富とは何か(2)

 現在、我が国の国民の多くが豊かさを感じることができない状況だ。その度合いは、場合によると、10年前、20年前より厳しいかもしれない。しかし、それは不思議なことだ。我々は日々労働を行い、少なくとも昔よりも多くの生産能力や高い技術を持っているはずだ。にもかかわらず、昔よりも豊かさを感じられないとすれば、それは我が国から生産能力が失われたからだろうか。そうではなく、失われたのは、需要に対する貨幣の裏付けである。国民の多くは、数多の潜在的需要を持っている。少しでも多くのサービス、少しでも性能の高い車、少しでも広い快適な住宅などなど。この欲求と自らの購買力とを照らし合わせ、その範囲内で生活をしている。一部の者が言うように我が国は飽食し、物に対する欲求が低下した社会ではない。

 したがって、その需要に対して貨幣の裏付けさえ与えてやれば、たちどころに需要は形となり、物は売れ、生産活動が活発化するに違いない。そうなれば、国民は本来、保有しているところの生産能力を十分発揮し、人々には職が与えられ、豊かさを享受できるに違いない。要は、需要のあるところへの貨幣の供給が不足し、その結果、生産される財やサービスが少ないというのが我が国の経済の状況だ。

 では、国民に貨幣を与えるのはどうしたらよいだろうか。それは、先のコロナ対策で行われたように現金を配るのでもよいのだが、一番手っ取り早いのは、税金を免除することだろう。国民の多くは、給与の支給に際して、所得税、住民税の天引きを受け、支給額と手取り額の乖離の大きさに戸惑いを感じているだろう。日常の買い物の際には消費税がかかり、消費能力がさらに10%削減されている。これらの税を免除すれば、国民の手元に貨幣がその分増加し、その貨幣によって人々の需要が形を得ることになり、経済が動き始めることになるだろう。そうすれば、経済は循環し始め、企業もフル稼働の状況となり、その結果多くの利潤を得て、それは法人税の増収となって国庫に環流することになるだろう。

 政府は、これまで、金利を下げて、企業に投資を促そうとしてきた。我が国では、なぜか「消費=浪費」と考える傾向があり、「節約=善」、「投資=善」と考える傾向がある。しかし本来、投資の目的は生産能力の拡大である。生産能力が拡大すれば、それを誰かが消費しなければならない。消費を前提としない投資というのは、おかしな話だ。企業は金利を下げなくても、売れると考えれば、投資をするものだ。いくら金利が下がっても、物が売れないと考えるなら、生産せず、投資をしない。結局は、生産された財やサービスを消費することこそが生産活動の究極の目的であるはずだ。生産された財やサービスが人々の手に渡ってはじめて生産活動の循環が完結すると言えるだろう。だから、結果としては、政府の投資促進の政策は効を奏さず、投資は低迷し、新たな投資が行われないことにより、技術的に陳腐化が進み、我が国の技術水準が国際的な最先端からこぼれ落ちることになった。

 それに対して、我が国の国民の生活環境はどうだっただろうか。労働規制の緩和や自由化によって賃金は抑制され、税は増え、社会保険の負担は高まり、学費は値上がりし、年金の支給額を抑制しようとするから、国民に貨幣が行き渡らず、現在はもとより将来への不安のために貨幣を一度握ったら中々手放そうとはせず、蓄えられ、結果として、物は売れず、投資も伸びず、ほとんどゼロ成長が30年も続き、我が国のGDPは低迷を続け、一人あたりのGDPは、購買力平価で韓国にも追い抜かれるという状況になってしまった。

 現在の経済の低迷を脱するのは難しいことではない。国民の手に貨幣を十分供給することだ。

 こうした意見に対して、財政の均衡が失われ、ハイパーインフレが襲来するという意見がある。もう30年以上同じことが言われ続けているが、一向にその気配はない。なぜかというと、現代では貨幣は、物質的な姿を持たず、貯蔵することに物質的な限界がないからだと考えられる。企業は、すでに、人間の生活感からかけ離れた天文学的な単位の貨幣の貯蔵の多寡を競い合っている。企業はつまるところ、貨幣の蓄積を目的とするマシンだ。そのメカニズムに歯止めをかける性質は備わっていない。その結果、貨幣は常に企業に回収され、流通する貨幣が不足する状態に陥る。だから、政府は貨幣を発行して人々に供給する必要がある。そうしないと、人々が必要な財を手に入れるのに十分な貨幣が行き渡らず、その結果、本来生産し供給することができるはずの財が生産されないことになってしまう。

 仮に人々に対する貨幣の供給が過剰になったとしても、人々は無限に財を手に入れるわけにはいかない。なぜなら、人が消費できる量には限界があり、財は永久には貯蔵ができないからだ。また、有形のため、貯蔵するのに一定の空間を必要とするからだ。したがって、個人が消費、貯蔵できる財の量は限界がある。だから、財が十分に供給されているならば、ハイパーインフレは生じることはない。(物が不足する条件下で必要以上の備蓄が発生するのは、コロナ下でマスクやトイレットペーパーが買い占められた事例で見られたところだ。そして、マスクが十分供給されれば値崩れした。)

 

 今のままでは、本来持っている生産能力が十分に使われず、設備がフル稼働せず、多くの人が、望む職にもつけない状態だ。その結果、国民の生活は物質的に不十分で、結婚もできず、子供も持てなくなり、その結果が、少子化と高齢化の悪循環だ。もし十分な貨幣が国民の手に渡るなら、需要は形となり、生産能力はフルに稼働され、人々は望む職を与えられ、さらには企業は新たな投資を始め、生産能力はさらに高められるであろう。その結果、GDPは増大し、一人あたりのGDPは再び世界のトップクラスに返り咲くだろう。