原口市長の都市構想

 世界の貿易港をもち、国際空港をもち、そして循環道路でつながれるならば、瀬戸内圏は一つのまとまりある広域経済圏として、集積の力をじゅうぶんに発揮できるであろう。それは東海道「陸のメガロポリス」に対する瀬戸内「水のメガロポリス」である。瀬戸内は日本歴史にあって文化と産業の先進地であった。その恵まれた風土と海、そして人々の頭脳と労働が、国際環境の中で日本をリードするエネルギーとしてよみがえるであろう。
 瀬戸内はいま新しい形の中枢地域として形成されつつある。ここに日本列島は、陸のメガロポリスと水のメガロポリスによって形成されていくことであろう。阪神はこの両メガロポリスの結節点という重要な位置を占めている。
 神戸はこの両メガロポリスのかなめとして、世界貿易の門戸として、海と陸とを結ぶ近代的交通・輸送体系の起終点として、都市全体をつくりあげてきた。海に直結する高速道路、背後へつなぐ六甲トンネル、そして近代的港湾都市をめざし、海にポートアイランドを築く。そして日本の成長のため、私は「水のメガロポリス」を橋と道路と船と飛行機で結びたい。


(原口忠次郎「過密都市への挑戦 : ある大都市の記録」1968年)

 

 これは、1968年に、当時神戸市長であった原口忠次郎が著した「過密都市への挑戦:ある大都市の記録」の一節である。


 一般人は、神戸という都市について、兵庫県の県庁所在都市で、人口は○万人で、日本で○番目の都市で・・・というように捉えるのではないだろうか。しかし、それでは、神戸という都市は、地方都市圏の中枢都市でもないし、人口が目立って多い訳でもなく、ごくごく特徴のない地方都市の姿に収まってしまうのではないだろうか。そこから導かれる結論としては、静かで美しい地方都市という静的な姿であろう。


 しかし、原口市長は違った。日本列島を東海道の「陸のメガロポリス」と瀬戸内の「水のメガロポリス」という二つの異なる地理や歴史を有するブロックの複合体と捉え、その結節点として近代的交通・輸送体系の起終点となるべく、神戸という都市がつくられたという、神戸の日本の近代における位置づけと都市の姿を読み取っている。この姿は目に見えるものではなく、慧眼を持った者にのみ描きだすことができるものだろう。原口市長は、読み取った日本列島の構造、神戸の位置づけに基づいて、神戸の進むべき方針を人々に指し示している。


 都市の構想とはこういうものではないだろうか。目に見えないものを読み取り、都市の姿を立体的に描き出し、来し方、行く末を見通し、都市を新たな高みに押し上げるための施策を提示する、これこそを構想力というのではないだろうか。これは政治家にとって、非常に重要な資質ではないだろうか。
 残念ながら、現在の神戸にこのような都市観や構想がない。再び神戸に、原口市長のような偉大な構想力、実行力を持つ人物が現れないだろうか。

 

 

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