王子公園の再整備計画について

 開園から70年を迎え、再整備の方針が決まっている神戸市立王子動物園(同市灘区)について、神戸市は立地特性を生かした都市型動物園に刷新することを決めた。展示方法を改めるほか、1951年の開園以来ある遊園地を廃止し、跡地約1ヘクタールに立体駐車場を設置。現在のエントランス付近には芝生広場などを設け、来園者の歓迎ムードを高める。

(2021/11/22 神戸新聞

 

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(出典 2021/11/22 神戸新聞

 11月22日、神戸新聞が王子公園の再整備方針について報じた。それによると、再整備の内容は次の通りである。

(1)公園東部の王子スタジアムおよび補助競技場を廃止し、約4ヘクタールの土地に大学を誘致する。

(2)プールやテニスコートなどのスポーツ施設を廃止し、公園の北側に、アメリカンフットボールやサッカーなど、球技利用を中心とする新スタジアムを建設する。体育館は現在地に存続する。

(3)現在の動物園入口近辺の駐車場はエントランスとして芝生広場等を設ける。

(4)残りのスペースを動物園の敷地にあてるが、現在の遊園地は廃止し、立体駐車場の用地にあてる。動物園の敷地は7ヘクタールとし、「都市型動物園」に刷新する。

(5)市は22年度に動物園と新スタジアム、エントランスの各基本計画をまとめ、一部の事業にも着手する。さらに、2022年度に大学を公募する。

 

 計画はかなりのハイペースだ。来年度にも大学を公募するということから考えると、進出予定の大学はすでに決まっているのではないかと思われる。それは、おそらく関西学院大学であろう。関西学院大学は関西の有力な私立大学の一つで、創立は現在の王子公園の場所であったことはよく知られている。おそらくは、関西学院大学側が創業の地に復帰したいという願いを持っており、神戸市に働きかけをしたのではないか。それを受けて、神戸市が大学の進出地を確保するために王子公園の再編計画を立てたと推測する。新しく整備される新スタジアムも、アメリカンフットボールでの利用をうたっており、関西学院大学アメリカンフットボールの強豪校であることから、そのホームスタジアムとすることを想定しているのではないだろうか。もしも進出するのが関西学院大学でないならば、特に王子公園にこだわることはなさそうであるし、神戸市がわざわざ王子公園に土地を捻出しようとすることはないであろう。

 

 動物園に大学、スタジアム、芝生広場など、かなり窮屈な計画だ。様々な需要がある中で、限られた敷地内に詰め込めるだけ詰め込んだという印象だ。その最後の調整を遊園地の廃止という形で帳尻を合わせたような感じだ。

 今回の計画で一番頭を悩ませたのは、王子公園という限られたスペースに、大学、スタジアムと体育館などのスポーツ施設、動物園という3者をどう配分するかということではなかったであろうか。抜本的に考えるならば、王子動物園やスポーツ施設の移転などのアイデアもあったかもしれないが、それほどの大構想は望むべくもなく、すべてを現在地に残して、なんとか押し込んだというような印象だ。

 

 

 そんな中で、久元市長の次のツイッターが話題となった。

 2013年11月、市長になった直後の出勤途上、王子公園に立ち寄りました。動物園長は親切に園舎を案内してくれましたが、私の関心は動物ではなく、王子公園全体の再整備にありました。あれから8年、大学誘致など再整備基本方針の素案を取りまとめました。各方面のご意見をお聞きし、具体化を図ります。
(2021/11/23 久元喜造Twitter

 

 これに対して、一部から、「動物に関心がない」と明言する久元市長に対する失望や憤りの声があがった。「親切に園舎を案内」してくれた園長に対して失礼ではないかという声もあった。

 確かにこれは、不思議なツイートだ。このツイートの要旨は、王子公園の再整備は市長就任当時から考えてきて、ようやく基本方針の素案がまとまった、ということであろう。とすると、前段は全く不要な説明だ。王子公園の再整備は、当然のことながら、王子動物園の将来像をどう描くかということと不可分だ。にもかかわらず、「私の関心は動物ではなく」と言う感覚が理解に苦しむ。また、「園長は親切に園舎を案内」してくれたということをわざわざ書いて、その善意や骨折りをないがしろにするような発言は、読むものを不快にするし、その人の人となりが酷薄な印象を受ける。これをわざわざ書いたということは、むしろ、自分の深慮遠謀を誇る気持ちがあったのだろう。実に悲しいことだ。

 

 王子動物園が都市型動物園に刷新することとに対して、多くの人が不安を表明している。特に遊園地がそのまま立体駐車場に置き換えられてしまうことを悲しむ声が多く上がっている。

 王子動物園は、入園料も低額で、市民が気軽に楽しむことができる施設であった。子供を持つ神戸市民で、王子動物園のお世話にならなかった者はいないだろう。春には桜が咲き乱れる美しい園内で、動物の姿に喜び、遊園地の遊具で飽きることなく遊び続ける子供たちの姿を眺め、家族一緒に半日をすごす、人にとって、これほど幸せな時間はないだろう。王子動物園はまさに夢の国だった。市が、こうした施設を維持することは都市の生活の豊かさを実現するために、決して無駄なことではない。王子動物園は神戸の先人たちが作り、育て、残してくれた市民の財産なのだ。

 

 神戸は、こうした市民の娯楽施設が乏しく、青年以上の人々の娯楽施設は、皆無といってよいような状況であり、幼児・児童向けの王子動物園はとても貴重な施設であった。久元市長は、クラシック音楽やストリートピアノなどを愛好するが、大衆的な文化や娯楽に対する関心が薄いように感じる。

 大衆が愛好する芸能や娯楽は、時代の流行とともに移ろっていくものであるが、時代の先端にあるため、保守的な人々から見ると異端であることが多いし、評価が定まらないところがある。しかし、大衆の支持を広く得ることは、まさに選ばれたものだけがなしうることで、見かけの親しみやすさの裏に、過去の芸術や文化の集大成という性格も持っている。現役時代に大衆の支持はあったが、高い評価が得られていなかったものが、今では高い評価を受けているものは多い。

 世間の評価にかかわらず、自らがよいと思うものを愛することができるのがあるべき姿であって、すでに評価の定まったものばかりを愛好するのは、心が自由ではなく、真に芸術を愛好している人の姿ではないと思う。