9月11日の神戸市長会見で、海軍操練所跡に展示施設を新たに整備することについて発表があったが、それに関する市長の説明の中で注目すべき発言があった。それは、阪神高速3号神戸線を「付け替える」計画があるとの発言だ。
その一節を抜き出すと、次のとおりである。
どうして、これ、もう開発計画が固まれば、最初からこういう暫定的な展示施設ではなくて、初めから本格的な開発計画をつくり、そして1階に遺構を保存するという考え方も、これはあり得るんですけど、開発計画が固まらないんですよね。開発計画が固まらない理由は、阪神高速3号線を、これを付け替えることにしておりまして、付け替える場所と一部ここは重なります。ですから、阪神高速3号線が付け替わることに伴って、このウォーターフロント全体の開発計画を考えていかなければならないと。
前、ウォーターフロントグランドデザインを御説明しましたけれども、あれも阪神高速3号線が付け替わる、そのことによって、神戸市のウォーターフロントの在り方としては、今の京橋の船だまりを埋め立てるということによって、暫定的に阪神高速3号線の仮のルートを取り、埋め立てるところを利用し、そして神戸市が埋め立てて、高度開発計画を考えるということで、連関をいたします。この計画に伴って影響を受けますから、まず暫定利用して、その付け替えなども見ながら、このエリアの開発計画を考えていくということになるわけです。
(神戸市HP:久元神戸市長会見 2025/9/11)
阪神高速3号線の「付け替え」とは何のことだろうか。
インターネットで検索をすると、次の資料が見つかった。
「阪神高速道路の更新計画について(参考資料)阪神高速道路株式会社」

(出展:阪神高速道路株式会社「阪神高速道路の更新計画について(参考資料)」)
この資料を見ると、「阪神高速道路における大規模更新(3号神戸線京橋付近)」として、現在、高速道路の橋梁全体を架け替える計画が進められているようだ。さらに、「工事期間中の交通影響を軽減するためのう回路設置について関係機関と協議中」であると記されている。同資料の他のページを見ると、事業年度は「2021年度から2028年度」とされている。
以上より、現在、阪神高速道路3号神戸線京橋付近の高架道路の架け替え計画が進められていることがわかる。
この架け替えがどのような方向性で進められているのかの詳細まではわからないが、いったん現状の「構造物全体を架け替える」という大規模な工事であるようだ。つまりは、いったん既存のものを撤去し、あらたな構造物を設置するということが想定されているようだ。
筆者は、以前より「阪神高速道路の地下化構想」を提唱している。阪神高速道路3号神戸線は、神戸の交通のために不可欠なものではあるが、神戸市の景観に対する最大の障害物であると考えるからだ。
このような構想は、これまで多くの人たちが考えてきたようだが、久元神戸市長もその一人であるようだ。
久元 その次のステップは、ちょっと夢のような話ですが…阪神高速3号神戸線の地下化です。震災後、必要性が言われていたものの早期の復旧が求められ実現はしませんでした。しかし、高速道路が神戸の街を分断していることは間違いなく、ウォーターフロントの活性化や南北の交通網を考える上でも重要な課題です。数十年かかるかもしれませんが、諦めることなく模索をしていくべきだと思っています。
(月刊神戸っ子 2017年2月号)
阪神高速道路が開通したのは1968年であり、その時以来、60年近くにわたって神戸の市街地と神戸港を分断してきた。これまでも、阪神高速道路の高架の撤去を考えた人は多くいたと思われるが、その考えを阻んできたものは、これに要するだろう高額の費用である。しかし、今、50年以上たって、現実に阪神高速道路の高架が一時的とはいえ、撤去がされようとしている。これを千載一遇のチャンスといわずしてなんと言うべきであろうか。
神戸という街が大きな変革期を迎え、神戸市は過去の神戸港の繁栄の中心地であった新港地区の再開発に取り組んでいる。そして、また、100年以上前の神戸港発祥の地ともいうべき幕末の神戸海軍操練所の遺構が発掘され、脚光を浴びようとしている。
神戸港が開港したのが1868年で、その100年後の1968年から阪神高速道路が街を分断してきた。もしこの機会を逃したら、次の機会はいったいいつだろうか。この機会を逃すべきではない。
何事も願うことなくして、また、誰かが言い出さなければ、誰かが動かさなければ実現することはない。それは、「人生すべからく夢なくしてはかないません」という言葉を遺した原口神戸市長の明石海峡大橋の実現の例にもあるとおりである。
久元市長は、もし、「阪神高速3号神戸線の地下化」の夢を持っているのであれば、今後の100年の神戸のために、ぜひこれに取り組んでほしいと思う。