大阪都構想住民投票のその後(3)

 政令市20市の市長で構成する指定都市市長会(会長・林文子横浜市長)は5日に開催した臨時会議で、かねて指定都市市長会が制度化を求めていた「特別自治市」の議論を加速することなどを盛り込んだ、大都市制度の多様化を求める提言を採択した。市長会の総務・財政部会長を務める久元喜造神戸市長がとりまとめた。今後、総務省など関係機関に積極的に働きかける。(以下省略)

(神戸経済ニュース 2020/11/06)

 

 「特別自治市」とは、政令指定都市が、市域の県税を全て市税に移管し、県が担っている業務も移して、市域での行政を一元化するという都市構想である。2010年5月に開催された指定都市長会議において、指定都市市長会が初めて提案したものであるとされている。

 これは、域内の行政権限と財源を県から市に一元化しようとするもので、ちょうど大阪都構想と逆方向の構想である。ただし、二重行政の解消ということではなく、基礎的な自治体である市の自治の拡充という意味合いを有するものといえるだろう。

 大阪市の例で考えると、二重行政の解消というなら都構想だけでなく特別自治市という選択肢もあるわけで、都構想を推進しようとするならば少なくとも特別自治市との比較衡量が必要だと思うが、そのような検討はされたのだろうか。大阪府大阪市より適正に判断できると、なぜ自明の前提として主張できるのであろうか。

 都構想は地方公共団体自治を縮減するものであり、市民の自治を拡充する特別自治市の方が優れていると考える。では、神戸市を含む政令指定都市は直ちに特別自治市を実現するように取り組むべきであろうか。筆者はこれに対しては、直ちに取り組むべき問題ではないと考える。

 大阪都構想のように、何か制度を変えなければ目的が達成できないという発想は、現在の制度下においても実行が可能である課題についての関心と努力を疎かにし、結果的に実現を遠ざける結果を招きがちだ。大抵のことは現在の枠組みでもできないわけではないから、まずその枠組みの中で事を運ぶべきで、いたずらに大きな改革案を提唱することは、それによる軋轢を招くばかりで、課題解決という観点からも適切ではない。特に現在のようなコロナウイルス対策に全力で取り組むべきときに行うべきことではないだろう。

 今回の都構想についても、住民投票後に大阪市を存続させた上で同様の改革を行おうとしているのを見ると、本当の目的は大阪市からの権限と財源の大阪府への委譲であったのではないかと考えられ、であるとすると、そもそも大阪市の廃止は必要だったのかという疑問がわく。さらに考えると、大阪市の廃止を謳わなければ、もっと実現が容易だったのではないだろうか。大阪市廃止という不必要な要素を含めた大阪都構想は目的の実現のためのものではなく、「歴史的大改革」という看板を掲げたいがための構想であったのではないかという疑念を抱かせるものだ。 

 

大阪都構想住民投票のその後(2)

 大阪都構想に対する住民投票は反対多数の結果となったが、大阪府の吉村知事は住民投票の余韻も冷めない11月6日に、二重行政の解消が住民投票で示された民意であるとして、都構想に代わって広域行政の「一元化条例」の制定を目指す考えを表明した。

 大阪都構想の本質は「大阪市民の保有する権限と財源の縮小」ということであるから、「一元化条例」は「対案」ではなく、都構想そのものだ。住民投票で否決された案を、自分たちの都合のよい勝手な解釈で、再び、住民投票すら通さずに、俎上に乗せようとするものであり、非難は免れないだろう。

 大阪市議会は定数が83人で、大阪維新の会が40人、自由民主党・市民クラブが19人、公明党が18人、日本共産党が4人、市民とつながる・くらしが第一2人となっている。大阪維新の会は最大会派であるが、単独では過半数にはいたらない 。しかし、今回の住民投票のように公明党が賛成に回ると本条例は可決が可能な状況だ。ネット上では、多数決が議会制のルールであるから当然のことだ、嫌なら次の選挙で落とせばよいだろうという声もあるようだ。しかし、市長や市議会議員は市民の信託を受けて市民の代理人として市民の利益のために行動するのが本来の役割のはずだ。市民の権利を勝手に縮減するのはありえない。個別の問題ならともかく、府と市の二重行政を理由に包括的に大阪市の権限と財源を大阪府に献上しようとすることは大阪市民に対する背任行為と言えるだろう。

 大阪都構想でも疑問に思っていたが、なぜ二重行政の解消のために、住民に身近な基礎的地方公共団体である大阪市大阪府に権限と財源を献上しなければならないのだろうか。大阪市より大阪府が適切な意思決定ができるという保証はあるのだろうか。二重行政の解消というのであれば、大阪府から大阪市に権限と財源を移譲するという方法があるし、その方が現行の地方自治法にも則した考え方だ。現に、大阪市以外の政令指定都市では、そのような考え方が主流だ。

 それはさておき、この問題は、どちらが大阪市の住民サービスが上がるか、どちらがより成長するかという問題ではない。大阪市にかかる行政の権限と財源の決定権の帰属の問題なのだ。大阪市にかかる行政の権限と財源を大阪市民が守るのか、大阪府に献上するのか、その決定権を誰が握るのかというのが核心的な問題なのだ。

 

 ところで、大阪市民にとって不利益を及ぼす大阪都構想はなぜ提唱され、進められてきたのだろうか。次は筆者の仮説である。

 大阪維新の会は「維新」を標榜しているものの、実はなんら我が国の具体的な課題を解決するプランなど持っていないのだ。経済政策にしてもせいぜい万博やカジノの誘致ぐらいで、本来、何かを行おうとして政権を握ったわけではない。マスコミの寵児が、何かをしてくれるのではないかという人々の期待を受けて、当選してしまったものだ。

 何かを「敵」に仕立て上げ、その敵が抵抗するから改革が進まないというストーリーで、その仮想敵に対して戦う姿勢を見せることによって民衆の支持を集める「劇場型」が彼らの政治手法なのだ。その敵が大きければ大きいほど、実際にそれが実現するのに時間がかかるし、その間、自分たちの仕事がうまくいかなくても、それを理由に責任転嫁をすることができる、都構想は大変都合のよい隠れ蓑だったのだ。遠い遠い先に素晴らしい世界がある、そこに至ることの希望を振りまき、人々に期待を持たせ、現実の世界では課題の解決は先送りされる。しかし、それはすべて自分たちに抵抗する守旧派が原因だと。

 彼らにとって仮想敵の存在は不可欠で、今回の住民投票で敗れたことは目標の喪失で、存在意義に関わることだ。だから、都構想が否決されたあとも、看板を掛け替えて、闘いを継続させようと目論んでいる。

 しかし、もう、これも終わりだ。いつまでも、架空の劇場に時間を費やすべきではない。大阪都構想は人々の目を欺くものだ。この問題に、どれだけの時日を費やしただろう。いたずらに対立をあおるのではなく、社会の構成員が手を携え、真に人々の平和と幸福の実現のための政治を行うべきだ。

 社会において、権限や能力が誰かに一元化されていることはあまりない。逆に、権限や能力は社会に分散していることが普通だ。だから、社会で物事を進めるためには社会のそれぞれの主体の相互協力が欠かせない。

 自分たちと考えが違う者がいるから、自分たちの幸福が実現できないと考えるべきではない。自分たちと考えの違う者を排除することは独裁の第一歩だ。忍耐と譲歩、協力と分かち合いの中で、物事は進んでいくのだ。破壊することばかりに血道を上げるのではなく、相互理解と協力関係、創ることにこそ精力を傾けるべきだ。政治は、破壊することではなく、信頼と関係の創造であるべきなのだ。

 

 

新型肺炎の流行について(39)

 新型コロナウイルス感染症は夏以降の「第2波」が収まらないまま、流行の波がやってきた。「第3波」との見方もあり、1日あたりの国内の感染者数は13日も過去最多を更新。感染が広がりやすくなるとされる冬を前に、経済を守りながら感染を抑えられるのか。予断を許さない状況だ。

朝日新聞 2020/11/13)

 

 新型コロナウイルスの新規感染者数は、しばらく低位で安定していたが、気がつくと第2波のピークを越え、過去最多を記録した。

f:id:firemountain:20201115094019j:plain

(出典:厚生労働省HP)

 

 やはり、気温の低下が影響しているのだろうか。新規感染者数は10月の終わり頃から急激な増加となり、まさに指数関数的増加の様相を呈している。ひとたび増え始めると連鎖が連鎖を呼び、医療の対応が追いつかなくなり、制御不能、まさに爆発といえる状態に陥る可能性がある。それがこのウイルスの恐ろしいところだ。

 

 経済活動への影響が、次々と報じられている。

 冬のボーナスは、全日本空輸ANA)では見送り、日本航空では例年の4分の1、JR東日本では3割減額と大幅な減額が伝えられている。また、紳士服大手の青山商事 全店舗の2割にあたる約160店舗を閉店、ファミリーレストラン最大手「すかいらーくHD」は約200店を閉店するなど、大規模な店舗の閉鎖も伝えられている。

 また、兵庫県が、一般事業の経常的経費や政策的経費の上限を、20年度の当初予算に比べて2割抑制するなどを柱にした予算編成方針を発表している。コロナウイルスによる大幅な税収減に対応した「緊急特例的な措置」とのことだ。

 このように、新型コロナウイルス禍では、一次的な営業の不振だけではなく、次から次へと、後を追うように経費の縮減に努める個々の企業の対応が続いており、これらがさらなる需要の減退を招く累積的な経済の縮小過程が続いている。その中にあって、行政側も税収減にともなって経費の大幅な予算の削減方針を打ち出している。個々の企業は、独立の経営体として収支の均衡を図るのは当然で、やむを得ないことだ。しかし、行政までがそれに合わせて経費を節減すると、経済は歯止めを失って悪循環が止まらなくなってしまう。この負の連鎖を防ぐ最後のアンカーが政府であり、政府は国債の発行や通貨発行権を使って民間とは逆向きの需要確保のための施策を行わなければならない。単に税収に合わせて施策を行うのは無策で、公的セクターの役割を理解しない愚かな行為だ。地方自治体は、政府に実情を訴え、財源の確保を働きかけるべきだ。

 

 また、婚姻届、出生数への影響も報じられている。

 厚生労働省は21日、新型コロナウイルスの感染が広がった今年5~7月の妊娠届の件数が20万4482件だったと発表した。前年同期比11・4%減で、政府の緊急事態宣言の発令が続いた5月は同17・1%とマイナス幅が最大だった。感染を恐れ、届け出るのが遅れたり、妊娠するのを避けたりしたためとみられる。5月以降に妊娠届を提出した人の多くは来年出産するため、86万人と過去最低だった2019年の出生数を来年は大きく下回り、少子化が加速する可能性もある。

毎日新聞 2020/10/21)

  新型コロナウイルス禍は、社会に大きな爪痕を残しつつある。

 

  世界では、11月13日現在で、感染者数累計 5,273万人、死者129万人に上っている。特にヨーロッパでは爆発的な感染が発生しており、たとえばフランスでは、感染拡大が一時落ち着いていた7月末時点で 感染者数累計 225,197人であったものが、8月から再び拡大を始め、11月12日現在で 1,915,282人と、約3ヶ月で8.5倍にもなっている。我が国では、11月12日現在で感染者数の累計は 113,655人であるが、十分警戒が必要だ。

 冬はまだ始まったばかりだ。今一度、一人一人が感染の拡大防止に注意をしなければならない。

 

 

 

 

大阪都構想住民投票のその後

 大阪府の吉村洋文知事は6日の記者会見で、大阪都構想否決を受けて検討している、広域行政の一元化条例案について「広域事務は府に全て一元化すべきではないか。大阪市を残す前提で都構想の対案として、2月議会に提案したいと改めて意欲を示した松井一郎市長も2月議会への条例案提出を目指すが、自民党公明党は慎重な姿勢をみせている。

 広域行政の一元化条例は府市の二重行政を生じさせないためとして、松井氏が5日、制定を目指す考えを表明した。松井氏は6日も「府市が二度とバラバラにならない仕組み作りをやりたい」と強調した。

 松井、吉村両氏は条例化を目指す理由として、住民投票で示された「民意」に言及する。大阪市を廃止して4特別区に再編し、広域行政を府に一元化する都構想について、賛成と反対の票差は約1万7千票。全体の投票数約137万票に対する得票率の差は1・26ポイントだった。

 吉村氏はこの日、都構想の制度設計で府に移管するとした約430の大阪市の事務が条例で府に移管させるかどうかの検討対象になるとしたうえで、「仕事と財源がセットなのは当然」と述べ、財源もともに市から府へ移す考えを示した。また、府市が重要課題を協議する副首都推進本部会議を「条例上の組織」として明記するとした。

 条例案は府市の共同組織「副首都推進局」が策定するが、都構想では法律で基礎自治体が担うと定められた消防も府に移すとしているため、総務省との協議も必要となる。

産経新聞 2020/11/6)

 

  大阪都構想を巡る2度目の住民投票は反対票が賛成票を上回る結果となり、大阪都構想は葬られることになったはずだ。ところが、大阪府の吉村知事と大阪市の松井市長は、住民投票で示された民意として二重行政を解消するために「広域行政の一元化条例」の制定を目指す考えを表明した。

 大阪都構想は、大阪市という地方自治体を廃止し、新たに4つの特別区に再編すると同時に、従来、大阪市、すなわち大阪市民が保有してきた権限と財源を、区長の公選制と引き替えに、大阪府に引き渡すという内容である。吉村知事の発言は、都構想のうち大阪市を廃止する部分については断念するが、大阪市民が保有してきた権限と財源を大阪府に引き渡すという部分については、条例化して進めるという方針を示したということになる。

 大阪都構想の本質は、「大阪市民の保有する権限と財源の縮小」ということであるから、住民投票で反対が多数となった今、これを進めようとする考え方は尋常ではない。大阪都構想の「対案」というが、これは都構想の本質部分で、対案ではなく都構想そのものだ。都構想の本質はそのままに看板だけを掛け替えるようなものだ。これはあまりに不誠実な姿勢だといわざるを得ない。また、住民投票で否決された大阪都構想と本質的には変わらないことを、市議会の多数決だけで行おうとしているのは、住民投票の結果をないがしろにする行為だ。

 先に、地方自治法における都道府県と市町村の事務の分担の考え方について説明したが、法律論、形式論だけではなく、大阪市民の大阪市に対する自治権、決定権という観点に立てば、二重行政の解消というなら、大阪市の権限と財源を守り、さらに拡張する方向から大阪府に権限と財源の移譲を求めるのが本来だと考えられる。そもそも、大阪市民の権利の保護、拡張を考えるのが大阪市長大阪市議会の役割であるはずだ。そのために市民から信託を受けているはずなのに、この一元化条例を進めようとする姿勢はほとんど「背任」といってよいぐらいだ。なぜ、大阪市民から信託を受けながら、大阪市民の権利の縮減に血道を上げるのか。大阪市民の信託を受けた者が大阪市民の権利の縮減に邁進しようとする姿は普通ではない。

 住民投票が反対多数となり、都構想の住民投票は自分たちの手でもう二度と行わないと宣言したその舌の根も乾かないうちに、このような発言があったことに対して驚愕するばかりだ。この執拗さの背後にあるものはいったい何なのだろう。

 「広域行政の一元化条例」大阪都構想の問題と同様に、大阪市民の権利、権限と財源に対する自治権、決定権の問題として、もう一度、大阪市民はよく整理し直すべきだろう。ここをしっかりと押さえないと、また、本質からはずれた水掛け論に突入し、大阪市は混乱の日々を送り続けることになるだろう。

 大阪市は、この問題に既に10年間を費やしている。いったいいつになったら大阪市民はこの問題から解放されるのだろうか。

 

firemountain.hatenablog.jp

 

学術会議問題について

 日本学術会議の会員の任命拒否問題について、大きな議論となっている。

日本学術会議の任命拒否

 日本学術会議の任命拒否とは、2020年9月、内閣総理大臣菅義偉が、日本学術会議が推薦した会員候補のうち一部を任命しなかった問題である。現行の任命制度になった2004年以降、日本学術会議が推薦した候補を政府が任命しなかったのは初めてのことである。

 

 任命を拒否された推薦者

 任命されなかったのは以下の6人である。6人は安全保障関連法や特定秘密保護法などで政府の方針に異論を唱えてきた。
(以下省略)

 

ウィキペディア

 

 これについて、日本学術会議法には、「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」と記載されており、政府のこれまでの公式見解では、任命制とはいうものの実質的なものではなく形式的なものであるとの説明がされてきたようだ。そのため、これまでは学術会議が推薦し、その推薦のとおりに任命されてきた。ところが、今回は、学術会議が推薦した候補者のうち、政府の方針と異なる見解を唱える6人の者を政府が任命をしなかった。これに対して、同法に反する、学問の自由を脅かす等の批判が起きている。

 そうした意見に対して、政府が税金を使って運営する会議で政府が人事に関与するのは当然である、学術会議の在り方に問題があるとの意見も表明されている。

 

 この問題についてどう考えるか。

 憲法で、「学問の自由は、これを保障する。」(憲法第23条)とされている。政府の方針と異なる見解を述べる者を排除することは憲法の規定に抵触するおそれがあることはいうまでもないが、そうした形式論だけではなく、実質的にも大きな問題があると考える。というのは、学問上の結論が政治的な判断と異なることがあることはよくあることだ。しかし、学問は学問的観点から自由に展開されるべきで、学問が政治の顔色を見て判断をゆがめるようなことがあればそれは学問の死を意味することになってしまう。つまり、政府の方針に気兼ねして結論を変えるような学問では意味がないのだ。政府の方針とは別の次元で独立して自らの良心に従って論理的結論を導き出すのが学問の役割だと考えられるからだ。それが社会全体の多様性を確保することになり、環境変化に対する社会の適応力を高めることになるのだ。だから、今回のように政府の方針に反する見解を述べる者を排除しようとすることは、単に学術会議だけの問題ではなく、社会全体を大きくゆがめ、社会の多様性、豊かさ、環境変化への社会の適応力を破壊することになってしまう。だから、今回の政府の対応は妥当ではない。

 この問題を聞いて思い出す話は、太平洋戦争中の逸話だ。日本海軍がミッドウェイ作戦に先だって図上演習を行ったという。そのとき、日本海軍の航空母艦が4隻とも大破するとの結論が導き出された。しかし、それでは軍として不都合なので、そのような被害は生じないことにして演習を続けたそうだ。その後、作戦は実行に移されたが、図上演習が予測したとおりに4航の空母艦の喪失という致命的な打撃を受けることとなってしまい、太平洋戦争の大きなターニングポイントになった。

 この事例だと、論理的には正しい結論が導き出されていたのに、主観を差し挟んだがために、それが活かされることはなかったのだ。このように、それを採用する側の思惑に関わりなく論理的な結論を導くのが学問に求められる役割であり、自分たちの方針に反するからといって排除していけば、その後に残るものは、政府への忖度、追従だけとなり、そのような学問は意味がないと考えられる。その究極の姿は天動説が支配する中世のヨーロッパだ。

三ノ宮駅ビル計画が白紙に

 JR西日本は30日、遅れている三ノ宮駅ビル(神戸市中央区)の再整備について、社内で検討を進めてきた計画をいったん白紙にし、内容を見直すことを明らかにした。新型コロナウイルス感染拡大による経営状況の急速な悪化を受け、仕切り直す。駅ビルの需要に変化が生じているとし、改めて市場調査をした上で計画を決める。

 長谷川一明社長が同日の会見で「従来の考え方で駅ビルを造れない。業種、業態を含めてゼロから検証する」と言及した。都心活性化の目玉事業は、全体像が示されないまま不透明感が強まった。

神戸新聞 2020.10.30)

 

 

 JR西日本が30日、JR三ノ宮駅ビルの再整備について、計画をいったん白紙にし、内容を見直すことを明らかにしたと報じられた。 新型コロナウイルス感染拡大による経営状況の急速な悪化を受け、駅ビルの需要に変化が生じているとし、改めて市場調査をした上で計画を決めるとのことだ。

 9月27日の記事で、JR三ノ宮駅ビルの計画が白紙になっているのではないかと予想したが、その予想は正しかったようだ。

 三ノ宮駅ビル再開発計画は同社の2018年4月に発表した中期経営計画(5カ年)において大阪、広島両駅と並ぶ「三大プロジェクト」と位置付けられていた。今回の計画見直しでは、このうち三ノ宮駅ビルのみが見直しの対象になったようだ。どうして三ノ宮駅ビルだけが見直しの対象になったのかというと、その中で一番収益性が低く「不急」と判断されたためだろう。

 

 三宮再開発は神戸市にとって市の将来を担う最重要プロジェクトであり、その中でもJR三ノ宮駅ビル計画は間違いなく最重要のプロジェクトであったはずだ。三ノ宮再開発は、単に神戸の表玄関のリニューアルというにとどまらず、これまで造船、鉄鋼などの重工業や国際港湾都市として発展してきた神戸を、陸海空の交通拠点として経済や文化の交流の中心地という新たな位置づけを与える重要な意味を持つものだ。その計画の基幹事業が白紙に戻されてしまったのだ。それは単にJR三ノ宮駅ビルだけにとどまらず、その周囲の再開発計画にも大きな影響を与えるだろう。

 この事態は新型コロナウイルス蔓延によるやむを得ない事態と理解すべきではない。これは神戸市、特に久元市長の大失態というべきだ。JR三ノ宮駅ビルの建て替え計画は、今から10年以上前の、2008年頃にJR西日本と神戸市との協議が始まり、2013年3月には再開発する方針を固めたと新聞で報じられた。それによると、建て替え計画は同社の13年度からの中期計画に盛り込まれ2021年度の完成を目指すとのことだった。この方針を引き継ぎ、2013年11月に就任したのが久元市長である。ところが、JR西日本は、2021年度の完成を目指すとのことだったにもかかわらず、それから7年後の現在にいたるまで、新ビルの計画すら発表していない。こうした事態の背景に神戸市が一切関わりがないとは考えられない。おそらく、神戸市の方針とJR西日本の方針に重大な相違があったのだろう。神戸市は、三宮再開発を進めるにあたって度重なるアンケートや検討会議に時間を費やし、神戸の道路交通の要ともいうべき三宮交差点から自動車を閉め出し歩行者専用空間に転換させる「三宮クロススクエア構想」などの三宮再開発の本質とは関わりのない計画を抱き合わせにしようとした。そうした議論に時間を費やした挙げ句、迎えた事態がこれだった。

 JR西日本は三大計画のうち、大阪、広島両駅については、計画の見直しの対象とはしなかった。駅ビルの需要に変化が生じているというなら、大阪、広島も同様のはずだ。となれば、神戸だけの特殊事情があると考えなければならない。もしかすると、JR西日本は、神戸市から課せられた条件を、新型コロナウイルス禍を理由に一挙にリセットしようとしているのかもしれない。それが、同日の会見で同社の長谷川社長が「従来の考え方で駅ビルを造れない。業種、業態を含めてゼロから検証する」という白紙宣言なのかもしれない。このことは、同社長が「神戸の中心地の再開発は非常に重要な取り組み。三大プロジェクトの一つとの位置付けに変わりはない」と述べたこととも符合する。

 今後どうなるかを考えると、早くても2023年4月以降の次期5カ年計画に乗るかどうかであり、経済情勢次第ではさらなる先送りもあるだろう。

 本来、神戸のシンボリックな建物が存在すべき市内最大の交通拠点の目の前が長期間にわたって更地、もしくは低利用の状態をさらす事態は、都心の吸引力、都市ブランドの失墜など神戸にとって悲惨な事態というべきだろう。

 神戸市の退潮はもはや覆いがたい。近年の神戸市の停滞感、「下町神戸」や「茅葺き神戸」など、神戸ブランドの毀損は著しい。市政の舵取りを誰にゆだねるかは、都市の発展にとってやはり非常に重要な課題なのだ。

 

firemountain.hatenablog.jp

 

大阪都構想住民投票 反対多数に

 大阪市を廃止して四つの特別区に再編する「大阪都構想」の是非を問う2度目の住民投票が1日投開票され、反対票が賛成票を僅差で上回った。政令市である大阪市が存続する。都構想を進めてきた日本維新の会松井一郎代表(大阪市長)は記者会見で、「政治家としてのけじめをつけなければならない」と述べ、2023年4月の市長の任期満了で政界を引退すると表明した。

時事ドットコムニュース 2020/11/2)

 

 

 11月1日に行われた大阪都構想を巡る2度目の住民投票は、反対票が賛成票を僅差で上回る結果となった。賛成、反対のそれぞれの投票数は、賛成675,829、反対692,996(確定)であり、その差は約1万7千票であった。

 大阪都構想は、大阪市という地方自治体を廃止し、新たに4つの特別区に再編すると同時に、従来、大阪市、すなわち大阪市民が保有してきた権限と財源を、区長の公選制と引き替えに、大阪府に引き渡すという内容である。都構想は大阪市民にとって不利益しか存在しないといえる内容のものであるが、今回、反対多数の結果になったものの、最後まで予断を許さない大接戦となったことに衝撃を覚える。

 大阪都構想を推進する理由として、「二重行政の解消」が挙げられるが、仮に二重行政の弊害があるとして、府と市の両者があってこそ二重行政となるはずだ。ところが、なぜか、その責任が市にのみ帰せられ、大阪市が徹底的に攻撃される理由がわからない。地方自治制度の大綱を定める地方自治法においては、市町村と都道府県の事務の分担については次のとおり定められている。

地方自治法(抜粋)

 

第2条 地方公共団体は、法人とする。

2 普通地方公共団体は、地域における事務及びその他の事務で法律又はこれに基づく政令により処理することとされるものを処理する。

3 市町村は、基礎的な地方公共団体として、第五項において都道府県が処理するものとされているものを除き、一般的に、前項の事務を処理するものとする。


4 市町村は、前項の規定にかかわらず、次項に規定する事務のうち、その規模又は性質において一般の市町村が処理することが適当でないと認められるものについては、当該市町村の規模及び能力に応じて、これを処理することができる


5 都道府県は、市町村を包括する広域の地方公共団体として、第二項の事務で、広域にわたるもの、市町村に関する連絡調整に関するもの及びその規模又は性質において一般の市町村が処理することが適当でないと認められるものを処理するものとする。


6 都道府県及び市町村は、その事務を処理するに当つては、相互に競合しないようにしなければならない

 

 

 上記を読むと、市町村は基礎的な地方公共団体都道府県は広域の地方公共団体と位置づけられている。都道府県が行う事務は、(1)広域にわたるもの、(2)市町村に関する連絡調整、(3)規模または性質において一般の市町村が処理することが適当でないと認められるもの の3つに限定されている。それに対して市町村は、都道府県が処理するものとされているもの以外の事務を処理することとされているが、前記(3)の事務であっても、その市町村の規模および能力に応じて処理することができるとされている。つまり、広域にわたるものと市町村に関する連絡調整は当然に都道府県の事務であるが、その他は、市町村の規模と能力に応じてどちらが事務を行うかを判断することになる。

 この考え方に従えば、大阪市の場合、大都市の豊かな経済力を背景として巨大で高度な行政機構を有するから、大阪市が幅広く事務を処理することは当然に認められることで、競合を避けるために譲るのはむしろ大阪府であると考えるべきだろう。

 大阪市民は大阪府との二重行政の解消を考えるのであれば、行うべきことは大阪市の解体ではなく、大阪府に対して「大阪市のことは大阪市民が決めるから、大阪市から手を引け」と言うことであったはずだ。大阪市は、大阪という大都市から生まれる豊かな経済力を背景に、その繁栄の維持、発展に力を注ぐべきなのだ。それが、地方自治の基本的な考え方だ。

 しかるに、大阪都構想は、本来の姿とは逆に、大阪市の解体、分割、権限と財源の縮小を内容とする、真逆の方向性を打ち出し、いうなれば大阪市民の自治の破壊を進めようとしたのだった。しかし、その計画は、大阪市民の賢明な判断で阻止された、というのが今回の住民投票の結果の意義だ。

 今回の住民投票は、世界全体を覆う新型コロナウイルス禍の中で、外出や集会もままならない状態で、コロナ対策でマスコミに出ずっぱりの吉村大阪府知事の「人気」を背景に強行されたものだ。選挙戦は、当初は賛成派が圧倒的に優位な状況で始まったが、日を追うに従って、その問題点についての市民の理解が広まり、最終的には僅差での反対派の勝利となった。

 今回の投票に対する議論が十分に深まらないところがあった。それは、大阪都構想の本質を覆い隠すように、特別区の区長公選制の導入や、将来の大阪の発展という裏付けのない約束が盛り込まれたことも影響している。反対派はそうした本質をはぐらかす論点に深入りせずに「自治権の確保」という本質的な議論で応ずるべきであった。にもかかわらず、住民サービスの低下等の水掛け論、泥仕合に突入してしまったところがあり、あまり上手な戦い方とは言えなかった。

 

 今回のこのような僅差の結果になったことを考えると、社会全体に閉塞感が覆い被さり、将来の光が見えない中で、人々の中に既存の秩序を壊したいという「破壊衝動」が鬱積しているのではないかという気がしてならない。理屈ではなく、既存の秩序を壊したい、恵まれた人々への怨嗟が背景にあるような気がする。こうした人々の気持ちをあおり立て、社会秩序に対する攻撃に向かわせたものが大阪都構想だったのだ。もし、大阪都構想が賛成多数となっておれば、大阪では大変な地獄絵図が待ち構えていただろう。そして、そうした姿が、さらなる人々の破壊衝動を呼び覚まし、大阪だけではなく、日本中に広まっていったかもしれない。そのように考えると、今回の住民投票における反対派の勝利は、大阪市民だけでなく、我が国の国民全体を救う意味を持つものであったといえるだろう。