人の流れと都心のにぎわい(2)

 三宮駅界隈には人が多く集まっている。神戸市が目指す「回遊性の向上」とは、この三宮駅に集う人たちを周辺の観光施設に誘導することを目論んでいるのだろうか。この目論見は成功するだろうか。

 人の行動には、なんらかの目的がある。三宮駅界隈に人が集中する理由はなんだろうか。一つは目的地に対する通過点として。もう一つは三宮駅そのものが目的地となっているのではないだろうか。三宮は、西日本であらゆる交通機関が集合する結節点にあたっている。したがって、人と出会うのに都合がよい場所なのだ。つまり、人と人が交通の結節点で出会い、会話し交歓をする、交渉をする、取引を行う・・・。こうした目的で来街する人も多いに違いない。こうした人たちを、周辺部に観光施設に誘導することは可能だろうか。それは、来街した目的とはまったく異なるので無理だろう。せいぜい、周辺の飲食店に誘導するのが限度ではないだろうか。

 そのように考えたときに、三宮に、そうした人たちが利用できる施設は十分あるのだろうか。休日に三宮駅界隈を歩いたとき、お茶を飲みながらゆっくり話ができるような場所は、ほとんど見当たらない。そうした場所を探すため、周辺まで足を伸ばして歩き回らなければならないのが実情だ。こうした事態こそ、優先して改善をしなければならないのではないだろうか。

 そのためには、三宮駅周辺にホテルのゆったりとしたラウンジや、美しい山や海の景色を眺めることができる飲食店や展望施設など、こうした施設を整えるべきではないだろうか。

 来街するには理由がある。目的と異なる行動をとらせることはできない。その来街の行動に見合った施設を、目的別に整備しなければならない。

 同じ考え方でいえば、都市の観光需要を増やしたいのであれば、観光施設の魅力の向上が基本であって、導線の改善ではないはずだ。人は見たいものがあれば、少々の困難は乗り越えて現地に赴くものだ。

 現実を分析的にとらえなければ、すべてが渾然一体となって、的外れな対策ばかりが打ち出されてくる。