少子化問題について(7)

 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。

 この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。

 

労働基準法第1条(労働条件の原則))

 

 

 労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきもの

 

 「人たるに値する生活」とは、憲法第25条第1項の「健康で文化的」な生活を内容とするものであるが、具体的には、一般の社会通念によって決まるものであろう。国際労働機関憲章第3原則にいう「その時その国において相当と認められる生活程度」というのも、その趣旨である。したがって、「人たるに値する生活」のなかには労働者本人のみでなく、その標準家族をも含めて考えるべきものといわれる(昭22・9・13 発基第17号)が、その標準家族の範囲も一般の社会通念によって理解されるべきものである(昭22・11・27 基発第401号。同旨 石井他「註解Ⅰ」50頁)。

 

厚生労働省労働基準局編「労働基準法

 

 現在の我が国では、生殖可能世代の7割にも満たない子供しか生まれておらず、1世代ごとに3割ずつ人口が減少する状況となっている。この状況は、社会の持続可能性を満たしておらず、このままでは我が国の社会はいずれ崩壊し、消滅してしまうことになる。

 我が国の少子化は、収入が子供を育成するには足りない人々が増えていることが主たる原因であり、そのような人々が増えている原因は、非正規労働者の増大であることがわかった。つまり、我が国の少子化は、賃金が、その人の生存を保ち、子孫を残すという、社会存続の最低限の水準に達していない人々が増大したことが原因であると考えられる。

 労働条件の重要性というものは、最近になって考えられたものではなく、今から70年以上前の1947年の労働基準法制定時からすでに考えられていたことであり、それは、冒頭の、労働基準法の第1条に「労働条件の原則」として「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。」とされていることから明白だ。単に、その個人が生命を保つだけではなく、その標準家族も含めて生活を保障することは、当然必要なことと考えられていたということがわかる。しかし、現在では、こうした考えが人々の念頭に浮かぶことも少ないようで、むしろ、その明快さに新鮮ささえ覚える。

 

 勤労して、自らの生命を維持し、次世代を育成することは人間の基本的な営みである。これを享受することは基本的人権であると同時に、これを万人が享受できることは社会の持続可能の条件である。労働条件は人権問題に直結する問題であることであることを、我々は深く認識するべきであろう。そして、その実現については、社会の構成員すべてが関心を持ち、協力し合わなければならない問題である。

 しかるに、これに対する社会一般の関心の低さはどうしたわけだろう。マスコミ、特にリベラルと目される新聞にしても、環境問題や性的少数者の権利への関心と比べると、その態度は極めて冷ややかであるように思える。

 

 本当に気高い心があるかどうかを知る最上の試金石の一つは、長い間の不幸、あるいはまったく絶望的な不幸にある他人に対して示すその人の態度である。気高い心を持たない人たちは不幸な人に飽きて、彼をすぐその運命に委ねてしまい、そればかりか「あのような人は神と二人だけにしておくがよい」などと体裁のいい文句さえ用いたがる。

 

ヒルティ「幸福論」(岩波文庫版)

 

 

まとめ

 

 最近、「持続可能な社会」という言葉をよく聞く。この少子化の問題は、社会の持続可能性にとってきわめて重大な問題であるにもかかわらず、廃棄物や二酸化炭素の問題程には人々の注意が及んでいないように感じるのは気のせいなのだろうか。「持続可能な社会」という言葉が、それを用いる人をきらびやかに飾る単なる知的なアクセサリーになっていないだろうか。

 現在の我が国の状況は悲惨だ。このままでは、国の力がますます衰え、かつて世界第2の経済大国を自負していた輝かしい地位を失い、世界の中に埋没し、最悪の場合には国が消滅してしまうことになる。営々と築かれた社会が、いったん人口が縮小してしまうと、それを回復することはいかに困難なことであろうか。速やかに抜本的な対策を講じるべきだ。

 本稿の結論には何も新しいものはない。皆が既に気が付いていることだ。原因が自明であると思われるのに、いつでも異論が噴出し、まるで避けるかのように、適切な対策が打ち出されないのはなぜなのだろう。社会の指導的な地位にある人は、周囲の様々な利害関係に目を曇らせず、虚心坦懐に、今現在、我が国の国内で起きていることを直視し、必要な対策を講じることを願う。