なぜ神戸は没落するか(森嶋通夫「なぜ日本は没落するか」を読む)

 著者の森嶋通夫(もりしま みちお、1923年7月18日 - 2004年7月13日)は、世界的に著名な経済学者である。森嶋通夫「なぜ日本は没落するか」(1999年3月 岩波書店)は、バブル崩壊後の停滞に陥ったわが国の状況について分析し、将来を展望するとともに、打開策について論じたものだ。その議論は、現在の神戸、すなわち人口が減少し、地位の低落に悩む神戸の問題に対しても示唆に富む。そのいくつかを抜粋してみる。

 

「私は国民経済は小さいエンジンを積んだ帆船であると思っている。自力で動かせることも可能であるが、その場合速力は小さい。しかし、風が吹いている場合には、高速で帆走することができる。」、「それらの風が吹かなくなれば船のスピードはエンジンだけのものになってしまう。」、「したがって、無風状態のときに船を走らせるには、自分たちで風を吹かせるか、外部の人に風が吹くようにしてもらうかのいずれかである。」、「風を吹かせる役のものは政治家である。」 

 

 神戸は、幕末の開港後、急速に発展し、昭和初期には、日本で3番目の大都市にまで上り詰めた。これは、まさに神戸に対して「風が吹いた」状態だ。当時、国内と国外の状況の相違は著しく、それが大きな気圧差となり、日本の玄関口となった神戸に対して巨大な追い風が発生した。その後、わが国が経済成長を遂げ、内外の格差が埋まると、次第に風が弱まり、止み、ついには凪の状態に陥ってしまった。関西国際空港の誘致にも失敗し、情報化の進展の中で、国内でも神戸は他都市と同質化し、気圧差を失ってしまった。森嶋がいう言葉を借りれば、都市も「小さなエンジンを積んだ帆船」といえるだろう。現在の神戸は、凪の中で彷徨っている帆船のようなものだ。

 その帆船は、「自力で動かせることも可能であるが、その場合速力は小さい。」、「無風状態のときに船を走らせるには、自分たちで風を吹かせるか、外部の人に風が吹くようにしてもらうかのいずれかである」、「風を吹かせる役のものは政治家である。」と述べている。

  森嶋が述べているように、自分たちの中にあるものだけを用いて、頑張っても、わずかにしか進むことができない。神戸の中にある見所を掘り起こして都市の振興を図ろうとする「BE KOBE路線」では限界がある。船を走らせるためには、なんらかの格差、気圧差を作り出し、周囲のものを引き寄せること、あるいは風をとらえることが必要だ。 

 

「大量の失業が生じた場合、それは職業斡旋所の整備や、賃金の切り下げや、財政支出の調整などの政策だけで、吸収しきれるものではない。大量の職を新しく生み出すような大きいイノベーションを起こさなければならない。」、「大型のイノベーションは大きい風をつくり、風は日本経済という船を加速させる。その結果、日本が再び高度成長をし始めることもありうることである。」

 

 ここで自ら吹かせる「風」に相当するのは「イノベーション」である。イノベーションにより、内外の人々が行動を始め、大きな上昇気流が発生し、さらに周囲のものを吸引し始める。神戸にもイノベーションが必要だ。

 現在の神戸市長である久元市長は、神戸にイノベーションを起こせているだろうか。イノベーションとは、構造変化を伴い、それにより、なんらかの力学がはたらくようなもので、改善や改良とは次元が異なるものだ。

 「政治学の中心部門の一つは政治的イノベーションを考案する部門だが、日本の政治学会や大学の政治学部には、そのような研究グループは皆無に近いのではなかろうか。そういうグループにとっては、経済学や社会学(特に前者)が必要である。日本の政治学者は、経済学に余りにも弱く、政治史や政治思想史に偏りすぎている。」、「オックスフォード大学は、イギリスですぐれた政治家を輩出させた大学である。それは同大学のPPEコースのおかげであるとしばしばいわれる。」、「最初のPはフィロソフィーを表し、次のPはポリティクス、最後のEはエコノミクスを表す。」、「PとPとEの中で純粋論理的に構成されているのは経済学だが、その教育が不十分だと、社会現象を論理的に分析する能力を政治屋は持たなくなる。」

 久元市長は、法学部出身の官僚という経歴で、社会現象を論理的に分析することは得意ではないようだ。

「政治家の仕事は、新しい政治的なアイデアを創り出すことにある。偉大なる政治家はアトリー(福祉国家)、ヒース(EEC加盟)、サッチャー(私有化政策)がそうであるように独自の政策プランを持っていた。

 

 神戸には自ら風を吹かせることができる政治家が必要だ。これなくして神戸は没落から逃れることはできないだろう。