東京一極集中と神戸の役割(1)

 東京一極集中とよく言われるが、これはどのように生じたものだろうか。政府機関の東京への集中が東京一極集中の原因だといわれることがある。そうした考えに立てば、その処方箋は、東京の政府機関の地方移転が提唱されることになる。しかし、果たして、そうした対策によって、東京一極集中は解消するのだろうか。もし、仮に政府機関を東京から地方へ移転を進めても、おそらくは、効果は限定的なのではないだろうか。

 どうして東京への集中が生じるかというと、そもそも、東京に人口が集中しており、東京が最も大きな市場であるからである。それによって様々な都市機能が集積し、それらの都市機能を利用することがビジネスに有利となり、それがさらなる集積を生んでいると考える。

 では、どうして、これらの集中が生じたかというと、その原因は、東京圏の交通の利便性にあり、全国の交通体系が東京を中心に組織されていることが最大の要因であると考える。

 歴史を振り返ると、江戸時代は、政治的中心地は江戸であったが、経済の中心地は天下の台所と呼ばれる大坂であった。なぜ大坂が我が国の経済の中心地になれたかというと、大坂が瀬戸内交通と淀川の河川交通の結節点にあり、江戸時代の輸送は水運が中心で、瀬戸内、日本海蝦夷を結ぶ西回り航路の中心地として全国の物流の中心であったからである。これがそのまま続いていれば、今でも大坂が全国一の経済都市であったであろう。

 しかし、明治時代以降になると、事態は一変する。化石燃料による動力機関が導入されるようになり、鉄道網が従来の水運にとって代わることになった。鉄道網は、帝都東京を中心に放射状に建設がされた。その結果、関西は、東京から太平洋側に沿って九州に伸びる直線上の一都市にすぎなくなり、その交通中心地性を喪失した。それにより、東京が全国の交通の結節点として関西圏に取って代わることになったのだ。しかし、戦前においては、関西圏は、台湾、朝鮮、中国へ至る拠点ともなっていたため、関西圏は東京と並ぶ二大経済圏として踏みとどまることができた。それも、敗戦により、植民地から撤退を余儀なくされ、さらに、東西対立という国際情勢の下、中国との国交も失われた。ここに関西圏の本格的な地位の凋落が始まった。

 戦後は、国内中心の経済活動となり、東海道新幹線(1964年)、山陽新幹線(1972年)、東北新幹線(1982年)、上越新幹線(1982年)、北陸新幹線(1997年)など、東京を中心とする鉄道網は着実に強化され、東京の交通中心性はより強固なものとなった。さらに、航空機の発達および地方空港の整備も、その地方と東京の直結化を招き、関西圏通過に拍車をかけることになった。

 こうした交通体系のもとでは、経済活動が東京に集中するのは、江戸時代の大坂がそうであったように、ごく当然の帰結となる。関西圏は、もはや一地方に転落してしまったのだ。

 では、関西圏が再び、我が国の中心に復するためにはどのようにすればよいのだろうか。

 日本国内においては、東京中心の交通体系がもはや完成してしまっている以上、関西圏が我が国の交通体系の中心に返り咲くことは極めて困難だ。取り得るのは、東京ではなく、海外、特にアジア経済と結びつくことだ。我が国の人口は、たかだか1.2億人程度であるが、国外に目を転じれば、中国13億、インド12億、インドネシア2.4億と巨大な人口が存在しており、しかも、これらの国々の経済発展は著しい。したがって、これらの国々の経済との結びつきを強め、我が国における主たる玄関口としての地位を獲得するべきである。関西圏は、地理的にも、東京よりもアジアに近く、この点において有利である。また、古くからアジアとの結びつきが強いという歴史もある。関西圏は、東京その他の地方に先駆けて、これらの国々との交通の拠点を目指すべきだ。そのために行うことは、まず、空港の整備である。現在、東京圏の羽田空港と成田空港で1億2千万人の旅客数を取り扱っている。関西圏としては、まず、東京圏の航空旅客数を目標に、将来的には、これを凌駕するように空港の能力増強を図っていく必要がある。こうした大目標を定めた上で、関西圏全体の空港能力増強の観点から、現有の空港の規制緩和、さらには滑走路の増設等を考えるべきだ。

 陸上の鉄道網を利用している限り、地理上の制約から関西圏が交通の中心地になることは難しい。

 アジア諸国との交通の我が国における中心地を獲得するのと平行して、国内の地方空港との直行便を強化し、我が国の交通中心地をも目指すべきだ。航空機は地理上の制約を超える交通機関で、目的地に直行することができるのが大きな特徴だ。東京を中心に編成された陸上交通網とは別に、航空機による関西圏中心のネットワークを編成することも可能だ。特に、関西圏は、我が国の歴史的文化財の最大の集積地で、文化首都とも言えるほどだ。これを武器に、十分な航空容量を保持するならば、関西圏が再び交通の中心を獲得する可能性があるのではないだろうか。

 ここで、神戸の役割はどうなるだろうか。

 その前に、関西圏と東京圏の都市成立の特徴を見てみよう。

 関西圏では平地が少なく、その平地も山地によって分断されているが、そのため交通も、山合の隘路を通ることになる。その結果、その地点でいったん交通が収束されることになり、その収束点において交通拠点が成立する必然がある。そして、その交通拠点ごとに都市が成立することになる。それに対して、東京圏の特徴は、関東平野という広大な平地にあるということだ。東京圏は、平地が広大で、また山地によって交通が分断されることもないから、その地方の拠点にすべての交通が収束されることなく、直接東京に向かって鉄道網が敷設されることになった。つまり、同じ地方の域内であっても、その地方の拠点を通らずに、直接、東京と結ばれることになる。これが東京圏の周辺都市が、大規模な人口を擁しながらも、昼夜間人口比率が1を割り込み、東京の衛星都市としての性格を色濃くしていることの大きな理由だと考えられる。

 逆に、関西圏は、地理的な条件から、東京のように広大な平地の確保は難しく、複数の拠点が成立する必然があり、その複数の拠点が合わさって一つの大都市圏をなすことになる。具体的には、東・北は京都、南は大阪、西は神戸の3都市が連携して関西圏の拠点を担うことになる。

 その中で、神戸市は、中国、四国、九州方面との交通の拠点としての役割を果たすことになる。そして神戸空港が関西圏北西部の人口集中地帯の航空需要をまかなうことになるだろう。神戸空港は、まず、規制を廃して、その能力をフルに活用すべきだ。もちろん、国際化も行うべきだ。その上で、さらなる能力増強のために滑走路の増設を行うべきだ。

 このプランでは、空港の能力において東京を凌駕することがポイントだ。鉄道網を再編するには巨額の投資が必要で、そもそも、他地方にも線路を敷設しなければならないから、関西圏だけではどうにもできない。しかし、能力に余裕のある地方空港は既に十分整備されている。関西圏内での空港能力を拡大するだけならば、関西圏が中心になって判断できることだ。たとえば、神戸空港規制撤廃は、すべてが関西3空港懇談会にかかっている。この考えに立つならば、神戸空港を規制している場合ではない。それどころか、拡張も直ちに考えなければならないくらいだ

  東京一極集中への対策は、東京への集中を弱めることではない。東京の影響を排除することでもない。現に経済活動、文化活動の中心が東京に移ってしまっている以上、これらを排除しようとすることは、関西圏の劣化を促進するだけで、すでに一地方となってしまった関西圏がかえって他の地方にも劣後することになりかねない。東京のマスコミが地方の時事を取り上げないと言ってみても、その考え方こそ東京中心観にとらわれているというものだ。そうではなく、東京とのネットワークを保ちながら、別の複数のネットワークを構築することだ。そして、それらのネットワークが大きくなれば、自然と東京の影響は相対的に小さくなり、いつの日にか、逆に、関西圏が東京に影響を及ぼすような地位の変化が生じることがあるだろう。より視点を大きく持って、自分たちの姿を客観的に見ることが必要だ。