最低賃金の引き上げについて

オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。

退職後も日本経済の研究を続け、日本を救う数々の提言を行ってきた彼が、ついにたどり着いた日本の生存戦略をまとめた『日本人の勝算』が刊行されて9カ月。アトキンソン氏の「最低賃金を引き上げることで生産性を高めるべき」という主張には、多くの賛同の声が上がっている。
一方、この主張に疑問を呈する声もある。そういった疑問に、一気に答えてもらった。

 

最低賃金引き上げ「よくある誤解」をぶった斬る アトキンソン氏「徹底的にエビデンスを見よ」 東洋経済オンライン( 2019/10/09))

 

最低賃金引き上げ「よくある誤解」をぶった斬る | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)

 

 デービッド・アトキンソン氏は、我が国の最低賃金の引き上げが日本経済の再生のために必要であると主張をしており、それに対して多くの賛同の声が上がっている。一方で、その主張に対する疑問を呈する声があり、それらの疑問に答えたという内容が上記の記事である。

 提示された疑問は、次の10の疑問である。

疑問1:最低賃金を上げると、失業が増えるのではないですか?

疑問2:イギリスで最低賃金引き上げが成功したというデータは、各国の最新の研究で否定されているのでは?

疑問3:イギリスのデータは特殊ではないのですか?

疑問4:若い人に大きな悪影響が出るのでは?

疑問5:最低賃金を引き上げると格差が拡大するのでは?

疑問6:アメリカやイギリスのように、生産性を高めると貧困率も高くなるのでは?

疑問7:中小企業の生産性が低いのは、大企業に搾取されているからなのでは?

疑問8:最低賃金を引き上げると、地方の企業は倒産するかリストラを進めるのでは?

質問9:低スキルの労働者が犠牲になるのでは?

疑問10:韓国は最低賃金を上げて経済が崩壊しています。日本も、韓国のようになってしまうのではないですか?

 

 たとえば、疑問1「最低賃金を上げると、失業が増えるのではないですか?」という疑問に対しては、ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン教授の「少なくとも現代のアメリカのように最低賃金が低い場合、それを上げることが雇用に悪影響を及ぼすという証拠は存在しない」などの主張を紹介し、そのような心配がないことを説明している。

 このすべてについて、コメントすることはしないが、最低賃金がただちに失業の増加に結びつくのかについて、経済学の初歩的な知識を用いて考えてみよう。

 

 最低賃金の引き上げは、企業にとってみればコストの増加となるから、利益を圧迫する要因と考えられる。しかし、その一方で、需要の増加要因となることにも注意が必要である。それは、労働者に支払われる賃金の増加が、彼らの消費財の購入を増やすことになるからだ。しかし、企業の利益が減るとするならば、その利益が減ることによって需要が減少することはないのだろうか。仮に、企業の利益が減って需要が減るなら、相殺となって、ただ、企業の利益が減るだけの結果になるのではないだろうかという疑問が生じうる。

 この問題について考えるキーワードは「消費性向」である。消費性向は、収入に対してどれだけの支出をするかという割合を表す数値である。消費性向は通常1から0の間の値を示し、数字が大きいほど消費する割合が高い。

 企業の利益は、内部留保として蓄えられたり、株主に配当されても、おそらくはそれらの人々は裕福な人々で、単に預金の残高が積み上がるだけで、それが直ちに消費などの需要に結びつくことは少ない。つまり、消費性向は0に近い値を示す。一方、賃金として支払われた場合、労働者はそれを生活費に当てることになるから、おそらくは大半が費消されてしまうだろう。それは、毎月支払われる給与が、あっという間に引き出され、気がつけば赤字になっている、一般庶民の生活感から明らかだろう。つまり、消費性向は1に近い。このように、利益に回るか、賃金に回るかで、その後のお金の動きは正反対の動きとなる。労働者に支払われる賃金は「活発」であるが、利潤に回った資金は「不活発」である。したがって、賃金が増加すると消費性向の低い人から消費性向が高い人々に所得が移転することになるから、社会全体の消費性向が増加し、社会全体の需要が増加することになる。企業にとっても売り上げが増え、その分利益を増やす効果がある。また、需要が増えて生産設備の稼働率が上がるから、生産コストを押し下げる効果もあるだろう。場合によっては、生産能力の拡大のための新たな設備投資が発生して、さらに需要を拡大する効果が得られるかもしれない。

 一方、賃金の引き上げは労働者にとっては、単なる一過性の収入増加ではなく、恒常的に収入の増加が得られることになるから、財布のひもを少し緩めるかもしれない。それはまた、需要を高めることになるだろう。

 以上から、賃金の増加は、社会全体の需要を増加させると考えられる。需要が増加すると、それを供給するための生産が増加するから、結果として失業が増加することはならず、むしろ、雇用は増加すると考えられる。

 賃金の増加は、日用品の需要を高めることになるから、日用品の生産、販売に関わる業種が恩恵を受けることになるだろう。そうした業種は地元の小規模な事業者であることが多いと考えられるので、貨幣が地域内で循環する割合が高まるので地域経済にとってもよい効果を及ぼすと考えられる。

 このように、賃金の引き上げは、経済全体に良い効果を及ぼすと考えられる。それは労働者だけではなく、企業にとっても良い結果をもたらすはずだ。