関西国際空港 泉州沖決定経緯(昭和49年航空審議会答申を読む(その3))

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 審議会の答申を読んでみた所感は次の通りである。

 

 全体的に、当時最有力と目されていた神戸沖の評価が辛いのが目につく。上の表に示したように、17人の委員が投票した各比較項目の点数の平均をとり、各候補地に順位を付してみる。すると、泉州沖は1位項目が4、2位項目が3、播磨灘は1位項目が2、2位項目が3、3位項目が2、に対して、神戸沖は1位項目は「利用の便利さ」のみで、2位項目が1、3位項目が5となっている。

 項目を個別に見ると、「建設」の項目で、軟弱地盤により致命的な事業費を投入する結果となった泉州沖の評価が、近辺に大きな河川がなく地盤がよいと思われる神戸沖よりも点数が高くなっており、妥当性に疑問符がつく。「既存権益との調整」の項目でも、泉州沖ではその後の漁業交渉で莫大な補償を行ったことを考えると、評価が高すぎるのではないかという疑問がある。

 しかし、一番の疑問は、この7つの項目の得点の合計点の一番高い候補地を最適地と結論づけたことである。というのは、答申は、「各候補地とも特に評価点の少なすぎる項目はなく、いずれも空港設置の適格性があることを示している」と述べているからである。

 空港の建設を考える場合に、様々な観点から、必須となるべき要素を欠くことがないかどうかを検討することはよい。しかし、その要素の総合得点の多寡をもって判断することには疑問がある。すべての候補地が適格性を満たしているならば、空港があくまで交通機関であることを考えると、もっとも周辺に人口が多く、利便性の高い候補地を選ぶべきであったのではないか。それが、最も多くの人を納得させる結論だったのではないか。その評価時点はもとより、将来の航空需要の拡大を予想するなら、なおのこと。それを、わざわざ利用者の利便性と関係のない項目(いわゆる「他事考慮」)を、7項目のうち過半数となる4項目も加えて評価を行っているのは、審議会の結論が当初から泉州沖ありきであったことを強く疑わせるものだ。泉州沖は、「利用の便利さ」、「管制・運行」、「建設」という「空港の機能に関わる条件」では、すべて2位にとどまっているのに対し、その他の「空港と地域の調和にかかる条件」について、すべて1位となっている。つまり、泉州沖を1位にするために、これらの項目を加えたのだと考えられる。

 しかし、「空港の機能に関わる条件」でも泉州沖は神戸沖を上回っているではないかという反論があるかもしれない。その反論に対しては、だから、この評価には余計になんらかの作為が働いているという疑いを強く持つ。建設費の項目で泉州沖の評価が不相当に高いのが、作為の現れだ。

 審議会は、当初から、神戸沖を退け、泉州沖ありきで、進められたのだと考える。なぜならば、大阪国際空港を廃止するという前提で、仮に総合得点で播磨灘が最も高くなっていたとしたら、大阪の利用者はその結果に納得できただろうか。おそらく、納得しなかっただろう。だから、審議会の結論は、委員の投票による「偶然」の結果ではなく、泉州沖の結論がでるように、選定方法が用意され、委員の投票もその結果に合うように周到に事前調整されたものだったと考える。

 こうした、不正な審議で、国土軸から外れ、人口の中心からも大きく外れた候補地を、わざわざ選んだことが、当初の目的だったはずの大阪国際空港の廃止もできず、神戸空港を誕生させた元凶だったのだ。