大神戸主義と小神戸主義

 都市の果たす役割を考えたときに、その住民だけを対象に考えるのか、より広域の周辺都市、周辺地方までを含めた住民、さらには他地方、海外までも視野に入れてその中での都市の果たす役割を考えるのか、二つの考え方に分けることができる。神戸という都市についても、こうした考え方をあてはめ、前者を「小神戸主義」、後者を「大神戸主義」と呼ぶこととする。

 これまでの市政をこの観点から見た場合、大神戸主義の典型は原口市長時代である。原口市政は、明石海峡大橋をはじめ、関西国際空港を神戸に設置することを構想し、それらを前提として、ポートアイランドニュータウン等を計画したのである。

 都市経営で有名な宮崎市長は、開発優先と批判されたが、宮崎市長にその自覚があったかはともかく、小神戸主義に分類されるだろう。宮崎市政が独自に行ったことと言えば、ファッション産業、神戸ワインに見られる農業の振興、異人館等の観光振興等、基本的には、広域的な視点はなく、神戸がそれまでに有していなかった産業を新たに移植することに努めたもので、自給自足的な発想の「神戸モンロー主義」とも言えるものであった。移植された産業は一時的には成功を収めたが、地域のセンターを獲得するという競争にはなんら寄与しないので、神戸が相対的に地盤沈下していく姿を糊塗する結果となり、かえって問題点が見えにくくなり、本質的な対策を講じる機会を失う結果となったように思う。宮崎市政は、原口市政の遺産を継承しながら、関西国際空港の誘致に失敗しただけではなく、神戸港の国際的地位からの脱落を招いた。これは全く偶然の不運であったのかと考えた場合に、宮崎市長に本質的に、環境保全、開発の抑制の指向があったためと思われ、それが招いた必然とも考えられる。

 現在の久元市政も、基本的に宮崎市政と同方向と思われる。医療産業の移植、起業の促進等、新産業の導入という方針は宮崎市政と共通である。都市間競争とは、広域的視点から、いかにしてその圏域でセンターの役割をつかむかという競争であるから、現在の神戸市の目指す方向は、都市間競争の観点からはポイントを外している。しかも、久元市政は宮崎市政のような、新たな産業育成にも成功していない。さらにスケールダウンして、現在の都市サイズですらなく、さらに小都市を指向しているようにさえ見える。歩きやすい街や、回遊性の向上など、中小都市で成功した手法を都市振興の柱にしようとしているが、あくまでも小規模な街には有効であっても大都市の振興は望むべくもない。