学術会議問題について

 日本学術会議の会員の任命拒否問題について、大きな議論となっている。

日本学術会議の任命拒否

 日本学術会議の任命拒否とは、2020年9月、内閣総理大臣菅義偉が、日本学術会議が推薦した会員候補のうち一部を任命しなかった問題である。現行の任命制度になった2004年以降、日本学術会議が推薦した候補を政府が任命しなかったのは初めてのことである。

 

 任命を拒否された推薦者

 任命されなかったのは以下の6人である。6人は安全保障関連法や特定秘密保護法などで政府の方針に異論を唱えてきた。
(以下省略)

 

ウィキペディア

 

 これについて、日本学術会議法には、「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」と記載されており、政府のこれまでの公式見解では、任命制とはいうものの実質的なものではなく形式的なものであるとの説明がされてきたようだ。そのため、これまでは学術会議が推薦し、その推薦のとおりに任命されてきた。ところが、今回は、学術会議が推薦した候補者のうち、政府の方針と異なる見解を唱える6人の者を政府が任命をしなかった。これに対して、同法に反する、学問の自由を脅かす等の批判が起きている。

 そうした意見に対して、政府が税金を使って運営する会議で政府が人事に関与するのは当然である、学術会議の在り方に問題があるとの意見も表明されている。

 

 この問題についてどう考えるか。

 憲法で、「学問の自由は、これを保障する。」(憲法第23条)とされている。政府の方針と異なる見解を述べる者を排除することは憲法の規定に抵触するおそれがあることはいうまでもないが、そうした形式論だけではなく、実質的にも大きな問題があると考える。というのは、学問上の結論が政治的な判断と異なることがあることはよくあることだ。しかし、学問は学問的観点から自由に展開されるべきで、学問が政治の顔色を見て判断をゆがめるようなことがあればそれは学問の死を意味することになってしまう。つまり、政府の方針に気兼ねして結論を変えるような学問では意味がないのだ。政府の方針とは別の次元で独立して自らの良心に従って論理的結論を導き出すのが学問の役割だと考えられるからだ。それが社会全体の多様性を確保することになり、環境変化に対する社会の適応力を高めることになるのだ。だから、今回のように政府の方針に反する見解を述べる者を排除しようとすることは、単に学術会議だけの問題ではなく、社会全体を大きくゆがめ、社会の多様性、豊かさ、環境変化への社会の適応力を破壊することになってしまう。だから、今回の政府の対応は妥当ではない。

 この問題を聞いて思い出す話は、太平洋戦争中の逸話だ。日本海軍がミッドウェイ作戦に先だって図上演習を行ったという。そのとき、日本海軍の航空母艦が4隻とも大破するとの結論が導き出された。しかし、それでは軍として不都合なので、そのような被害は生じないことにして演習を続けたそうだ。その後、作戦は実行に移されたが、図上演習が予測したとおりに4航の空母艦の喪失という致命的な打撃を受けることとなってしまい、太平洋戦争の大きなターニングポイントになった。

 この事例だと、論理的には正しい結論が導き出されていたのに、主観を差し挟んだがために、それが活かされることはなかったのだ。このように、それを採用する側の思惑に関わりなく論理的な結論を導くのが学問に求められる役割であり、自分たちの方針に反するからといって排除していけば、その後に残るものは、政府への忖度、追従だけとなり、そのような学問は意味がないと考えられる。その究極の姿は天動説が支配する中世のヨーロッパだ。