NHK連続テレビ小説「らんまん」と神戸

 2023年4月から放送されていたNHK連続テレビ小説「らんまん」(神木隆之介主演、長田育恵脚本)が、この9月29日に最終回の放映を終えた。美しい植物の映像を随所にちりばめ、多数の登場人物を細やかに且つていねいに描きつつ、テーマ性に富んだ素晴らしいドラマであった。

 

らんまん - NHK

 

 日本の植物学の父と言われる植物学者・牧野富太郎(1862~1957)をモデルにした架空の物語とされているが、登場人物の名前や固有名詞こそ変えてあるが、かなりの部分が事実を踏襲しており、登場人物が実際の誰に当たるのか、ほぼ特定が可能である。牧野富太郎の記録や伝記に照らしてみると、登場人物の人物像や出来事の細部が巧みにドラマに盛り込まれ、再構成されていることがわかる。植物学という一般のなじみのない分野について、簡潔にわかりやすくまとめられており、その当時の学問の状況がよくわかる。事実をできるかぎり踏襲したのは対象に対するリスペクトであり、作者が創作した部分も失われたピースを補うかのようで、それが物語全体の自然な流れと説得力につながっている。

 このドラマの見所の一つは、植物の姿が美しく鮮明・細密に映像化されていることだ。主人公が森の中で新種の植物に遭遇する場面などが全く自然に再現されていたが、ロケはおそらく実際の季節と異なる季節に行われたこともあったであろうから、再現は簡単ではなかったにちがいない。一部には造花なども使用されていたのかもしれない。主人公が収集した植物の標本が室内に山積みされているシーンも描かれていたが、これを再現するには気の遠くなるような膨大な作業が必要だったに違いない。主人公の制作した植物画や雑誌や図鑑など、場面場面で登場する物のあらゆるものが精密に再現されている。これらを制作した美術スタッフの努力はいかほどであっただろうか。しかし、これらの背景や道具の数々が、このドラマの説得力をきわめて高いものにしている。明治、大正の植物学研究室の様子や、周囲の人々の服装や風俗を詳細に再現されているのも見事であった。明治初頭の新橋駅、内国勧業博覧会関東大震災の惨状なども非常によく描けていた。

 出演者について言うと、まず主人公の子供時代を演じた二人の子役が二人ともすばらしい。小さいながらにも人生の試練に遭遇し、様々な人々と出会い、植物学に目覚めていく。その中で、きらきらとした目で植物に向き合う姿が印象的であった。

 主人公だけに脚光を当てるのではなく、多くの人々の物語が同時並行で描かれ、それらの人々の心情がていねいに描かれ、それらが織りなすように物語りが展開していく。一般に、主人公を引き立てようとするがあまり、偏った持ち上げ方や、問答無用で偉い人、立派な人、おもしろい人と描かれることがあるが、このドラマでは主人公は偉人としてではなく、等身大の人間、どちらかというと「しょうがない人」と扱われながらも、その行動によって、主人公の素晴らしい能力を表現させるなど、非常に説得力があった。どの俳優も、若年から老年に至るまでの長期間にわたる物語において、年月を重ねて風貌や所作などが変化する難しい演技を丹念に演じ、皆、作中の人物その人になりきり、すばらしいドラマを展開した。最終回での主人公の感極まった姿はもはや演技を超えているとすら思える。この長い人生のドラマを演じきったことにより、まさに俳優とその役柄が一体となった瞬間だったのではないだろうか。

 

 ドラマを通じて、考えさせられることも多かった。

 主人公は学歴で言えば小学校を中退したにすぎず、単身大学に乗り込んでいくが、最初は学歴のない者と軽んじられる。しかし、主人公はおそるべき知識と能力を発揮し、たちまち学生ばかりか教授をも圧倒し、軋轢もまた起こしていく。その一方で、主人公の植物に向き合う熱意や姿勢は周囲の人々を揺り動かし、目を開かせ、彼らの人生を花開かせて行き、最後には爛漫たる花園となる。

 ここで気づくのは、やはり、好きなことに打ち込むことの重要性である。主人公は、幼い頃から、ひたすら植物に強い関心を持ち、昼夜を問わず研究し続けた。それは、一般の高等教育を受けて、海外に留学をしたとしても、たかだか数年取り組んだだけの者が適うわけもない道理だ。一方で、明治以降の学制によらず、むしろそれを凌駕するぐらいの教育を行う環境があったことには驚かされる。江戸時代に、体系的に整理はされていなかったであろうが、極めて高度の教育が行われていたということも伺える。

 もう一つ気づくのは、それぞれが、自分に与えられた大地に根を張って、天分を伸ばすことの大切さである。これが、このドラマの大きなテーマであろう。それは主人公の「この世に雑草という草はない」という言葉に象徴されている。こうしたことが可能であったのは、江戸時代の教育制度が、こうした天分を伸ばすということに優れた面があったからではないだろうか。それは江戸時代の教育が、深い人間洞察に基づくものであったからではないだろうか。

 最近、人々が自信を失い、元気のない我が国であるが、ここに日本の再興のためのヒントがあるように感じる。

 また、当初、海外の学者に頼って学名を鑑定してもらうしかなかった状態であった我が国の植物学が、たちまちのうちに国内で鑑定、新種の命名ができるようになり、やがて、世界初の大発見が国内で行われるようになる姿が描かれ、我が国の先人の優秀さを再認識することができた。

 これらの意味で、このドラマは我が国の人々に勇気と希望を与えるものであったように思われる。

 

 ところで、ドラマのモデルとなった牧野富太郎は、実は神戸・兵庫県とかかわりの深い人だ。ドラマの中では、初めて東京に上った時(第13回)と台湾に渡った時(第109回)に、神戸を経由したことが地図入りで紹介されている。また、神戸市立博物館の基礎となった南蛮美術コレクションを行った池永孟と思われる人物が登場(第119回、第120回)していた。おそらく、神戸は、高知、東京に次いで牧野富太郎と関係が深かった地なのではないだろうか。

 

(「牧野富太郎と神戸」白岩卓巳著)

 

 そのような牧野富太郎について、このたび、神戸でこのドラマとのタイアップする企画はなかったのだろうか。

 

神戸市:神戸ゆかりの植物学者 牧野富太郎博士関連事業の実施 (kobe.lg.jp)

 

 神戸市の記者提供資料を見ると、「牧野富太郎と池長植物研究所展」、六甲高山植物園「牧野の足あと~神戸で見つける博士と植物~」、ROKKO森の音ミュージアム牧野富太郎のみちくさ~音楽、書、人々との交流~」など、いくつかの関連イベントが催されたようだ。もっと大きくPRをしてもよかったぐらいだが、記念行事を企画したことは評価されるだろう。牧野富太郎については、今後、神戸ゆかりの人物として、さらに資料を整理し、顕彰をする価値は十分にあるだろう。

 一方、兵庫県はこの間どうだっただろうか。兵庫県が何か記念行事を企画した形跡を探したが見つけることができなかった。これはいったいどうしたことであろうか。兵庫県県花はのじぎくであるが、のじぎくは牧野富太郎が発見し、命名したものである。姫路の大塩に大群落があることを発見し、その後何度も現地を訪れて調査を行い、「日本一の群落地」と評したという。

 また、オープニングの瑞々しく美しい映像をバックに流れている、伸びやかなテーマソングを歌うあいみょんは西宮市の出身の人だそうだ。

 


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 このように、今回のドラマは兵庫県とは深い因縁があったようだ。

 兵庫県知事は、大阪府が進める万国博覧会に協力するだけではなく、もう少し兵庫県のことに目を向けてほしいものだ。