我が国の労働生産性について

 最近、我が国の労働生産性が、他の先進諸国と比べて低いということが話題に上る。

 2019年の日本の就業者1人当たり労働生産性は、81,183ドル(824万
円)であったとのことだ。OECD加盟37カ国の中でみると、26位にあたる。これは、韓国(24位 やニュージーランドとほぼ同水準で、米国と比較すると、6割程度に相当するそうだ。

(「労働生産性の国際比較2020」公益財団法人日本生産性本部

ⅠOECD諸国の労働生産性の国際比較 (jpc-net.jp)

 

 一国の労働生産性は、次のように計算される。

 

 労働生産性 =GDP(付加価値) ÷ 総就業者数

        または、

 労働生産性 =GDP(付加価値) ÷ 総就業時間数(就業者数 × 労働時間の総和)  

 

 つまり、ここでいう「労働生産性」とはGDPの関数ということになる。では、この「労働生産性」の意味するものは何だろうか。

 「労働生産性」と言うならば、本来、一人あたり、または1時間あたりにどれだけの量の生産を行うことができるかという「能力」を示すものではないかと思われるが、この定義では、「能力」ではなく、「稼働実績」を表していることになる。例えば、ある生産設備の、物理的な性能としては1日に1000台生産する能力があるが、実際は600台しか生産していないような場合、本来の意味での生産能力は1日1000台と表すべきところを、600台と表示をしているようなものだ。とすると、同一の設備の生産能力が、その時々で増えもすれば減りもすることになるだろう。この労働生産性も、同様に、同じ能力を持つ人々が、その時々の状況で、上昇したり下降したりすることがあるだろう。こうした類の数字を「労働生産性」と、あたかも物理的な絶対的な能力のような言葉を使うのは誤解を招く元ではないか。

 

 具体的に想像してみよう。企業は従業員を雇って事業を営んでいるが、あまり景気がよくない。客が来店することは少なく、たまに来店しても財布のひもは固く、商品はなかなか売れず、とてもフル稼働といえない状態が続いている。これは、まさに労働生産性が低い状態ということができるだろう。これとは逆に、景気がよくなり、商品がどんどん売れるようになれば、従業員は忙しく、売り上げもどんどん上がる。これは、労働生産性が高い状態といえるだろう。

 企業が事業を行うためには、どのような営業状態でも必ず、一定の従業員が必要だ。本社の総務や経理のスタッフは、景気の良し悪しに関係なく一定数必要だろう。営業のスタッフにしても、客入りが悪くても、一定の数を配置しなければならないだろう。現実の企業では不景気が続くと、リストラを行い、正社員を減らし、パートや高齢者などの低賃金の従業員に置き換えていく。その結果、人件費は抑制されるだろうが、その分需要も増えず、商品はますます売れず、総体としてGDPは低迷し、我が国の労働生産性は伸び悩む状態が続くことになる。

 これが我が国の労働生産性が低いということの現実の姿であろう。つまりは、労働生産性の低さは、不景気を別の言葉で言い換えたものだ。

 

 では、我が国の労働生産性を上げるためには、どうすればよいのだろうか。企業の従業員が頑張れば労働生産性が上がるのだろうか。社会全体の需要が不足している中では、1社の売り上げの増加は他社の売り上げの減少になり、社会全体の売り上げが増加するわけではなく、結果として、社会全体の労働生産性は変わらないということになる。以上のように考えるならば、社会全体の労働生産性を上昇させるには、景気がよくなって、社会全体の需要が増加することが必要であることがわかる。

 

 「労働生産性が低い」と言われると、その犯人捜しで、我が国の様々な特殊要因を探し出し、これが無駄、あれが無駄という議論になりがちだ。一時もてはやされた「働き方改革」もその類だろう。その帰結として、果てしない改善、改革運動を招き、それがさらに従業員を疲弊させることになる。しかし、そうした運動が、労働生産性の向上に結びつくことはありえない。なぜならば、それらの運動は社会全体の需要の増加、売り上げの増加に結びつくものではないからだ。労働生産性は労働者の能力や仕事の仕方の良否を一概に表すものではなく、稼働実績を表すものであると考えるなら、本来の能力を発揮させるには社会全体の需要、購買力に裏付けられた「有効需要」が増えなければならない。

 我が国の労働生産性が低いのは、従業員の責任だろうか。景気の良し悪しは経済政策の問題であって、一従業員の責任ではあり得ない。にもかかわらず、従業員を責め立てて、絶え間ない改善、改革を掲げ、ますますの勤勉を求めることは筋違いというものだろう。また、労働生産性が低いと言ってしまえば、従業員の賃金にも引き下げの圧力となるだろう。労働生産性が低いということが流布される背景には、おそらくそのような意図があると考えられる。

 

 経済のしくみをもっと、わかりやすく、一般の人に説明をすることが必要だ。現在のマスコミは、その任を果たしているだろうか。誤った理解に基づき、あらぬ方向の議論に導き、人々を苦しめる側に立っていないだろうか。

 

 

(補足)

 労働生産性には、労働者一人あたりの労働生産性と労働時間1時間あたりの労働生産性とがあるが、労働者一人あたりとした場合に、パートタイマーや労働日数の少ない高齢労働者も一人としてカウントするので、他国がフルタイムを基本とする実情があるならば、労働生産性はより低めにランクされてしまう。実際、労働者一人あたりではOECD37カ国中26位となるが、労働時間1時間あたりで計算すると同37カ国中21位となり、両者で結果に差が出るようだ。労働生産性という場合には、それがどういう計算で導かれるのかに注意をする必要がある。