神戸は国際都市か

 かつて神戸は世界有数の国際貿易港を有し、我が国を代表する国際都市を標榜していた。しかし、現在、神戸港はかつての輝かしい地位を失い、国内の一港湾となってしまった。他方、近年のインバウンドブームでも、その動きに乗り遅れ、外国人観光客の姿を見かけることも少なく、かえって、地方へ旅行した際に、外国人観光客があふれている姿を目の当たりにすることになり、かつての誇りも消え失せてしまうようだ。

 久元神戸市長も、「まず神戸は国際都市だという、あぐらをかいたような感性を捨てないといけないと思う」と述べたと伝えられている。(神戸経済ニュース 2020/1/1)

 「国際都市」とは何かという議論もあるが、一般的には「世界各国の人々の居留・往来などが多い都市。国際的な大都会。」(デジタル大辞泉)と理解されている。とりあえず、外国人の居留、居住の状況は一つの指標になりうるものであろう。そこで、大都市の外国人の居住状況を見てみよう。資料は「大都市比較統計年表(平成30年度版)」で、数字は平成30年12月末現在である。

神戸市:大都市比較統計年表 平成30年版

 

 

(大都市における外国人住民の状況(実数))

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(大都市比較統計年表(平成30年度)から筆者が作成)

 まず、人数で見ると、神戸市は、人口は全国で第7位であるが、外国人については、東京、大阪、横浜、名古屋に続く第5位である。全般的には、大都市圏、特に、首都圏、名古屋圏、関西圏の三大都市圏の都市が上位を占め、これに対して、いわゆる地方ブロック都市を見ると、福岡8位、広島12位、札幌15位、仙台18位と順位は低い。

 神戸市の状況をさらに詳細に見ると、国籍の地域別は、アジア州5位、ヨーロッパ州6位、北アメリカ州6位、南アメリカ州11位、オセアニア州4位、アフリカ州5位となっている。南アメリカ州の順位が低いのは、浜松市が第1位になっているように、特定の生産現場で南米からの労働者が集中的に働いていることなどが要因と考えられる。

 元の統計では、国籍別の人数も表示されているが、その中で、インドが京阪神の3都市の中で神戸が最大の住民数となっているのは特徴的だ。

 

 これを全体の人口に占める比率を取ってみるとどうなるだろうか。

(大都市における外国人住民の状況(比率))

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(大都市比較統計年表(平成30年度)から筆者が作成)


 全人口に対する比率で見た場合、神戸は大阪、東京、名古屋、京都に次ぐ第5位であるが、国籍の地域別では、アジア州4位、ヨーロッパ州4位、北アメリカ州3位、南アメリカ州11位、オセアニア州2位、アフリカ州4位と、ほとんどの地域で順位が1~3位繰り上がり、これから考えると、神戸は外国人住民の比率が全国有数に高い都市であることがわかる。

 

 外国人住民の人口という切り口で都市を見てみた場合次のことがわかる。

(1)外国人住民は、三大都市圏に集中している。地方ブロック都市は外国人住民については、比較的少ない。神戸は外国人住民の数が多く、三大都市圏の特徴を示している。

(2)神戸は、外国人住民の人口に占める割合が全国有数に高い。これは、おそらく幕末の開港後に外国人居留地が建設され、雑居地がそれを囲むように発展し、北野町の異人館街、南京町、インド人街などが形成された神戸の歴史が反映しているのだろう。その歴史の中から、外国人住民の社会が育ち、彼らの生活を支える教育施設、宗教施設、食料品店、飲食店などの社会的インフラが定着したということが現れているのではないだろうか。実際に、神戸の都心部では日常的に、外国人の子供たちが通学する姿や、親子連れで買い物をする姿、飲食店で食事を取っている姿を見かける。それは特別なものではなく、ごく普通の日常の光景だ。そして、それは観光地で見る外国人たちの姿とは異なるものだ。

 

 神戸の街は、やはり外国人の住民にとっても暮らしやすい場所なのに違いない。気候が穏やかで風光が明媚で、古めかしいしきたりもなく、なんでもおおらかに受け入れる風土だ。

 そうした長年に渡り形成されてきた外国人住民が持ち込んだ社会インフラは神戸の街の財産といえるだろう。都市の形成、発展のきっかけは基本的には交通の問題だと考えられるが、ひとたびそうしたインフラが形成されると、それ自身が人々の誘因となる。神戸の今後の発展の一つの鍵は、この外国人住民が持ち込んだ社会インフラで、これをいかに発展させていくかが重要ではないだろうか。

 神戸は、一見、周囲と同質化してしまったかのように見えるが、やはり都市の生成の歴史が根強く残っている。都市の歴史を理解し、自分たちの特徴を伸ばしていくなら、再び神戸が世界の人々が訪れ交流する舞台として注目を集める日が来るだろう。