ルミナリエの進化(2)

 ルミナリエは、現在のままの姿でよいのだろうか。

(1)ルミナリエの作品

 ルミナリエの作品は、ほぼ毎年同じような構成で、マンネリ感が否めない。ルミナリエの本質的な要素、着色の小型電球でモザイク状に教会のステンドグラスのような紋様のユニットを組み、それらを反復、構成して壮大な規模の空間を形成するという基本的な枠組みは残しつつ、もっと大胆に新しい構成、形態に取り組み、ルミナリエの表現の可能性を追求すべきだろう。そのためには、毎年、同じ作者である必要はないし、むしろ新しい才能に制作を解放してほしい。ルミナリエはもはや神戸市民の共有財産というべきで、特定の作者の独占物ではない。

 一般に、伝統文化といわれている地方の祭礼なども、現代のような形態になったのは比較的最近で、時代にあわせて大幅に改変を重ねていることが少なくない。ルミナリエも、新しい発想を取り込んで発展させ、可能性に挑んでいくべきだ。ねぶた祭のように、複数のチームでそれぞれ作品を制作するか、デザインを公募制にするなどすれば、競争が生じて進化が促進されるだろう。

(2)開催時期

 ルミナリエは震災の鎮魂と追悼のイベントだから、1月に行うべきだという意見がある。しかし、ルミナリエは、そもそもが、1月に震災に見舞われ、多くの人が犠牲になり、神戸市民の多くが街の復興に自信を持てなかった頃、その年の12月のクリスマスに、ルミナリエの光を見に多くの人々が神戸の都心に戻ってきた姿を見て、神戸の復興の希望を見たという共通体験に基づくものだった。そして震災の日には、明かりを消して、当時の暗闇を思い出すという経験であった。したがって、その両方を同時にすること、すなわちルミナリエを1月に開催することは、かえって正確ではないように思う。故に、開催時期は12月でよいと思う。

(3)開催期間

 開催期間は、10日間はあまりに短い。また、当初、クリスマスまで開催していたものが、2019年では、12月6日から15日までと、かなり前倒しで終わってしまっている。ルミナリエの当初の記憶を保つためにも、クリスマスまでの開催が妥当である。期間は、1ヶ月程度開催するのが適当だろう。

(4)開催場所

 開催場所については、必ずしも旧居留地である必要はないと思う。(現に、過去には、ハーバーランド新神戸に特設会場があったようだ。)たとえば、新港突堤であったりメリケンパーク、ハーバーランドでも、都心の機能を損なわない場所に会場を移すことも十分検討してもよいのではないか。むしろ、その方が、都心で気兼ねしながらやるよりも、ルミナリエの構成を自由にして、作品そのものの進化に役立つのではないだろうか。また、次に述べる開催経費の問題とも整合的だろう。

(5)開催経費

 開催経費も、イベントの維持を目的として、参拝料的に一人数百円程度を徴収することが適当だろう。有料化を批判する者が必ずでてくるだろうが、イベントを継続するためには経費が必ずかかるのだから、観覧する者に広く薄く負担を求めることは正当なことである。堂々と実施すべきだ。観覧料の徴収のためには、入場を制限してフリーライダーを排除しなければならない。

 

 ルミナリエは、神戸市民の震災の記憶を起源として市民の共感を得て誕生したイベントなので、一過性のものと捉えるのではなく、今後、市民の財産として大切に守り育てていくべきだ。しかし、イベントの形は、肝の部分を残しつつ、自由に大胆に改変をさせていく必要がある。