ふるさと納税訴訟に判決

 総務省ふるさと納税の新制度から大阪府泉佐野市を除外した決定は違法として、市が取り消しを求めた訴訟で、大阪高裁は30日、請求を棄却し国勝訴の判決を言い渡した。

神戸新聞2020/1/31)

 ふるさと納税は2019年6月の法改正により、参加できる自治体を総務省が指定する制度に移行、返礼品も寄付額の3割以下の地場産品に限定された。同市は法施行前にこの基準を超す返礼品で多額の寄付を集めたとし、他の3市町とともに新制度へ参加を認められなかった。

 総務省は法改正前から返礼品の抑制を求める通知を出していたが、泉佐野市は法的な拘束力がない「助言」だとして従わなかった。その実績を根拠に同市を新制度から除外したことの是非が争点となった。

 

 これに対するコメントを述べる。

 ふるさと納税はそもそもおかしな制度だ。納税者は、単に右から左に税金の納付先を変更するだけで、多額の返礼品をもらうことができる。いくらの寄付をしたかにかかわらず、本人が負担するのは一律2000円だけであるのに、動かした金額に比例したグレードの返礼品がもらえる。その当然の結果として、納税者は返礼品を目当てに自治体を選択し、寄付を行うという行為が横行している。その中で泉佐野市は、他と比較して著しく高い返礼割合の返礼品を使って、2018年度には全国の1割弱(498億円)にあたる寄付を集めたという。

 本来、税金は国や自治体の必要な財源を満たすために議会の議決を経て定められるものだ。そもそも余分な費用に充てられる余剰などないはずだ。ところが国が定めた上限額は寄付額の3割といい、それに加えて自治体はふるさと納税サイトの運営者に10%程度の手数料を払っているという。ごく単純に考えると、もしも、ある都市の住民が、自身の納税額の範囲ですべてを他都市に寄付をするという行動をとれば、その都市の財政は成り立たなくなってしまう。また、日本全体をトータルで考えても、寄付額の半分近くの額が、本来の必要な施策に充てられず、返礼品の購入費用や発送費用、ふるさと納税サイトの手数料に充てられてしまうことになる。ふるさと納税制度が広まり、利用が増えれば増えるほど、税の財源が失われ、社会を支える基礎がむしばまれてしまうことになる。地方の小都市が自らの都市規模をはるかに超える財源を手に入れることも考えられる。寄付に対する返礼品という本来の目的を超えて、その自治体が地元から返礼品を購入するために寄付を集めるかのような状況が発生する。これは一種の「ふるさと納税産業」ともいうべきだ。これは、あまりにも歪んだ姿だ。

 上記のように考えると、ふるさと納税制度に一定の制限があることは当然のことだ。法律の根拠以前の当然の理屈だ。総務省が定めた基準でも緩すぎるぐらいだ。

 おそらく、今回の新制度への参加の除外に至るまでに、総務省から何度も泉佐野市への働きかけがあったものとも思われる。しかし、その根拠が法的な拘束力がない「助言」であることを理由に態度を変えなかったものと思われる。ふるさと納税に一定の節度が必要であることは、根拠の有無以前に当然の理屈だ。仮に、財政力のある自治体がもっと返戻率を高めた返礼品を始めれば、その問題は自らに跳ね返ってくることは十分理解できるはずだ。常識に外れて誰もやらないのをいいことに、自分だけが利益を得ようとする態度は制度存立の基盤を掘り崩すものだ。そのような点について理解にすら至らず、総務省の決定に反発し、訴訟を提起し、さらに最高裁まで争おうとする者にふるさと納税制度の参加を許すことは、総務省としてもできないだろう。

 総務省の措置に対して、地方自治の侵害であるという意見もあるが、自治のためには責任ある行動が求められるはずだ。自分さえよければ周囲はどうなってもよいというのでは、自治制度そのものが成り立たなくなる。

 泉佐野市は奇しくも関西空港足下の自治体である。今回のふるさと納税制度に対する姿勢は、関西3空港問題への関西空港側の姿勢と共通しているように見える。関西3空港問題の前途の多難さを見る思いがする。