(要約)
斎藤兵庫県知事による公益通報者保護法違反等の疑惑をめぐる県政の混乱が続く。斎藤知事の行為は、公益通報者保護制度だけでなく、わが国の法秩序への信頼を著しく損なう重大な社会問題となっている。知事は、質問と異なる定型文の回答を延々と繰り返し、再選後1年経っても解決の目途が立たない。問題の根源は知事の「説明をしない」姿勢にあり、県議会は再度の不信任で県政を正常化すべきである。
兵庫県知事選で斎藤元彦知事が再選されてから1年が経った。内部告発文書問題は収束せず、週1回開かれている知事の定例会見中にはいまも、県庁そばで知事への抗議活動が行われている。知事を支持する人たちとの溝は埋まらず、有権者の「分断」が続いている。
県が設置した第三者調査委員会は3月、斎藤知事らによる「告発者捜し」などを「違法」と認定した。しかし、知事はこの結論を受け入れず、会見では記者と知事のかみ合わないやり取りが続く。(以下略)
(朝日新聞 2025/11/21)
斎藤元彦・兵庫県知事が県議会の不信任決議を受けて失職し、出直し知事選で再選されて1年がたった。記者会見で政策については歯切れ良く答える斎藤氏だが、自らを含めた疑惑を告発した文書への対応を巡る質疑などでは紋切り型の回答を続けている。記者会見の現場を報告する。
「適切、適法、適正に対応している」
斎藤元彦知事は再選から1年が過ぎた19日の定例記者会見で繰り返した。
ただ、質問は県の対応についてではなく、公益通報者保護法の解釈を尋ねていた。同法は告発者への不利益処分を防止する措置を求めている。その場合、組織内部の窓口や行政機関への通報に加え、報道機関などに宛てた「3号通報」の告発者も対象に含まれるかどうか――。その答えが「適切」では議論がかみ合わない。
ここには斎藤氏らの疑惑が文書で告発された問題が横たわる。
(以下略)
(毎日新聞 2025/11/25)
兵庫県の混乱は、斎藤知事の再選後1年を経過しても収まる気配がない。第三者委員会も認定している斎藤知事による公益通報者保護法違反の問題はきわめて重大である。決して、時間がたてば解消するという類の問題でない。それ故、議論が繰り返されることになる。
この問題の社会的な影響は、公益通報者保護法に対する信頼感を著しく棄損したことであり、事実上、法律を無効化するというおそるべき効果を及ぼしている。そして、それは公益通報者保護法だけにとどまらず、社会全体の法秩序そのものへの信頼感を大きく破壊している。今回の兵庫県の問題の発生以後、全国で自治体のトップが不正の指弾を受けたときに、説明責任を果たさず居座る事例が頻発している。
この問題は、単なる斎藤知事の「支持派」、「反対派」の争いではなく、「民主主義全体への脅威」の問題として、不可逆的に正常化される必要がある。
実は、この間、この問題を解決できた人はただ一人しかいない。それは斎藤知事本人である。解決の方法とは、一つは「疑惑を十分に説明しきること」、もう一つは「疑惑を認め責任を負うこと」のいずれかである。もしも、このいずれかの努力があったなら、問題は解決に向かっていたはずだ。
ところが、斎藤知事は、県議会や記者会見の場で、また第三者委員会、さらには国会の場で、さまざまな疑惑に対する指摘や質問を受けながら、それらを真正面から受け止めず、「真摯に受け止める」と言いつつ、質問に答えず、趣旨と異なる回答を繰り返し続け、一向に疑惑の解明に向かわない。通常、質問と回答をていねいに繰り返していけば、疑問は解消し、誤解が消え、いつかは正しい結論が得られるはずだ。少なくとも解決に向けて動き出していたはずだ。しかし、斎藤知事のような態度では、問題が解決することはありえない。
つまり、兵庫県の混乱の問題は斎藤知事の問題なのである。
斎藤知事は、なぜ質問に対して真摯に答えようとしないのか。議論を先送りしても、けっして問題が消えてなくなることはない。しかし、問題が解決されない間は、知事はそのままその地位にとどまり続ける利益を得ることができる。ここに、斎藤知事が議論をかわそうとする構図がある。知事が解決の努力を放棄して、その利益を受け続けることは許されることだろうか。
1年間以上、兵庫県は混乱が続き、多くの犠牲を県民は払ってきた。斉藤知事にはもう十分な時間と機会が与えられたはずだ。客観的に言えることは、1年経っても、斎藤知事は問題を解決できなかったということだ。説明責任を果たさなかった責任は斎藤知事にある。
正当な議論が成り立たないところに民主主義はない。指摘されている疑惑は解明され、相応の責任を問われるべきだが、それを捨象するとしても、知事の「議論に対する誠実さ」という資質の欠如だけでも十分不信任に値する。つまり、「説明をしない」ということこそが、政治家として決定的に致命的な資質の欠如なのだ。斎藤知事が自らの問題を解消しないならば、あとは県議会がその責任を問うべきだ。それが二元代表制としての地方議会の役割である。県議会は再度の不信任を行い、県政を正常化すべきだ。県議会は自らの責任から逃げるべきではない。
冒頭の記事にもあるように、兵庫県では有権者の「分断」が続いていると言われる。その表現には違和感を感じる。「分断」とは、一般に、意見や価値観の相違により、グループに分かれ、対立する状態を指す。
問題の根本は、内部告発に対する斎藤知事による公益通報者保護法違反である。これについては、第三者委員会、国会等の議論でも、もう結論が出ている。斎藤知事の行為は「違法」である。もはや、問題についての意見を戦わす段階でなく、違法な行為を行った知事が、周囲の指摘に耳を貸さず、問題に真摯に向き合わず、質問から逃げ続け、その地位にしがみついて、なお知事として振舞おうとし続けているのが現在の状況だ。
「違法」は不正常、異常であって、異常はすみやかに正されるべきものだ。その異常を支持する価値観と正常な価値観とが並列して対立するかのような「分断」という表現は妥当ではない。異常なものを異常なものとして捉えるのが公平な報道というものだ。