新型肺炎の流行(35)

 新型コロナウイルス感染症拡大により引き起こされた経済的困難に対して、早期かつ十分な政府の施策が必要であると筆者は考えている。しかし、税収にのみ頼るなら、施策の裏付けとなる財源には限りがある。そのため財源は、現下では国債発行によらざるを得ないだろう。一時の大量の国債の市中消化が困難であれば、日銀に買い取りをさせるということも手段として考えられるだろう。

 では、国債の発行は経済に対してどのような影響をもたらすのだろうか。

 できるだけ単純化して考えてみよう。

 

1 モデル的検討

(1)政府が国債100を発行し、日銀に買い取らせて現金100を入手する。政府はそれを国民Aに交付し、企業Bから財を入手する。現金100は企業Bのところに留保される。

(2)結果として、政府には100の借金が残り、企業Bに現金100が残る。

(3)後日、政府が日銀に国債を償還(日銀に現金を返済)しなければならない状況になれば、企業Bから租税として徴収することが可能である。

 

2 考察

(1)仮に、この企業Bが海外企業であれば、海外企業には徴税権は及ばないので、政府の借金は国民Aから徴収する以外にない。この場合、政府は借金を返すことはやや不確実になる。したがって、こうした手法には一定の限界が存在する。

(2)仮に、この企業Bが国内企業であるとして、こうした手法が繰り返されるなら、企業Bには、発行された国債を源とする現金が累積していくが、現金というものは、いくら増えても、帳簿の残高が増えるだけで、保有のコストは基本的には僅少で、いくらでも貯められてしまうものだ。(現金が多すぎて困るという人の話は聞くことがない。)だから、保有する現金の残高が増えすぎて維持できないということにはならないだろう。

(3)結論:政府が国債を発行し、日銀に買い取りをさせ続けても、その現金が国内にとどまる限り、継続が可能である。

 

3 補足的考察

(1)上記2の考察は、おかしな話のような気がしないでもない。第一に、企業Bは現金を貯め続けても意味がないのではないかという疑問がある。しかし、実際のところ、ある主体にとって現金が必要なのはある程度の額までのはずなのであるが、それをはるかに超えて現金を集積しようとするのが人間で、実際には使い切れないような額の現金を求めてやまないのである。それは、現金は相対的に比較が可能なので、常に競争関係が生じるからである。ほとんど実態に意味のないような現金の多寡を、社会的存在である人間としては互いに意識せざるを得ないのだ。だから、現金が多すぎて、これ以上は不要だという事態はなかなか発生しないのだ。

(2)歴史的に大きなインフレが発生することがあるが、それは戦争等の社会的混乱が引き金になることが多い。一つは戦争による供給体制の破壊による物資の不足と、行政機構の崩壊(すなわち徴税機能の喪失)などである。貨幣の増発が直ちにインフレ、貨幣の信用喪失にはならないのだ。

(3)政府は企業Bから一時に徴税をして一時に返済が可能なのかということについては、銀行への預金が同時に全預金者に返還が可能なのかというのと同様で、不可能に決まっていることだが、考える必要のないことなのだ。結局は、信用の問題なのだ。かえって、財政再建を声高に叫ぶ人々は、考える必要もない問題を、わざわざ考え、人々の不安をあおり、信用を掘り崩すことに傾注しているのだ。信用不安が起きれば、たちどころに取り付け騒ぎになり、営業停止に陥る銀行と同じことだ。

(4)現代社会は貨幣経済であって、商品売買をすることによらなければ、財を必要とする人に提供することができない。現代は、結局のところ、資本主義が根本原理となっているため、一部の者が現金を独占して貯蔵してしまう事態が生じ、現金が必要な人々の手に十分行き渡らなくなっている。そのため、財を供給する能力は十分にあり、必要な需要も十分存在するにもかかわらず、物が売れないという状況が長く続いている。こうした問題を解消するためには、政府は、社会の経済力を担保として、国債を発行して、財を必要とする人々に現金を行き渡らせるということが一つの政策手段として行われてるのだと考える。国債の発行は、現代社会にとって、商品の入手手段である現金の市中への供給手段になっているのだ。