兵庫県の斎藤元彦知事の疑惑を告発した元県幹部の私的情報漏洩(ろうえい)問題で、経緯を調べていた第三者委員会が27日、報告書を公表した。報告書は、県の総務部長だった井ノ本知明氏が漏洩したと認定。「知事、元副知事の指示により情報漏洩を行った可能性が高い と判断せざるを得ない」と結論付けた。
問題を巡っては昨年7月、井ノ本氏が県職員や県議に、疑惑を告発した元県民局長の男性の私的情報を見せて回っていたと週刊誌が報道。県は事実関係の確認などのため、弁護士らによる第三者委を設置し今年3月末に報告書が提出された。
報告書によると、井ノ本氏は昨年4月、告発者の男性の私的情報を県議3人に漏洩。知事と元副知事の指示によって、議会の一部会派の3議員に「『根回し』の趣旨で情報開示(漏洩)を行った可能性が高い」とした。
また報告書では、私的情報を漏洩した動機について、「元県民局長の私的情報を暴露することにより、その人間性に疑問を抱かせ、告発文書の信用性を弾劾する点にあった」との県議側の受け止めを「一定の説得力があると評価できる」とした。
(産経新聞 2025/5/27)
斉藤兵庫県知事に対する内部告発を行った元県幹部の私的情報が漏洩した問題で、その経緯を調べていた第三者委員会が5月27日に報告書を公表した。同報告書では、情報の漏洩は県の総務部長が行ったものと認定、その漏洩については斉藤知事および元副知事の指示があった可能性が高いと結論づけた。
兵庫県/秘密漏えい疑いに関する第三者調査委員会の調査報告書の公表
今回の第三者委員会の報告に対する反響は非常に大きく、全国紙でも各紙が一面トップで報じる扱いとなっている。
さらには、その社説でも論説が掲載されている。
【読売新聞】
(社説)兵庫漏えい問題 告発者の人格を貶める卑劣さ
(略)
告発者の人格を貶 おとしめ、告発が虚偽だと印象づける狙いがあったのなら、卑劣極まりない。公益通報制度の根幹を揺るがしかねず、知事の責任は免れない。
(略)
斎藤氏が知事の任に値しないことは明らかだ。いつまで問題の深刻さから目を背け、居直り続けるつもりなのか。自ら進退を決しないのであれば、県議会が改めて辞職を迫ることも選択肢だろう。
【朝日新聞】
(社説)斎藤氏の責任 進退が問われている
(略)
男性の人権を傷つけ、公益通報者保護法を踏みにじる一連の対応を主導してきた斎藤氏は「(前総務部長に)指示をした認識はない」としつつ自身の減給処分に触れたが、問われているのはその進退である。
(略)
知事は県議会の不信任決議を経て失職し、出直し知事選で再選されたとはいえ、新たな事実の発覚に伴う責任は免れない。「私の責任は県政を前に進めること」と再び語ったが、県政を担う資格はないと言うほかない。
(略)
知事とともに県民を代表する県議会の役割が再び試されている。斎藤氏の再選後は慎重な姿勢が目立つが、毅然(きぜん)と対応すべきだ。
(朝日新聞 2025/5/29)
【産経新聞】
<主張>兵庫県の情報漏洩 斎藤知事は進退の判断を
(略)
元総務部長ら幹部3人は「指示」があったとしており、第三者委の指摘の蓋然性は高いとみるべきだ。否定するなら納得できる説明が必要である。それがない以上、知事としての資質が疑われる。自ら進退を判断すべきである。
(略)
公益通報の体制整備を巡っては、消費者庁から、内部通報だけでなく外部通報も対象だとする指摘を受けたのに、いまだに対処しようとしない。こうした不誠実な姿勢で県政を適切に運営できるのかは疑問だ。
県議会には今回の指摘を踏まえた関係者聴取などで斎藤氏を厳しく追及する責務がある。自浄能力がなければ地方自治を担えないと銘記してほしい。
(産経新聞 2025/5/29)
【毎日新聞】
(社説)兵庫知事が「漏えい指示」 もう言い逃れは許されぬ
事実なら言語道断である。行政トップとしての任に値しない。
(略)
もう言い逃れは許されない。知事は自らけじめをつけるべきだ。
(毎日新聞 2025/5/28)
読売新聞、朝日新聞、産経新聞、毎日新聞とも、兵庫県知事の責任を厳しく指摘するとともに、県知事の資質、資格がないと断じ、斎藤知事の進退を問う、すなわち辞職を求める内容となっている。
知事の進退を問う声は、全国紙にとどまらず、地方紙の社説でも論じられている。
【京都新聞】
(社説)兵庫知事「漏えい」 責任認め職を辞すべき
兵庫県の斎藤元彦知事が、自らの不祥事を告発した部下をおとしめるため、その個人情報をさらすよう側近に指示した―。事実なら、悪質極まりない告発つぶしだ。
(略)
独善的で無反省な姿勢を改める気配がない斎藤氏に、知事の資質も判断力も欠くと言わざるを得ない。知事部局職員の自己都合退職が増えるなど、県政の停滞は明らかである。斎藤氏は現状を直視し、辞職を決断すべきだ。
確かに昨秋、県議会の不信任決議を経た出直し知事選で再選されたが、その後判明した一連の認定は不信任に値する。議会が座して黙認するのなら、二元代表制を担う資格が疑われよう。
(京都新聞 2025/9/30)
【信濃毎日新聞】
〈社説〉斎藤兵庫県知事 過ちを認め辞職すべきだ
(略)
不正をただそうと声を上げた職員を、法に従って守るどころか、おとしめていた。漏えいを指示した可能性が、県政トップに浮上している。行政組織を率いる資質に欠けることは、今回の報告書で決定的である。斎藤氏は自ら辞職を決断すべきだ。
(信濃毎日新聞 2025/5/28)
【北海道新聞】
<社説>兵庫県知事 「漏えい指示」責任重大だ
(略)
漏えいは地方公務員法の守秘義務違反の疑いが強い。指示したのが告発対象の知事本人だとすれば言語道断だ。県政トップとしてあるまじき行為である。知事は第三者委の結論を重く受け止め、自ら身を処すべきだ。
(略)
地方自治体の首長と議会議員は別々の選挙で選ばれる。権力分立の工夫である。知事の専横が止まらない事態をこのまま容認すれば、自治のあり方として極めて深刻だ。
(北海道新聞 2025/5/29)
要するに、日本全国の新聞の論調が、斎藤知事が県知事の資質に欠けることを明言し、辞職を求める主張となっている。
こうした状況にもかかわらず、なお、兵庫県下で斎藤知事を応援し、声援を送る人々が少なからず残っている。
全国の人々は、この兵庫県の姿を奇異なものとして見ているに違いない。兵庫県民はこの事実を直視すべきだ。
一方、地元の神戸新聞はどのような社説を掲載しているだろうか。
【神戸新聞】
<社説>私的情報漏えい/知事は自らの責任直視を
県政のトップ自らが情報漏えいを指示した可能性を指摘される異例の事態である。進退が問われてもおかしくない。
(略)
知事は自身のパワハラや公益通報者保護を巡り、第三者委から違法性などの問題を指摘されながら正面から受け止めてこなかった。自らの非を認め、責任の重大さを直視しない限り、信頼回復は望めない。
(神戸新聞 2025/5/29)
上記で見た全国紙や他の地方紙の論調と比べて、明らかに論調が異なる。
神戸新聞が言う「(知事の)進退が問われてもおかしくない」ということは、進退を問わないことを前提として、一部に進退を問う声があってもおかしくないということだ。そして、「自らの非を認め、責任の重大さを直視しない限り、信頼回復は望めない」と、自らの非を認め、責任の重大さを直視すれば、信頼回復がありうるということを述べている。
しかし、この期にいたって、斎藤知事の信頼回復など到底考えられない。全国紙や他の地方紙が言うように、「辞職は不可避」だというべきだ。
今回の事件の一連の騒動の中で、神戸新聞に対する失望は非常に大きい。これまで、地元を代表する新聞社、県民の権利、利益を守る公器として信頼を寄せてきたが、裏切られたような思いで、まことに残念なことである。県民個人の生命や安全が現に損なわれ、県民全体の民主的基盤が危機にさらされ、各所から悲鳴が上がっている状況の中で、神戸新聞は、そうした人権や民主主義を尊重する人々の側に立っていたと胸を張って言えるだろうか。現在の兵庫県下の混乱に神戸新聞は救いの手を差し伸べてくれたのか。権力を持つ側に阿るところはなかったのか。
阪神淡路大震災の発生のあの日、一日も休まず、報道の灯を守った栄えある「郷土紙」の誇りはどこにいってしまったのだろうか。
さらに、先頃、神戸新聞では次のような記事が掲載された。
兵庫県知事選の分断、SNSで深まる溝 意見異なる相手に心ない投稿相次ぐ 顔写真さらされる事例も
兵庫県の告発文書問題と斎藤元彦知事の評価をめぐり、一部の「親・斎藤」と「反・斎藤」の対立が激化している。交流サイト(SNS)では互いに意見の異なる相手への心ない書き込みが相次ぎ、アカウント名や顔写真をインターネット上で拡散させようとする事例もある。見知らぬ相手の攻撃にさらされる恐怖は、双方の不信や嫌悪感、敵意を増幅させている。(略)
(神戸新聞 2025/6/8)
兵庫県知事選の分断、SNSで深まる溝 意見異なる相手に心ない投稿相次ぐ 顔写真さらされる事例も(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース
公平な報道とは、両論併記で中を取ることではない。事実関係を正しく把握し、論理的に整理をすれば一つの結論に至るはずだ。そうした役割が本来、報道機関には求められているはずだ。
上記の各社の社説を見れば、「神戸新聞」を除いて、明確に斉藤知事の責任を問うている。すなわち、一定の評価の視座をもって、斉藤知事本人に問題があることを断罪している。
兵庫県の混乱は、単に斉藤知事に対する「好き」「嫌い」の問題ではない。兵庫県の問題は「公益通報者保護」「民主主義」の問題なのだ。そもそも、「反・斉藤」派というようなものは存在しない。それを正しくとらえないで、表面をなぞり、単に、好き嫌いで両者が争っているかのように報道するから分断が生まれるのだ。
事実を正確に把握し、論理的に整理すれば一つの結論に達するはずだ。それを怠る報道機関は、報道機関の名に値しない。それを怠って、単に両論を併記するだけでは、デマを拡散しているのと何も違わない。
斉藤知事の、質問されたことに対して、都合が悪ければ答えない、あの記者会見を見れば、問題がどこにあるのかは明らかである。神戸新聞は、そうした実情を、正しく報道すべきだ。
様々なデマが飛び交っている中で、何が事実なのか、事件の真相は何なのか、真実を追求し、それを読者にわかりやすく提示すること、それが報道機関の役割である。真実に向かって世論が収斂していかないとならないはずだ。
単に、社会に流布されている様々な意見を拾って提示するだけでは報道機関と言えない。かえって、世の中には「さまざまな意見がある」「何が正しいのかわからない」という印象を広め、社会を混乱させ、それは社会の分断を招くものだ。
兵庫県の分断を助長するのはいったい誰なのか、胸に手を当てて考えるべきだ。