新型肺炎の流行について(43)

 4月25日に東京、大阪、京都、兵庫の4都府県を対象に、3回目の緊急事態宣言が発令されたが、その後、過去3回の緊急事態宣言の場合に見られたような、新規感染者の急速な減少という効果は現れず、高止まり、横ばいの状態にとどまっているように見える。従来型とは異なるイギリス型の変異型ウイルスの影響があるものと思われる。

 そんな中で、神戸では老人保健施設で大規模なクラスターが発生したと報じられた。

 神戸市は、市内の介護老人保健施設で4月中旬から7日までに、入所者と職員、合わせて133人が新型コロナウイルスに感染し、このうち入所者25人が死亡したと発表しました。

 神戸市によりますと、長田区の介護老人保健施設「(施設名)」で、4月14日に90歳以上の入所者1人が新型コロナウイルスに感染していることが判明しました。

 その後、ウイルス検査を行ったところ、感染が次々に確認され、7日までに入所者97人、職員36人の合わせて133人の感染が確認されました。このうち、入所者25人が症状が悪化して死亡したということです。

(2021/5/7 NHK NEWSWEB)

 

 まったく恐ろしい威力だ。新型コロナウイルスが持っている恐ろしさをまざまざと見せつける事例といえるだろう。 

 新型コロナウイルスは、いったん我々の環境の内側に入り込むと、それを排除することは至難であり、その強力な感染力から逃れることは非常に困難だ。防護具を装備していても感染してしまうことがあるぐらいだ。やらなければならないことは、いち早く感染者を発見し、隔離し、安全なエリアと危険なエリアを明確に分別することだ。コロナウイルスは人を襲う冷酷なエイリアンのようだ。昨日までは、仲間であったものが、いったん感染してしまうと、その感染者がさらなる感染を招く危険な存在となってしまう。コロナウイルスへの対抗策は、基本的には検査による感染者の発見と隔離だ。それはまるでエイリアンとの戦争のようだ。ウイルスに捕捉されるか、我々がウイルスを殲滅するか。そこにはウイルスとの共存などということはあり得ない。

 そのような、新型コロナウイルスと戦う最前線の姿を考えると、「ウィズコロナ」という言葉には強い違和感を感じざるを得ない。

「ウィズコロナ」または「withコロナ」は、新型コロナウイルスが(少なくとも短期的には)撲滅困難であることを前提とした新たな戦略や生活様式のこと。2020年5月末に東京都知事が言及したことにより、比較的よく知られる言葉となった。

ウィズコロナという言葉には、「新型コロナウイルスの流行は多かれ少なかれ良かれ悪しかれ世の中に変革をもたらした」「流行する以前の社会に完全に戻すことはもはや不可能である」という認識が含まれる。

新型コロナウイルス感染症によって変わったこれからの社会」を指す言葉としては、「ウィズコロナ」と並び「アフターコロナ」という表現もある。

(出典 「新語時事用語辞典」)

  この言葉には、どこか、自分が感染することを想定していない、気楽な他人事な印象を受ける。周囲にはウイルスが存在するが、マスクや手指消毒の感染防止対策さえ行っておれば感染することはない、そうやってウイルスと共存する社会を受け入れようと言っているように思える。むしろ、新型コロナウイルスをICTを活用した新しい生活、新しい時代を呼び寄せる前向きなものとして捉えている。

 「ウィズコロナ」のこの気楽さが、我が国の感染対策の中途半端さ、感染対応の緩みにつながっているように思う。

 今回のコロナウイルス禍を「戦争だ」と呼ぶ人もいる。もし、我が国の政治家などの指導者が「ウィズコロナ」という言葉を普及させなかったならば、我が国のコロナウイルスとの戦いの様相はかなり違ったものになっていたのではないだろうか。