データ分析の限界と期待

神戸市データサイエンティストの就任

 神戸市では、オープンデータの蓄積・公開を推進し、市民・事業者とICTを活用して地域課題を解決するオープンガバメント社会の構築を支援しています。
 このたび、オープンデータや統計の公開・活用により市民や事業者のニーズを踏まえ、根拠に基づいた政策立案(EBPM)を推進する目的で、「データサイエンティスト」を以下の通り委嘱することとなりましたのでお知らせいたします。
 今後さらに、行政保有のデータや民間保有のデータ等を利活用した施策を推進していきます。

(中略)

主な職務内容
・ データに基づいた神戸市政へのニーズ把握、政策・地域課題の発見および分析
・ 最適な政策立案のためのソリューションの提案・助言
定量(KPI)管理等によるプロジェクトマネジメント
・ データ予測による意思決定の迅速化の支援
・ 神戸市関係部局のデータの一元的管理に向けた検討・助言
・ その他、EBPM推進に関する事項等

 

(令和元年7月30日 神戸市記者資料提供)

 

 神戸市は、行政や民間に蓄積されたオープンデータや統計データを分析して政策立案を提案する「神戸市データサイエンティスト」を設置すると発表した。特に、人口減少問題などの原因解明や政策立案などが期待されているようだ。

 

 データ分析については、過度の期待は禁物だ。

 社会科学の分野でのデータ利用は、経済学が代表的であるが、きわめて客観的とも思えるこの分野でも、現状認識や政策提言において、結論が分かれることが珍しくなく、場合によれば全く逆の結論さえ導かれることがある。まして、使用するデータが、アンケート調査など、もともと設問自体が不明確であったり回答者の解釈が一致しないもの等の場合、そこから客観的、妥当な結論が導かれるかは、まったく保証の限りではない。場合によっては、表面的な相関関係をとらえて、的外れな結論を連発するようなことも起こりうるだろう。

 データ分析によってなんらかの意味のある結論を導き出そうとすると、そこはデータ処理以外の直感や見通しに基づく適切な仮説が必要だ。むしろ、仮説が先にあり、その相関関係が裏付けられるかどうか、データを使って検証するという具合だろう。すなわち、データ分析そのものは万能の玉手箱ではなく、分析者の科学的センスが問われることになる。

 

 そこまで考えたときに、そういう科学的センスを専門としている人々が大勢、神戸にいるのではないかということに気がついた。神戸には多くの大学が存在している。特に神戸大学は日本有数の経済学研究機関である。これらの大学の能力をもっと神戸市の都市政策に活用できないだろうか。神戸市がこれらの大学に「神戸経済の再生策」について研究を委託をしてもよいし、研究論文の公募を行ってもよいのではないか。むしろ、地元の大学から、地域の構成員として自ら積極的な提言があってもおかしくないのではないかとも思うがどうだろうか。