富とは何か(7)

 朝日新聞に「日本をむしばむ「値上げ嫌い」の心理 止まったままの経済20年」という記事が掲載された。我が国の経済が20年間、物価が上昇しないことの原因を、日本の物価研究の第一人者、東京大学大学院教授に聞いたという内容である。

「経済の体温計」といわれる物価が動いていない。その原因を多くの経済学者が探ってきたが、いまだに正解が定まらない。日本の物価研究の第一人者、東京大学大学院教授の渡辺努さんは、わずかな値上げすら受け入れない私たちの心理こそが「主犯」とみる。この20年間、「止まったまま」だという日本経済を動かすには何が必要なのかを聞いた。

値上げを受け入れない心理
 ――日本の物価はなぜいつまでも上がらないのでしょうか。

 「たとえば、身近な理美容サービスやクリーニング料金は、2000年ごろから価格が全く動いていません。これは消費者の根底に『1円でも余計に払いたくない』という心理があるからです」

(2021/9/8 朝日新聞「日本をむしばむ「値上げ嫌い」の心理 止まったままの経済20年」)

 

 

 その答えは、「わずかな値上げすら受け入れない私たちの心理こそが「主犯」」であるとのことである。物価が上がらないのは、「消費者の根底に『1円でも余計に払いたくない』という心理があるから」とのことだ。

 しかし、これは当たり前のことだ。同じ財やサービスであれば、1円でも価格が安い方を選択するのが合理的な選択というもので、経済学はこうした合理的な行動を取る主体を前提として構築されているはずだ。これでは何も答えたことにはならないだろう。

 記事を読むと、我が国では「いつもの店でいつもの商品を買おうとして少しでも価格が上がっていれば、『ほかの店に行く』と答える傾向が顕著」であるという。わざわざ遠くへ出向いてでも、少しでも価格の安い店を探すという傾向を指摘している。

 日常品を購入するのに、わざわざ、遠くまで出向くというのは、ある意味不合理な行動であるかもしれない。それでも安い店を選択するというのは、なぜなのだろうか。それは、消費者が置かれている厳しい立場を表しているのだと考えるべきだろう。

 つまり、一般の消費者の経済状況は、非常に厳しい状態に置かれており、そのような「節約」を行わなければ、毎月の収支の均衡を保つことができないのだと考えられる。また、老後に必要な資金を蓄える必要から、毎月一定の貯蓄を行わなければならないために、1円たりとも、おろそかにできないのだと考えられる。

 一般の消費者の家計の収支は、

必要な生活費 > 毎月の収入 もしくは、

必要な生活費 + 毎月積み立てる必要がある貯蓄額 > 毎月の収入

 の状態に置かれており、その乖離が大きいほど、わざわざ遠方に買い出しに行くような、無理な節約行動を取らざるを得ないのだと考えられる。

 つまりは、この記事で指摘された傾向は、収入が伸び悩み、必要な生活費を十分に賄うだけの収入が得られていないという家計の状況が、社会全般に蔓延しているということの一つの現れなのだと考えられる。

 このように、掘り下げて考えるならば、20年間上がらない物価に対する必要な施策は明らかだ。一般の国民に十分な収入、貨幣が供給されることだ。

 

 これに対して、現在はこれ以上ない金融緩和が実行され、既に十分すぎる程の貨幣供給が行われているはずではないか、という人があるかもしれない。しかし、供給されたのは、株式の買い支えに対する貨幣であって、余剰資金を十分に持ち、株を保有している人々の資産は値上がりし、大きな利益をもたらした。それらの人々は元々余剰資金を十分に持っている人々だから、一部の高級品に対する需要は高まったかもしれないが、結局、彼らの貯蔵する財産が増えるのみの結果となった。余剰資金を持っている人々は社会全体の一部に限られるため、一般の人々に恩恵は及ばず、社会全体の需要を引き上げる効果は限定的であったのだと考えられる。

 

 以上の考察から導かれる我が国の経済的停滞の解決策は、ごく自然な結論であると思われる。しかし、その自然な結論と思われる結論がなかなか出てこない。この朝日新聞の記事でも、「その原因を多くの経済学者が探ってきたが、いまだに正解が定まらない」と言い、東京大学の物価研究の第一人者という経済学者に尋ねても、「わずかな値上げすら受け入れない私たちの心理こそが「主犯」」であるという。これは、いったい何故なのか、そのこと自体が非常に奇異に感じられる。