が非常に混雑する」と指摘。混雑のピークには現在も三宮とポートアイランドを結ぶバスを運行しているが「それで十分なのかという問題が、やはりある」と語った。(以下略)

 

(神戸経済ニュース 2023/01/12)

 

 

 1月1日、新年最初の神戸新聞の朝刊で「神戸市が神戸空港と都心・三宮を結ぶ地下鉄新線の整備を検討している」との記事が報じられたことから、神戸空港と三宮を結ぶ新交通機関についての関心が高まっている。こうした中、神戸市の久元市長が、12日の定例記者会見で、神戸空港都心部の三宮を結ぶ交通機関について、記者の質問に対して「鉄道輸送を考える必要が間違いなくある」との考えを示した。

 会見の中では、その発言以外には、「勉強している段階」、「地下鉄を作ることに絞って勉強しているわけではない」、「どういうシステムで、事業主体や、どういうルートか全く材料はない」と述べるにとどまった。一方、新神戸駅神戸空港の間については「道路で結ぶのが基本」と、検討の対象外であるとの考えを示した。

 

 以下、記事についてのコメントである。

 今回、久元市長の口から、「神戸空港と三宮を結ぶ鉄道輸送を考える必要が間違いなくある」と述べたのは、今までの立場から一歩前に踏み出したものと言える。というのも、ポートライナーの輸送力については、これまで、利用者をはじめ各所から限界を指摘する声があり、神戸空港規制緩和の動きが強まる状況の中、空港アクセスの増強を訴える声が随所から上がっていた。ところが、久元市長は、問題を真正面から捉えようとせず、①バス便の増発(混雑緩和を図るための共通乗車証社会実験)や、②時間をずらして利用する「時差利用」を呼び掛けたりと、本質から外れた対策しか講じようとしてこなかった。これらが問題の根本的な解決に結びつかないことは明らかであった。結局は、問題先送りに過ぎなかったのではないか。ポートライナーの輸送力不足は明白であったから、その時点で、少なくとも抜本的な対策の検討を専門家を交えて開始すべきだった。

 

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 神戸市は、これまでも同様の「検討」を様々に行っては、立ち消えのようになることを繰り返している。思うことは、その検討の中で、どのような案が出て、それぞれの利害得失は何で、どういう議論を経て、どのような結論に至ったのかが一向に明らかにならないということだ。

 これに比して想起するのは、昭和49年の関西国際空港の建設地決定の運輸省航空審議会答申である。この結論が正しかったかどうかはともかく、その報告書の中で、各案の概要、評価基準と評価、その投票結果が得点に至るまで詳細に記録され、その50年後の現在でも、その議論の過程をたどることができる。そして、その議論の考え方はどうであったか、どこに問題があったのかを現在の視点で改めて検証することができる。

 検討するなら、このような徹底した検討をしてほしい。そして、その過程を広く市民、関係者に公表し、意見を求め、市民や広く国内、世界の叡智を結集するように努めてほしい。

 

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関学、神戸・王子公園への進出に意欲

 神戸市が計画する王子公園(同市灘区)の再整備について、関西学院兵庫県西宮市)の村上一平理事長が神戸新聞社のインタビューに応じ、大学誘致の公募について「できれば参加したいと考えている」と前向きに検討している考えを示した。大学内に設置した検討委員会で、具体的な計画内容を詰めているといい、エントリーの期限である2月中旬までに最終判断する。

 

神戸新聞 2023/1/4)

 

 王子公園の再整備の方向が明らかとなり、敷地の一部を用地として、大学が誘致されることになった。進出する大学は、やはり関西学院大学の線が濃厚であるようだ。関西学院は、かつて現在の王子公園の場所で創立され、現在の西宮市上ヶ原に移転したという歴史がある。王子公園の西南の場所にある、かつて関西学院のチャペルであった神戸文学館がその名残をとどめている。

 市内に大学を誘致するとしても、どうして王子公園でなければならないのか、それは、関西学院大学が新たな拠点の設置を検討する中で、創立の地である王子公園の場所を希望したからだろう。したがって、王子公園の一部が大学に転用されることになったのは、先に神戸市の構想があったからではなく、先に関西学院大学の進出構想があったからだと考える。つまりは、関西学院大学の構想を受けて、神戸市が王子公園の再整備に着手をしたものであろうと想像する。

 そして、関西学院大学の構想の一端をうかがわせる情報も報じられている。

 

 インタビューで村上理事長は「(公募に)できれば参加したいと考えている」とした上で、「関学の今後の発展に役立ち、神戸市にとっても価値のあるプロジェクトにしなければならない」と力を込めた。

 具体的な教育カリキュラムの策定に向けて、国内外に調査団を派遣しているとし、「学部を移すとか、関学にない学部を増やすとか、そのレベルの話では意味がない。最先端のものをつくり出すために議論を続けている」と語った。

 

(同)

 

 神戸新聞の同記事によると、「学部を移すとか、関学にない学部を増やすとか、そのレベルの話では意味がない。最先端のものをつくり出すために議論を続けている」と関西学院の理事長が述べており、相当大がかりなものであることがうかがわれる。また、 「具体的な教育カリキュラムの策定に向けて、国内外に調査団を派遣している」と、神戸市の再整備方針を受けて急遽検討したものではなく、かなり前から時間をかけて構想を進めたものであることが推測される。

 では、関西学院大学の構想はどのようなものだろうか。筆者は何も情報を持っているわけではないので、あくまで勝手な想像である。

 おそらくは、西宮市上ヶ原を本拠地とする関西学院大学の第二の拠点ともいうべき神戸三田キャンパスが問題の中心ではないかと考える。というのは、神戸三田キャンパスは、現在、理工学部総合政策学部が設置されているが、西宮から遠く離れた三田市の、そのまた中心から距離がある、その立地がきわめて不便であるということだ。これは、少子化による学生数の減少という今後の情勢からみて、通学が不便で学生の確保に支障を及ぼすおそれがある。その点、王子公園は大阪と神戸の市街地の間にあり、かつその駅前であれば学生が通学するのに非常に便利だ。また、西宮市の上ヶ原とは同じ阪急沿線だから、相互の往来にも便利だ。周囲は美術館や閑静な住宅地である文教地区で、大規模な商店街にも近く、すぐれた環境にある。そしてなにより、決め手になるのは、関西学院の創立の地であるという点だ。そのような大学の拠点の再編成という大きな流れの中で進んでいるものではないかと思われる。

 となると、問題は、どういう系統の学部が進出するかという点である。これは、おそらく神戸三田キャンパスの理工学部総合政策学部が移転・進出するという可能性が一つである。今回の王子公園の大学用地は3.5ヘクタールの広さだから、神戸三田キャンパスの13.8ヘクタールにはほど遠い。だから、この可能性は低いとも思ったが、神戸三田キャンパスの実情を見ると、建物が建つ部分は敷地全体の一部であり、建物を複層化するなどの工夫をすれば、王子公園の用地でも収まるのではないだろうか。では神戸三田キャンパスは、どうなってしまうのかと考えると、大学では、やはり大きな敷地を要するような運動施設や実験施設などが必要になるだろうから、そうした用途として利用されるようになるのではないか。

 また、第二の可能性として、神戸三田キャンパスの理工学部等が西宮市の上ヶ原に入り、現在上ヶ原にある学部が再編されて王子公園に入ることもあるかもしれない。

 いずれにしても、関西学院大学の今後100年の計として、大規模な再編をもくろんでいるとするならば、かなり本格的かつ大規模な大学施設が王子公園に配置されることになるのではないだろうか。そうした計画であるからこそ、神戸市はあえて王子公園の再編に着手したと想像する。

 

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神戸空港と三宮直結、新地下鉄構想 国際便の就航を見据え、市が需要やルート調査へ

 神戸市が神戸空港と都心・三宮を結ぶ地下鉄新線の整備を検討していることが同市への取材で分かった。国際化が決まった同空港は、2030年前後の国際定期便の就航で国内外の利用客増が見込まれるほか、周辺の臨海部への企業進出によって開発が加速することも想定。都市部に近く便利な国際空港としてアクセス強化が必須とみて、23年に需要調査に乗り出す。

 

神戸新聞 2023/1/1)

 

 2023年の新年1月1日の神戸新聞に、神戸市が、神戸空港と三宮とを結ぶ新地下鉄構想について検討を進めており、新年度に調査を行う方針であることが報じられた。

 神戸空港に国際定期便が就航した際の年間旅客数は、市の試算では約700万人と予測され、過去最高だった2019年(329万人)の2倍以上になると見込まれる。そのため、神戸空港の国際化が決定以降、空港へのアクセス増強の必要性を唱える声が高まっていた。

 

神戸空港の国際化、朗報の裏に輸送パンクという消せない不安 ポートライナーは混雑が常態化

 

 9月18日、関西3空港懇談会が開催され、神戸空港の国際化が決定しました。これにより神戸空港の利用者が増えることが予想されますが、一方では利用者増加に伴う懸念点もあります。

(略)

■問題は空港アクセスの強化

 神戸空港利用者の増加は歓迎すべきニュースですが、懸念点も存在します。それが空港アクセス、特にポートライナーの増強です。
(略)
 国土交通省によるとポートライナーの2019年度最混雑区間は貿易センター→ポートターミナル間(8:00~9:00)で、混雑率は126%。最もこの混雑率は1時間あたりの平均値なので、ピンポイントではより混雑率が高くなります。
(略)

 現在はコロナ禍により減少はしていますが、今後、利用者数がコロナ禍前の水準に戻り、さらに国際線による空港利用者が増えると、輸送がパンクする恐れがあります
(以下略)

 

神戸新聞 2022/10/7)

 

 新神戸駅三宮駅と空港を結ぶ南北アクセス強化(鉄軌道整備)については、神戸商工会議所も神戸市に整備を要望している。

 

3.神戸空港の国際化


 神戸空港の国際化に向けては、関西3空港懇談会での一定の合意を得て、そのあり方について検討が進められており、当面、2025 年の大阪・関西万博開催を目途に準備を急ぐ必要があることから、以下の取り組みを早急に進められたい。
(1)神戸空港の将来ビジョンの明確化

   (略)
(2)神戸空港ターミナルの拡張整備と南北アクセス強化
 神戸空港の将来ビジョンを着実に前進させ、期待される機能を発揮していくためには、関西エアポート株式会社との連携はもとより、空港ターミナルビルの拡張整備や新神戸駅三宮駅と空港を結ぶ南北アクセス強化(鉄軌道整備)に、神戸市が主導的役割を果たしていくことが不可欠である。

 ついては、神戸空港への国際線就航の実現に向けて、まずは 2025 年大阪・関西万博の開催に照準を合わせ、関西エアポート株式会社との協議を最大限加速させるとともに、関係各方面との具体的な調整作業や受入体制づくりを急がれたい。

 また、「ポートアイランド・リボーンプロジェクト」をはじめとする空港を基点としたまちづくりとも連動を図りつつ、次代につながる発展性や計画性をもって、神戸空港の国際化に向けた施策に大胆に取り組まれたい。

 

神戸商工会議所「令和5年度 神戸市政に対する要望」(令和4年9月))

 

 一方、神戸市長は、神戸空港国際化が決まった関西三空港懇談会直後の記者会見で、神戸空港の交通アクセス強化に関する記者の質問に、次のように答えている。

 

久元市長:これは今、様々な検討を行っておりますが、ポートライナーをどうするのか、あるいは新たな新線を建設する、これは相当莫大な経費が要りますから、これについては検討は行っておりますけれども、まだ方向性は見えてはおりません

 

(神戸市長記者会見 2022/9/20))

 

 このような経緯の中での、今回の新聞報道であるが、この記事をどのようにとらえるべきだろうか。

 神戸新聞は、神戸市の施策について、これまでも、決して実現することがなかった構想、たとえば、阪急電鉄と市営地下鉄の直通化構想、ポートライナー8両化構想、ポートライナー三宮駅の拡張構想や、加納町交差点の立体交差化構想、神戸港海上ロープウェイ構想、新神戸=三宮間水路整備構想などの記事を度々流してきていることから考えると、今回もどれだけ実現可能性のある記事なのかは疑わしい。

 これまでの記事には、一部には実現の可能性以前にそもそもの必要性について疑問のあるような構想もあったが、今回の神戸空港のアクセス強化構想については、実際に必要性が高く、それを求める経済界の声も強い。なによりも神戸商工会議所の公式の要望書に掲げられているという点では、雲を掴むような話ではなく、今後の展開が注目される。

 今回の記事では、これから調査に乗り出すとしながらも意外なことに、「地下鉄新線として想定される二つのルート」という図表まで掲載されている。

 

(出典:神戸新聞 2023/1/1)

 

 筆者は、これまで、新神戸神戸空港を直通する交通機関の導入を提案してきた。それが下の図であるが、新神戸~三宮~神戸空港間をポートライナーの新線(紫色の実線部分)を建設する構想(ポートライナー複々線化)である。今回の新聞に掲載された想定ルートのうち、「東部ルート」(緑色の破線部分)とほぼ同一である。異なる点は、新神戸~三宮間が、今回のルート案にはない点である。

 

 

 新聞が報じるところによると、今回の地下鉄新線を建設した場合、建設費は2,400億円を上回るとされ、「現実的なアクセス強化策として、既にあるバス路線やポートライナーの輸送力の増強も視野に入れる」とのことだ。したがって、ポートライナー新線による神戸空港と三宮、新神戸との直通も可能性があるだろう。

 バス路線の案も上がっているが、これでは輸送力が不十分だと思われる。単純に、神戸空港の利用客数を年間700万人として、往復では1400万人の移動となる。1400万人は1日あたりでは約4万人となる。4万人をバスで輸送するとなると、バス1台の定員を50名とすると、バス800台分に相当する。これだけのバスを神戸空港と三宮、新神戸の間を運行させると考えると、バスでは多数の運転人員を要するし、環境にかける負荷も相当に大きくなるだろう。年間1400万人の人々の流動は、ポートライナーの2007年当時の乗客数が約1900万人であったことを考えると、決して少ない数ではない。そして、今後、沿線開発を進めていくと、さらに多くの乗客も見込まれるのではないだろうか。そもそも新線は、空港や沿線の一層の利用拡大をしていくためのものなのだから、今後のやりようで事業の成算は十分だと思われる。

 

 

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」と日本

 12月18日、今年度のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の最終回「報いの時」が放映された。時代の大きな転換点となった「承久の乱」の顛末から、主人公、北条義時の最期まで、様々な登場人物の人間模様の決着が、テンポよく次々と展開され、緻密に構成され、様々に配されてきた伏線の数々に、一つの発言、一つの情景も目をそらすことができず、文字通り息を殺すように観た。そして、訪れたのは、壮大で、心に深い余韻を残す結末であった。

 「鎌倉殿の13人」は、その内容の緻密さ、豊富さの点で、おそらく、大河ドラマ史上の最高傑作であると思う。

 

 ドラマを見て感じたことは、現在の日本に、これだけの作品を作る人材がいるということだ。脚本の素晴らしさはもとより、まず、俳優陣が素晴らしい。普段テレビではあまり見ることのない俳優も多く出演していたが、いずれも聡明で感性に優れ、脚本から多くのものを読み取って、見事に人物像を表現している。その演者が互いにぶつかり合ってインスピレーションを与え合い、いよいよ迫真の豊かな演技が引き出される。そして、それらの具象化を支える美術や照明や映像、音楽、どれをとっても緻密に丁寧に作り込まれ、完成度が高く、それらが相乗効果となって、おそらく脚本家やスタッフの想像をも超える素晴らしい作品になったと思われる。

 

 とここまで書いたところで、言いたいのは次のことだ。

 今年の大河ドラマに引き替え、昨年の東京オリンピックの開会式、閉会式のひどさはどうだろう。それは、全く一体感を欠き、統制がとれず、一つ一つも世界に披露するだけの内容もなく、混沌として醜悪な姿をさらすものであった。これを見て日本の国力の「劣化」を痛感した人々も多いのではないだろうか。我が国はもう以前の輝きを失い、坂道を下るだけの国になりはててしまった、そのように感じられた。そんな中での、この大河ドラマであった。我が国も、まだまだ捨てたものではない。しかし、これだけ多くの才能あふれるスタッフが国内におりながら、世界への国威発揚の場ともいえるオリンピックの舞台が、何故かくも無残なものとなったのだろうか。

 ここに、我が国の根本問題があると感じる。つまり、才能のある人々に活躍の舞台が与えられず、逆に、才能のない人々がそれらを占拠しているのではないだろうか。その疑いは、これに先立つ五輪のエンブレム問題と同様だ。こうしたことの生じる理由は、おそらく人事の世襲や縁故、利害関係などの情実が我が国の中で強固に幅広く横行しているからではないだろうか。その典型的な姿は政治の世界で見ることができる。我が国の現在の低迷は、国内に優れた人々がいないわけではなく、すぐれた人々にそれにふさわしい活躍の場が与えられていないからなのではないだろうか。

 我が国は、自由競争の社会であるといい、勝者が経済的な成果を得る社会であるという。しかし、その見方は正しいのだろうか。むしろ、経済的な成果を独り占めする人々が公正な競争関係を歪め、支配している状態なのではないだろうか。反対に、素晴らしい能力を持った人々が活躍の場が与えられず、経済的な苦境から、本来とは全く異なる道で生活をしている人たちも多いのではないだろうか。

 近年、大学院を卒業した人たちが、就職先がなく、また就職先があっても短期の期限付きの職にしかありつけず、大学の臨時講師や、場合によると全くふさわしくないアルバイト生活で不安定な生活を余儀なくされているという。大学院を出て、大学で講師ができる人というのは、一般人と比べてどれだけ高い能力であることだろうか。もしも、このような状況が広がっているのならば、実に国の損失というものだと思う。これらの人々をもっと大切にすべきではないだろうか。

 理想は、本来の能力に従って、活躍の場が与えられる社会を作ることだと考える。その場合、活躍の場の大小と経済的な報酬の大小とは比例しないだろう。本来、人間は、自らの才能があることに自然と取り組むものだ。おそらく、現在、ある方面で活躍している人は、報酬を目当てにその道に進んだという人は少ないのではないだろうか。経済的報酬を目当てに、選ばれる道は、その人の自然な道とは限らない。この経済的報酬の面で、自らの才能と異なる道に進む人々のどれだけ多いことだろうか。であるならば、どの道に進んでも、人々の経済的な報酬に余り差がなく、生活が維持できるといった状態が必要だろう。つまり、経済的に公平な社会だ。競争社会の前提には経済的な公平がなければならないはずだ。

 人々が、自らの天分に応じ、本来の才能のある道に進み、その才能の大小に応じて活躍の場が与えられることが理想だと考える。そうすれば、国内は才能ある人々が、さらに相互の影響により光を放ちはじめ、国全体を明るく照らすのではないだろうか。

 

 大河ドラマは、ある人生の終焉と、新たな世代の誕生として希望の光を灯してフィナーレとなったが、我々にも希望の光を見せてくれるものであった。

兵庫県の誕生 県立兵庫の津ミュージアム、グランドオープン

 11月24日、兵庫県の成り立ちや神戸港の源流である兵庫津の歩みを紹介する「ひょうごはじまり館」がオープンした。先行して開館した隣接の「初代県庁館」とともに、県立兵庫津ミュージアムとしてグランドオープンとなった。 

兵庫津ミュージアム (hyogo-no-tsu.jp)

 

 現在、企画展として、兵庫津ミュージアム開館記念展『ドキュメント1868-ひょうごはじまりの時-』の開催されている。

 その第一番目の展示は、兵庫県の成立を示す1通の書状である。

 

当地の儀は県に相成り、丸々大坂の支配を免がれ太政官の勅命を受くべく都合に相成り、則ち別紙御沙汰書、越前宰相殿より御渡しこれ有り候に付き、御代役相勤め受け取り申し候、右に付きては彼是拝請を得、申し上げざるは意味相分かり難く、いつれ明日は拝鳳万々御意を得るべく候

(伊藤俊介(後の伊藤博文)の慶応4年5月26日頃の書状)

 

 

 慶応4年5月23日(1868年7月17日)、兵庫県が誕生した。兵庫県は同年5月2日に成立していた大阪府から独立する形で成立した。上に掲げた記録は、伊藤俊介(後の伊藤博文)が東条慶二に充てた手紙の抜粋である。その中の「当地の儀は県に相成り、丸々大坂の支配を免がれ」とのくだりは、そのあたりの事情を表している。

 兵庫と大坂はどちらも旧国名の摂津の国にある。明治維新によって藩が廃止され府県が置かれたが、概ね旧国の範囲が府県に引き継がれており、複数の国が合わさって一つの府県を構成する例は多いが、一つの国が複数の府県に分割される例はあまりない。摂津の国は、分割された数少ない事例の一つである。上の文書を見ると「大坂の支配を免がれ」としており、あえて大坂から分離をすることを企てたのであることを伺わせる。

 あえて兵庫を大坂から分離させた理由は何なのだろうか。

 その理由を考える中で、当時の東京遷都に関する次の論文を見つけた。

明治元年1月には有名な大久保利通の大坂遷都論が出ます。大久保の遷都論はかなりの長文ですが、大坂にした方がいいという理由は地形が適当であると述べるにとどまっており、分量的にも全体の中のわずかで、取って付けたような印象があります。それにはわけがありまして、この時点で遷都の場所は大坂しか浮かばなかったのだろうと思います。それよりも大久保がいいたかったのはなぜ遷都しなければならないのかであり、それが文章の大部分を占めているわけです。大変革をするには遷都をしなければならない、京都では改革はできないというせっぱ詰まった考えがあったものと思います。当時の天皇はほとんど外にも出なかったので、外国のように民衆の前に積極的に出ていくような皇帝のような存在になって欲しいという希望もあったようです。そのためには天皇を京都から連れ出す必要があったということです。遷都を機に大改革をするべきであるということが大久保利通の遷都意見の主要な点なのです

 

(佐々木 克「首都機能移転問題と「東京遷都」」)

 

 明治政府は、旧来の日本からの大変革を行うことを使命としていた。その中で、京都では改革は難しいという認識が政府の中にあり、一時は大坂遷都も検討されたものの、結局は実現せず、最終的に東京遷都となったという歴史的な事実が大きなヒントになるのではないだろうか。明治政府は、近代国家日本を創建するという大変革を行うことを使命としていた。しかし、京都や大坂に政府を置いては実現が難しいと考えたが故に、あえて東京に遷都をしたのである。その大変革を行うことが難しいという京都や大坂の一部に、開港地に選ばれ、世界の窓口として開発しようと考えていた兵庫、神戸を組み入れ、大坂の支配に委ねることは妥当だろうか。そのように考えたからこそ、兵庫を大坂から分離し、独立の府県として置いたのではないだろうか。つまり、兵庫、神戸は明治政府の大変革の拠点とすべく選ばれた土地なのだ。その初代知事に、幕末に英国留学経験がある伊藤俊介(後の初代内閣総理大臣 伊藤博文)が選ばれたことは象徴的だと考えられる。また同時に、この歴史的経緯に、兵庫、神戸と大阪(大坂)との、切っても切れない深い因縁を感じざるを得ない。

 そうした役割を担う兵庫県は、数次の合併を経て、明治9年に、瀬戸内から日本海側まで本州を縦断するほぼ現在の県域となる。

 

 兵庫県の成立過程について紹介しています。
 土佐国一国が高知県になった例もあるのに、兵庫県が播磨・但馬・淡路と、丹波・摂津の一部を加えた、五か国にまたがる大きな県になったのはなぜでしょうか。

(略)

 さらに、明治9年(1876)8月、飾磨県と豊岡・名東両県の一部が兵庫県に併合されて、ほぼ現在の県域が確定しました。これ以後を第3次兵庫県といいます。

 このような大きな県域になった理由については、次のようなことが言われています

 但馬の出身で、内務卿大久保利通のもとで地租改正に従事し、その後、県知事や内務省の局長などを歴任した櫻井勉という人がいました。
 櫻井は、府県統合に際し、大久保から豊岡県と鳥取県の統合に関して意見を求められたそうです。櫻井は、「豊岡・鳥取両県は歴史的に関係が深いが、両県を往来する山間部の交通が不便です。かといって兵庫県と統合すると、面積が大きすぎます。豊岡県は、飾磨県と併合するのが良いと思います。」と述べますが、大久保から、「開港場である兵庫県の力を充実させるように考え直せ。」と言われ、第3次兵庫県の原案を考え出しました。

 

兵庫県HP「県域の変遷」より抜粋)

 

 その後、明治22年に神戸は東海道本線の終着駅として東京新橋からの鉄道が開通し、明治28年には山陽本線の起点ともなり、神戸港は東洋一の国際貿易港として発展した。

 このように見てみると、明治政府の意図はより明瞭に読み取ることができるように思われる。すなわち、明治政府は、江戸時代の我が国の交通、経済の中心地である京都、大坂ではなく、その真西にあたる現在の兵庫県の地に、西日本の交通を束ねる兵庫県を置き、その県都として神戸を開発したのだ。つまり、東京という新しい首都を置き、その西の橋頭保として兵庫県、神戸を置いて、西日本全体を統治しようとしたのだ。その意図は、日本海から明石海峡、淡路島、鳴門海峡まで、兵庫県を通過しなければ東西の往来ができないという、本州を縦貫する兵庫県の形に表れている。それは、おそらく、明治10年に勃発する西南戦争に続く国内情勢も背景にあったものと思われる。

 上記のように考えるならば、兵庫県は他の府県とは異なる特異な県であるとも思われる。東京を首都とする近代日本という国家の中で、西の拠点として選ばれたのが兵庫、神戸だったのだ。