兵庫県の斎藤元彦知事に関する内部告発問題で、県議会(定数86)の百条委員会による調査報告書のとりまとめに向けて、主要4会派が提出した見解が、複数の県議や議会関係者への取材でわかった。パワハラ疑惑や県の内部告発への対応について意見が割れており、集約には難航も予想される。
(読売新聞 2025/2/9)
斎藤元彦兵庫県知事に対する内部告発問題で、兵庫県議会の百条委員会が調査の結論となる調査報告書をとりまとめようとしているが、各会派の意見が割れており、集約の難航が予想されると報じられている。
調査報告の主要な論点として、パワハラ疑惑や公益通報者保護法違反に対する認定の問題がある。これらの問題については、すでに結論は明らかである。
(1)パワハラ疑惑
この問題については、国(厚生労働省)から「パワーハラスメント」の定義がすでに示されている。
職場のパワーハラスメントとは、職場において行われる ① 優越的な関係を背景とした言動 であって、② 業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの により、③ 労働者の就業環境が害されるもの であり、①から③までの 3つの要素を全て満たすもの をいいます。
なお、客観的にみて、業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な業務指示や指導については、職場におけるパワーハラスメントには該当しません。
(厚生労働省「あかるい職場応援団」)
ハラスメントの定義|ハラスメント基本情報|あかるい職場応援団 -職場のハラスメント(パワハラ、セクハラ、マタハラ)の予防・解決に向けたポータルサイト- (mhlw.go.jp)
上記の定義に基づけば、職員アンケート等で指摘された行為は、その結果の重大性に軽重はあるかもしれないが、「パワハラ」であることは明らかである。
(2)公益通報者保護法違反問題
斎藤知事は、昨年3月に当時の県民局長が、一部の県会議員や報道機関等に対して内部告発文書を配布したことに対して、通報者を特定し、十分な取り調べをすることもなく、通報の内容を「事実無根」、「嘘八百」と記者会見の場で断じ、通報者を懲戒処分に付した。そして、その後、その元県民局長は自死されることになってしまった。
この斎藤知事の、当該通報に対する対応が、公益通報者保護法に違反するのではないかという問題である。
この問題についても、法律は明確に規定をしている。
公益通報者保護法(抜粋)
(目的)
第一条 この法律は、公益通報をしたことを理由とする 公益通報者の解雇の無効 及び 不利益な取扱いの禁止等 並びに 公益通報に関し事業者及び行政機関がとるべき措置等を定めることにより、公益通報者の保護を図る とともに、国民の生命、身体、財産その他の利益の保護に関わる 法令の規定の遵守を図り、もって 国民生活の安定 及び 社会経済の健全な発展に資すること を目的とする。
(不利益取扱いの禁止)
第五条 第三条(解雇の無効)に規定するもののほか、第二条第一項第一号に定める事業者は、その使用し、又は使用していた公益通報者が第三条各号に定める公益通報をしたことを理由として、当該公益通報者に対して、降格、減給、退職金の不支給その他不利益な取扱いをしてはならない。
法律は、公益通報者に対する「不利益取り扱いの禁止」を明言しており、今回の斎藤知事の対応は「公益通報者保護法違反」であることは明らかである。そして、百条委員会の中でも、公益通報者保護制度の複数の専門家から「違法」という判断が示されている。
「公益通報者保護制度」は民主主義の理念を具体化する制度であると考えられる。すなわち、ある言論に対しては、それが批判的な議論であっても、権力による報復を抑止し、言論をもって議論すべしという考えに立つものと考えられる。
今回の問題において、当該通報が「公益通報」に該当するのか否か、「法律によって保護される公益通報」に該当するのか否かということを事細かく論じて、斎藤知事を擁護しようとする動きがある。しかし、そもそも、この法律は「言論に対しては言論によって議論すべし」、「批判的な意見に対して権力によって議論を封じることは許されない」という「正義の観念」に立脚するものであるから、「法律によって禁じられていない」といって抜け穴を探すような姿勢は根本的に間違っている。本来は、法律があろうがなかろうが、自らへの批判に対して報復と受け取られるような対応をすることは正義に悖(もと)ることであって、通常の人であれば自らがその立場に置かれても決して行わないような、恥ずべきことなのだ。法は、その「正義の観念」を明文化したものにすぎない。だからこそ、今回の問題が明らかとなった昨年3月の斎藤知事の記者会見での対応を見て、おそらくはその当時には「公益通報者保護法」の内容が十分知られていなかったにもかかわらず、多くの人々が強い違和感を抱き、斎藤知事の意図に反して、問題が世間の注目を集めることとなったのだと考えられる。
以上の議論のとおり、今回の百条委員会で取りまとめられるべき結論は明らかである。そして、それは、すでに昨年9月段階で明らかとなっており、だからこそ全会一致の斎藤知事に対する不信任決議となったのである。
ところが、上記の報道によれば、調査報告書のとりまとめが難航しているという。特定会派が反対するのは予想されたところだが、その他の会派についても結論にぶれが生じているように感じられる。その原因はなんだろうか。おそらくは、昨年11月の出直し知事選挙で吹き荒れた、斎藤元彦氏擁護勢力による激烈な誹謗中傷や個人攻撃が影響しているものと思われる。しかし、言論の府である県議会が、これらの攻撃に屈してよいのだろうか。言論はあくまで自らの信念に基づいて行うものである。外部からの攻撃をおそれるがあまり、自らの真意を表明できないのであれば、それは「民主主義の死」を意味する。
真実は月日が経過すれば、自ずと明らかになるものである。不正や隠ぺい工作はいつかはメッキが剥がれ、いつまでも事実を隠し通せるものではない。欺瞞は歴史の審判の前には耐えられないだろう。そうした冷徹な節理の前にあっても、兵庫県議会は圧力に屈して「両論併記」でお茶を濁そうとするのか。仮にそのような結論を出すとすれば、それは歴史の審判に耐えられるのだろうか。兵庫県議会は、言論の府として、兵庫県議会、ひいては議会制度、わが国の民主主義の歴史に汚点を刻むようなことをしてはならない。