神戸ブランドについて(1)

 かつて、港は、人や物だけでなく、情報の入り口であった。近代化が遅れた我が国においては、常に、「進んだ海外」と「遅れた国内」という構図があり、海外はあこがれの地で、海外から来る「舶来品」は高級、上質、最先端の代名詞であった。その海外との出入り口を事実上、独占していた神戸が繁栄を謳歌したのは当然であった。
 しかし、時代は変わり、我が国が発展を遂げると海外との経済的格差は少なくなった。また、科学技術の発展により、航空機が発展し、人や物の入り口の中心は空港が担うことになった。さらに、情報通信技術の発展により、個人個人が海外の人々と直に交流をすることが可能になり、世界中の情報は、個人のPCを通じて入手することが可能となった。その結果、港は、コンテナが行き交う、単なる物流施設になってしまった。加えて、神戸港の地位は低下し、往時の面影は失われてしまった。
 その昔、神戸は舶来品の入り口として、海外からの輝くような文化の発信地として繁栄した。これらの舶来品およびそれに触発された文物が「神戸ブランド」であった。

 しかし、神戸でしか最先端が手に入らない時代は去り、どの地方でも容易に手に入るようになった。神戸でないと買えないものはなくなってしまった。海外に容易に出かけることもでき、海外の本物を自らの目で見ることができるようになった。そして、時代はさらに、インバウンドの時代になり、海外からの観光客が大挙して日本を訪れるようになった。著名な文化財、や自然景観を有する地方には、海外からの観光客があふれている。しかし、神戸は国際的な観光資源を持たず、外国人は素通りする状況である。かつて、神戸は外国人が多く住み、外国文化を独占し、「国際都市」の名をほしいままとしていた。ところが、今は、地方都市の方が「国際化」しており、かえって、外国人を見かけることが少ない神戸の姿を見るのは悲しいことだ。もう誰も神戸を「国際都市」と呼ぶ人はいない。

 神戸ブランドは、神戸の繁栄の象徴であったのだが、ブランドは一人歩きをすることになった。本来、神戸ブランドとは関係のないものに、自らの流通価値を高めるために神戸の名が冠せられるようになった。一般の工業製品や神戸郊外の農産物など、舶来品の最先端とは無縁なものに対して神戸の名が用いられるようになった。つまり、神戸ブランドへの「もたれ掛かり」、ブランドの浪費が頻発するようになった。その結果、神戸ブランドが、通俗化、戯画化していき、かつての光り輝くイメージが急速に色あせ、失われてしまった。そこに、阪神淡路大震災が追い打ちをかけた。神戸は繁栄する光り輝く都市から、貧窮の都市、かわいそうな都市のイメージに陥ってしまった。その後、25年間、ずっと震災の悲劇の都市としてしか、全国の話題に上らない都市になってしまった。

 神戸ブランドに復活の方策はあるのだろうか。