教育委員会のメール問題

 神戸市の久元市長のツイッターに近頃、次のような投稿があった。

 教育委員会事務局は、コロナ感染期の半年間に小中学校などへ3687件ものメールを送付。中にはzipファイルを沢山添付、校長、教頭先生がこれを開き長時間かけて印刷し先生方に配布しているとか。明らかにおかしい。市長部局で調査官を任命して改善する。教育の内容に立ち入らないので、許されるだろう。

久元喜造ツイッター2020/9/10)

 

 教育委員会事務局が学校現場に夥しい数のメールを送りつけ、先生方に過大な負担を押しつけている問題。既に民間(金融機関、電機メーカー、報道機関)出身の業務改革調査官3名を任命し、調査に着手した。今月中に改善方策を提案してもらい、教育委員会事務局には直ちに実施に向けて動いていただきます。

久元喜造ツイッター2020/9/10) 

 

 大変な剣幕だ。

 校長、教頭先生が添付ファイルを開き長時間かけて印刷し配布しているというが、確かにおびただしい数のメールだ。 メールがたくさん学校現場に送られているのは事実なのだろう。

 では、その原因はなんなのだろうか、想像してみる。

(1)まず、学校には現実にたくさんのメールが送られる状況があるのだろう。というのは、学校というのは一つの社会にも相当するものなので、単に学業に関する連絡だけではなく、現下のコロナウイルス関連はもとより、気象、災害、防犯、健康など、あらゆる分野が学校になにがしかの関わりがあるのだろう。それらは必然的に教育委員会を通じて学校現場に連絡されることになるのだろう。

(2)中には不要不急のメールも含まれるのかもしれない。これらが適切に仕分けられたら、メールの数はいくらかは減らせるのかもしれない。また、メールの内容が十分整理されないまま、多数の添付ファイル付きで送りつけられることも少なくないのかもしれない。

(3)「メールを送りつけている人」は誰なのかと考えると、おそらく教育委員会の現場の上位の人物であるより、末端の職員ではないだろうか。

 

 このように考えると、久元市長が言う「夥しい数のメールを送りつけ」、「過大な負担を押しつけている」というのは、少なくとも何かの悪意があってのことではなく、結果的にそうなってしまっている、ということではないかと思われる。

 さらに想像を膨らませると、送る方としても、次から次に国や県、市役所の内外から大量のメールが送られてきて、多くの仕事を抱えている中で、それを十分に整理する間もなく処理をしなければならないという状況に置かれていて、追い立てられるように仕事をしているのではないだろうか。

 また、学校現場でも、誰か別の人が、事務を肩代わりして整理してくれる人がいれば、このようなことにはならないのではないだろうか。

 

 こうした問題が起きるのは、結局は、実態に見合った人員が教育委員会や学校現場に配置されておらず、現場の末端の職員が努力でカバーしているような状況が背景にあるのではないだろうか。であるならば、もっと冷静に、実務的に解決策を考えればよいことで、市長の立場にある人が、このような市の内部の問題を一般の市民に対して声高に訴え、このように強い物言いをするのには違和感がある。これでは、かえって、教育委員会に対する市民の信用をおとしめ、教育現場に対する不信感をあおることにならないだろうか。

 久元市長は、教育委員会の職員に対して、このように強い物言いをする必要があるのだろうか。これを読む教育委員会の現場の職員の気持ちはどのようなのだろうか。このような投稿を読むと、なにか悲しくなってしまう。もっと、おだやかな言葉が使えないものだろうか。現場の職員も、神戸の発展、市民生活の安寧を願って仕事をしているに違いない。同じ目標に進む者同士で無闇に対立するのはつまらないことだ。闘うべきはそこなのだろうか。