富とは何か(5)

 もし、政府が国民の生活のための需要に対して貨幣を十分に提供するならば、財やサービスの生産は増大し、企業は新たな設備投資を行い、それがさらなる需要の拡大となって経済全体の好循環が生じるだろう。では、国内の需要はどこまでも無限に拡大することが可能であろうか。

 限界を画すると考えられるものは対外収支である。国内の経済が拡大すれば、海外からの製品や工業原料、エネルギーなどの輸入が拡大することになるだろう。一方、輸出の量は海外の経済活動の状況に規定されるから、国内経済の拡大は、他の事情が変わらなければ我が国の貿易収支の悪化を招くと考えられる。海外との輸出入は外貨(ドル)で行われる。輸入を行うためには外貨が必要となるから、一方的に赤字を続けることはできず、長期的には対外収支の均衡が求められることになるだろう。

 我が国の近年の貿易収支を見ると、輸出と輸入はほぼ同額で、これ以上需要を増やすと、貿易赤字の状態に陥るだろう。しかし、我が国は、これまでに蓄えてきた貿易黒字や所得収支の結果、「世界最大の対外債権国」ということになっている。我が国の対外資産と負債の差し引きによる対外純資産は2019年で364兆円となっている。そこから得られる海外からの純所得は21.7兆円である。貿易収支がほぼプラスマイナスゼロであっても、世界最大の対外純資産を背景に、我が国の経常収支は黒字が続いており、毎年対外純資産が積み上がっていく構造となっている。

 対外債権国であることは、一見、好ましいことであるが、財の動きという観点から見れば、外貨ばかり受け取って実際の財を受け取っていないということであるから、本稿の第3回で述べた、「金持ちは一番受け取る財が少ない者」という話にあてはまる。だから、ある程度の外貨を蓄積できたら、もっと国内の需要を増やし、海外から輸入し、国民が豊かに生活することを考えるべきだ。

 仮に、経常収支が赤字にならない程度に国内の需要を拡大するとすれば、どの程度の拡大が可能なのだろうか。ごく簡単に計算してみよう。我が国の経常収支黒字を21兆円とすると、これを輸入割合(平均輸入性向)で割り戻すと、120兆円程度国内需要を拡大できることになる。これは、あくまでも毎年の経常収支が均衡する、つまり、毎年の海外からの純所得を使い切り、これまで蓄積した対外純資産を取り崩さないという前提での計算である。

 このように考えると、我が国は本来、世界で有数に豊かな国のはずなのだ。しかるに、国民は豊かさを実感できず、現在はもとより、将来の生活の不安を感じている。これは、すべては、国内の経済政策の誤りに起因するものである。かつて、我が国の貿易黒字が国際問題となっていた時代があった。これが1980年代である。この時に、すでに、我が国の対外収支を均衡させることが求められていたのだ。貿易収支の不均衡は急激な円高を生じさせ、結果的に国内に蓄積された生産設備は国外に移転される例が相次ぎ、国内産業の空洞化が問題となりはじめた。それに対して、国内の経済政策はどうだっただろうか。本来、国内需要を拡大させて対外収支の均衡を図るべきところを、輸出産業のため円高に耐えられるようコスト削減、人件費抑制に努め、労働の規制緩和などの措置が取られた。さらに、輸出産業にとって有利な消費税が導入され、法人税所得税は軽減されるなどの施策が延々と続けられた。また、農産物の自由化、国内の規制緩和などが次々に行われた。その結果、国内需要は縮み、国内経済が長期にわたって低迷する事態となってしまった。もっと早く、これを転換できたなら、国民は今よりもはるかに豊かな生活を安定的に享受できるようになっていたであろう。対外収支は均衡化し、急激で過度の円高は回避できたであろうし、そうなれば国内の空洞化も阻止できただろう。そうなれば、経済も安定的に拡大し、失われた30年はなかったであろう。国民の経済生活の安定を基礎に、少子高齢化ももっと穏やかなものとなったであろう。安定した国内需要を背景に、ひたすらに価格競争に陥ることもなく、新たな技術や製品、サービスの開発が進んだかもしれない。このように、経済政策は国民の生活にとって非常に重要なものなのだ。

 

(参 考)

(1)2019年の国内総生産(GDP)

 

民間消費 305.6兆円(54.4%)

政府消費 111.3兆円(19.8%)

投資   144.6兆円(25.8%)

輸出    97.5兆円(17.4%)

輸入(控除)97.6兆円(17.4%)

合計   561.3兆円

 

(2)2019年の国際所得収支

海外からの所得  34.3兆円

海外への支払い  12.6兆円

海外からの純所得 21.7兆円

 

(3)経常収支を均衡させるために、どれだけ国内経済を拡大できるか(試算)

21兆円 ÷ 17.4% = 120.7兆円