経済の循環について

 「花見酒」という落語がある。二人の男がそれぞれ酒を仕入れ、花見客を目当てに売りに行く話だが、途中の休憩時に、片方が手持ちのお金をもう片方に払って酒を飲み、もう片方がそのもらったお金で片方から酒を買い、再び片方がもう片方から酒を買うということを繰り返し、最後には二人が仕入れた酒がすべてなくなり、最初に手に持っていたお金だけが残ったという話だ。

 これは笑い話として語られるわけだが、経済モデルと考えると非常に興味深い。すなわち、貨幣を媒介にして、それぞれの商品が消費者にわたり消費される姿を現したものだ。つまり、貨幣が商品を消費者の手に渡す役割を果たしていることがよくわかる。両者の商品が同じ種類であることが奇妙に感じる一因なので、別の商品だと考えるとどうだろう。たとえば、片方は魚で片方が米とする。貨幣が往復することによって、商品が消費者の手に渡って消費されることがわかる。

 現代の社会では、生産活動は分業で行われ、各主体は自らが消費するためにではなく他者への提供を前提に生産をしている。それらの生産物は、商品として貨幣を媒介に交換されることによって、消費者の手に渡る。自らの生産物が他者に購入されなければ貨幣を手に入れることができず、自らが必要とする品物を手に入れることができない。その品物を必要とする人であっても貨幣を所持していない場合には、それを購入することができない。そして、購入されることがない商品は社会で日の目をみることなく、余剰品として処分されることになる。

 景気が悪いというのは、物が不足している状態ではない。物は十分にあって、その物を求める人も十分にいる。しかし、物を必要とする人の手元に貨幣が不足しているがために、その商品を必要とする人の手に商品が渡らない状態だ。では、なぜ必要とする人の手元に貨幣が不足しているのだろうか。それは、必要な人のところに貨幣が流れにくくなっているからだ。また、貨幣をすでに十分に持っている人に対しては貨幣が流れやすくなっており、そうした人はいったん手に入れた貨幣を再び循環させることなく貯蔵してしまうことが多くなる。そうなれば、貨幣は社会を循環することが少なくなり、貨幣が偏在するのだと考えられる。貨幣は人体でいうと酸素を体に行き渡らせる血液にたとえられる。血液の循環が滞ると健康が損なわれるように、貨幣の循環が滞ると経済、社会は機能不全を生じるのだ。