新型肺炎の流行について(15)

 新型コロナウイルス感染症の拡大により、政府は「不要不急の外出」の抑制を掲げ、人出の8割削減、営業の自粛・移動の自粛などが実行に移され、長期化するにつれ、いよいよ深刻な影響が国民生活にもたらされている。

 収入の途が絶たれた事業者やその従業員などが、経営や生活の破綻の危機に瀕している。しかし、それに対する政府の支援の動きははかばかしくなく、その規模もあまりに小さい。その原因の一つは、このような状況下にあっても、平時の発想から抜け出すことができない人々が多いことだろう。通常の経済活動は不能となっているのだから、その対応も経済の常識にとらわれず、異例の措置を講じていかなければならない。これだけの世界的な規模の大災厄となれば、これを解決するには最終的な信用の保証者である政府による財政出動しか方法はないだろう。

 しかし、この期に及んでもなお、それを押しとどめようとする考えがある。その一つが、財政出動の結果、中央銀行の財務が悪化し、通貨の信用が失われ、紙幣は紙切れとなり、ハイパーインフレを招くという「ハイパーインフレ論者」の意見だ。

 これは、今回に限らずいつも現れる意見で、国民の暮らしが厳しい中で消費税が増税されたり、緊縮財政が続き、慢性的な不景気が長期に継続するのも、未だにこの考え方が根強いからだ。

 では、もしも、このたびのコロナウイルス対策として大規模な財政出動を行うと、ハイパーインフレは起こるのだろうか。そもそも、ハイパーインフレ論者がいう理屈は、簡単にいうと、通貨の増発 → 物価上昇 ということだ。これは、社会科の教科書で習う常識的な見解だが、この常識は、それほど揺らぎのない真理なのだろうか。

 経済現象というのは、人の行動の結果に基づくものなので、物理現象のように、自然にそうなる、というようなものではない。つまり、物価は人が引き上げるのであって、自然現象ではない。だから、物価の全面的な上昇が生じるには、個々の経済主体のレベルに立って、価格の引き上げを判断するような状況が生じなければならない。

 物価が引き上げられるのは、一般的には、物に対する需要が供給を上回る状態があるときだ。供給が十分にあるならば、物価が引き上げられるということは、一般的に生じない。現在の世界は、基本的には生産力が巨大で、物が不足している状態ではなく、むしろ物余りの状態である。特にこのたびは、経済の縮小方向の状況が発生し、通常より、より物が余る状況が生じている。現在、原油価格が歴史的な安値となっているが、これは、経済活動の抑制に伴って、需要の大幅な減少が生じているのが原因だ。

 このように、財政を大幅に発動して人々に経済的支援を行っても、直ちに物価上昇は起きる心配はないだろう。ただし、感染症の影響で、生産活動や流通などの経済活動そのものが停止してしまい、人々の需要を供給側が満たせなくなってしまうならば、物価上昇が起きる事態は生じるかもしれない。

 歴史の教科書でよく見る第一次世界大戦後のドイツや第二次世界大戦後の日本の事例等は、戦争で生産や物流などの経済基盤が破壊された結果、人々の需要が全く満たせなくなってしまったために生じた現象だ。

 今回の感染症の影響で、マスクや消毒液等の衛生用品が店頭から消え、一部には非常な高額で取引されたりというような事例が生じたが、これは、今まで、マスクを着用する習慣がなかった人々が使用を始めたために、従来存在しなかったような需要が増大したことによるものである。このような特殊な事例はあるが、人々の衣食に関しては、急に消費量が増大するようなこともないので、生産活動、流通が正常に機能しているならば、需要が供給を大幅に上回るような事態は生じるとは考えられない。トイレットペーパーが一時品薄になったが、価格の騰貴が生じなかったのはそのためだ。

 通貨への信頼が失われると、通貨を手放し、一斉に物に交換しようという現象が生じることがある。これがいわゆるハイパーインフレーションの状態であるが、現在の社会では、土地や株、貴金属などの資産インフレは生じることはあるかもしれないが、物については保存の限界があるので、一般の生活物資について、そうした心配をする必要はないだろう。

 このように考えると、財政を拡大しても、全面的に物価が上昇するという事態は生じないと考えられる。つまり、ハイパーインフレを心配するようなことはないということだ。

 以上より、今行うべきは、最後の砦ともいえる政府が、これまでの常識にとらわれず、財政をフルに発動し、窮地にたたされた事業者や市民を積極的に救済をすることだ。それが十分に行えなければ、多くの事業者、中小企業ばかりではなく、大企業も含め、経営破綻が発生し、経済活動の瓦解が発生してしまう。そうなれば、生産、流通の機能不全が生じ、予期せざる物価上昇ということも生じるおそれがある。