神戸に平和記念館を

 Wikipediaによると、太平洋戦争における、神戸大空襲は、被害面積は神戸周辺都市部の21%に及び、戦災家屋数14万1983戸、総戦災者数は罹災者53万858人、死者7491人、負傷者1万7002人とされるが、実際はさらに膨大な被害であったと推測されている。神戸市の人口1000人当たりの戦争被害率は47.4人であり、人口および面積から換算した被害率としては当時の五大都市の中でも最悪の数字であった。)

 激しい空襲の戦災によりほとんどの機能が停止状態となったため、1945年11月1日「神戸市復興本部」が設置され、中井市長自らが本部長に就任。復興に関する重要事項を企画審議するための諮問機関として「神戸市復興委員会」が設けられ、元神戸市長の勝田元や当時大阪鉄道局長であった佐藤栄作ら、多方面からあらゆる分野の人材が招聘された。2月39には日本政府の「戦災地復興計画基本方針」の閣議決定を受けて、翌1946年3月14日、「神戸市復興基本計画要綱」が制定され、罹災地域の戦災復興計画と、「大神戸」構想が示された。そこでは神戸市の性格を「国際的貿易都市」とし、これに商工業都市、文化都市、観光都市の性格を併有させるとされ現在の神戸市の礎となった。(出典:Wikipedia

 阪神淡路大震災を上回る甚大な被害であったことがわかる。

 神戸大空襲を舞台とした小説として、野坂昭如の「火垂るの墓」は名高い。後年スタジオジブリの制作で、高畑勲の監督・脚本でアニメ映画化され、終戦の日が近づくと毎年のようにテレビで放映され、平和を祈念する国民的映画となっている。映画は国際的に高い評価を受け、第1回モスクワ児童青少年国際映画祭・グランプリ、シカゴ国際児童映画祭・最優秀アニメーション映画賞など多くの賞を受賞している。

 また、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」の中でも、神戸空襲の場面がある。

 このように、神戸を舞台とする作品として世界的に著名であるということはさておいても、神戸空襲は神戸市民にとって忘れてはならない惨禍であるし、未来に向けて永遠に語り継ぐべき出来事であることは、いうまでもないだろう。

  そこで、神戸に神戸大空襲を記録する「平和記念館」の建設を提案したい。広島に原爆資料館があるが、原爆とは異なる焼夷弾による無差別爆撃であり、全国で繰り返され、大きな被害をもたらした日本空襲を記録するものとして建設する価値はあるだろう。国際都市神戸に対して行われた空襲で、小説、映画が国際的に名高いことから、神戸に平和記念館を建設することがふさわしいと思う。平和記念館を建設することは、世界に戦争の悲劇を永遠に語り継ぐことになり、神戸ができる世界への大きな貢献の一つになると考える。

 記念館は、映画にも登場する御影公会堂がふさわしいと思うがどうだろうか。