兵庫県内 住宅地 最高価格地点の変遷(2)

 前回は、神戸市がこれまで保持し続けていた兵庫県下の住宅地の最高価格地点を、芦屋市に譲り渡したということを述べた。それは、単に隣接の市に遷ったというにとどまらず、阪神地区における大きな構造上の変化を映したものではないかということを指摘した。すなわち、阪神地区における従来の大阪と神戸という二重核構造が、神戸の衰退による大阪一極集中構造に変化したことによるのではないかということだ。

 そのことは、次のグラフを見れば、より明らかにわかる。

 

 兵庫県 基準地価 住宅最高最高最高価格地点の推移(市区別)

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 1990年頃、神戸市中央区は県下では他に抜きん出る圧倒的な最高価格地点であった。ところが、その後、全体的な地価の下落局面の中で、相対的な優位性を徐々に失い、2000年代初頭には神戸市東灘区に第一位を明け渡し、さらには芦屋市、西宮市にも抜かれる状況となった。

 上のグラフを見ると、大きく分けて、二つのグループに分かれていることが読み取れる。一つは芦屋市、東灘区、西宮市、中央区、灘区の上位グループと、もう一つは須磨区垂水区明石市、西区の下位グループである。下位グループは2000年以降横ばいが続いているが、上位グループは上昇傾向を読み取ることができる。上位グループの基調に影響を与えていると考えられるのは、大阪のベッドタウンとしての需要だと考えられる。上位グループは大阪のベッドタウンとして人気を博しているのだ。一方、中央区より西側になると、大阪のベッドタウンとしては人気が低くなり、神戸市内では雇用が少ないために需要が伸びず、地価は横ばいを続けているのではないかと考えられる。その結果、上のグラフで見るような、大阪の通勤圏としての上位グループと、神戸の通勤圏としての下位グループの二極分化の状態になっているというのが一つの仮説である。

 その中でも、神戸市中央区は、上位グループに吸収され、その中で同一の動きを示すようになっており、従来は神戸の中心地に臨む高級住宅地であったが、神戸が衰退するにつれてその輝きも失われ、神戸の中心地としてではなく、大阪の通勤圏としてかろうじて命脈を保っているというのが実情ではないだろうか。

 上のグラフは、阪神間の都市構造の変化を裏付けるものだと考えられる。