斎藤知事は失職したが、兵庫県政の混乱は止まるどころか、まるで地獄の蓋が外れたかのように、いずこからとも正体のわからぬ者達が次から次に湧き出で、魑魅魍魎が跳梁跋扈する魔女の夜会のような状況となってしまった。
この10月31日に、知事の失職を受けての兵庫県知事選挙が告示されたが、実際に、行われている選挙活動はひどいものだ。前知事を支援する者たちは、デマや真偽不明の情報を撒き散らし、これまで明らかになってきた事実関係を完全に否定して正邪をひっくり返し、県庁職員への不信を煽り、猛り狂ったように内部告発を行った元県職員に対する激しい個人攻撃を繰り返している。彼らの「筋書」に反する言説への威圧が横行し、ちまたには恐怖が満ち溢れ、もはや、公正な議論は不可能な状況だ。
一刻も早く、このような混乱を収束させ、誰もが安心して自由に意見を表明できる社会を取り戻さなければならない。
今回の選挙に一つの視座を提供するならば、争点は、「兵庫県民のための知事を選ぶのか、兵庫県民以外のための知事を選ぶのか」という点だ。兵庫県民が、兵庫県民以外のための知事を選ぶことがあるわけがない、と言う者もあるかもしれないが、それをもたらすものが、デマと分断である。
今回の問題が3月に発覚以来、告発された7つの疑惑とそれに対する知事の対応の公益通報者保護法違反の問題は人々の注目を集め、兵庫県知事への不信が日増しに高まった。県議会においては百条委員会を立ち上げ、問題を明らかにしようとした。これらの真相を求める声に対して、斉藤知事の説明は到底人々の納得を得られるものではなく、逆に、事実でないことを平気で述べ、法の曲解や詭弁を重ね、問題に真正面から答えず、答えをはぐらかし続ける異様な態度が注目を浴びることになった。毎週定例の記者会見は毎回長時間に及んだが、納得の得られる説明はついには得られなかった。その結果が、県議会における全会一致の不信任決議の可決であり、そして、9月30日、斉藤知事は失職するに至った。
ところが、その失職の前後から、SNS上を中心に、斉藤前知事を擁護する発信が急増し、テレビカメラの前で支持者が前知事を激励するような不自然な映像が繰り返し流されるなど、なんらかの大きな力が働き始めたことが感じられた。
事態はそれにとどまらず、兵庫県にゆかりのない者が突然に立候補を表明し、斉藤前知事を擁護するだけにとどまらず、斉藤前知事に批判的な立場の者を名指しし、公然と圧力をかけ、内部告発を行った元県民局長の個人情報をさらし、聞くに堪えない個人攻撃を公衆の面前で行い続けた。
このような暴力的、破壊的な言辞を吐く者達に熱烈な支援を受ける候補者に兵庫県知事の座を委ねることは適切なことだろうか。
斉藤前知事が再選されるならば、兵庫県政の混乱が収束されることはありえない。なぜならば、未だに斉藤前知事は、自らの非を一切認めず、一連の対応はすべて適切だったと言い張っているからだ。
万一、再選されるならば、正常化どころか、県庁の混乱は一層深まり、さらに多くの犠牲者が生じるだろう。それは、もう取返しのつかない兵庫県庁の破壊が進むのではないかと強く危惧する。
兵庫県庁は、兵庫県民のために行政をするものだ。長年にわたって営々と築かれてきた兵庫県民の財産とも言えるものだ。その財産を敵視して一体どうしようと言うのだ。兵庫県庁の職員も兵庫県民の一員である。兵庫県民同士が争う愚は避けなければならない。内部の対立は、必ず外部を利するものだ。
県庁舎を建設することがどうして利権になるのか。兵庫県民は県庁舎も持たせてもらえないのか。県庁舎は県の行政の場であって、新しい庁舎は効率性、生産性の向上に寄与するだろう。また、立派な庁舎は美しい景観づくりにも役立ち、地域の誇りにもなりうるはずだ。そうした言い様は、逆に、県民の財産を利権とみなしていることの裏返しではないのか。
知事給与、退職金のカット、公用車の見直しなど、耳障りの良い疑似餌につられて、釣り上げられる愚を犯してはならない。そのように切り詰めたお金は、いったいどこに流されるのか。
改革の名の下に相互の不信をあおり、必要のない混乱がもたらされる事例を、我々はこれまで他に多く見てきたはずだ。
兵庫県民は互いに力を合わせて、兵庫県民の利益を守る、平和で民主的な兵庫県を作り上げなければならない。
県内の対立を煽るような言辞を吐く者は、まず信用に値しない。内部の分断は、侵略の常套手段である。これまでも、反対派に対して「抵抗勢力」のレッテルを貼り、分断を煽り立てた例を多く見てきたが、長い目で見てよい結果をもたらしたことがあっただろうか。外部の者達の怪しげな扇動に踊らされてはならない。
我々のモットーは、「兵庫県民同士は争わず」、「兵庫県は兵庫県民のもの」である。県民が互いに信じ合い、一致協力することができるならば、この未曾有の危難を、きっと乗り越えられるはずだ。
嵐に見舞われた者は、この世の終わりのような暴風が永遠に続くのではないかという恐怖に襲われるものだ。しかし、嵐はいつまでも続かない。恐怖に戦くがあまり、冷静な判断を失うようなことがあってはならない。
県民の良識が発揮され、11月18日には台風一過の青空が兵庫県民の頭上に広がっていることを信じたい。
