ポートライナーの運輸統計を見る(4)

 ポートライナーの運輸統計を見ることによって、過去のポートライナーの乗客数の傾向を見ることができる。毎年同じことを繰り返しているようでも、長期のスパンで物事を眺めると、大きな変動が生じていることがある。その変動の中から、一定の傾向を読み取ることができれば、それを未来に伸ばすことによって、将来に生じるであろう姿を予想することができる。

  物事は、短期の視点だけではなく、過去から未来にわたって、長期の視点で眺めてみる必要がある。それを自動的に行うのが「計画」の役割である。計画は、物事の将来の姿を客観的に予測し、とるべき施策を考えるために必要なものだ。将来を客観的に眺めなければ、その場その場での場当たり的な対応となりがちだ。

 

 神戸市は、最近、ポートライナーの混雑に対して、二つの対策を講じている。一つは、「時差利用の呼びかけ」であり、もう一つは「バスによる代替輸送」である。時差利用の呼びかけは、本来求められているサービスに応えられずに、逆にユーザーに対して行動の変更を求めるもので、対策としては論外だ。バスによる代替輸送も、1日6本にすぎず、毎年増加する乗客数にもはるかに足りない増発をして問題が解決できるとは考えられない。わざわざ社会実験をしてみるまでもない。こうした、解決に向かわない対策をとり続けることは、「休むに似たり」というものだろう。

 神戸空港は神戸市の命運をかけて建設をしたものだ。三宮から神戸空港の間は、神戸の成長センターであり生命線だ。そもそも、どうして今回の事態を予想して、抜本的な対策を検討していなかったのか不思議に思う。

 

 都市に必要なインフラを用意することは、市役所にとって極めて重要なことだ。都市の発展の方向を予測し、前もって必要なインフラを用意するのは当然のことだ。たとえば、人口が増えて、電気が足りません、水道が出ません、下水が流せませんという事態が生じるとしたら、それは大問題になるのではないだろうか。ところが、ポートライナーは需要超過が現実に発生し、乗車時間をずらすように呼びかけさえしている。おまけに、これをどのように改善すべきかという方針さえ決まらず、代替バスの社会実験までしている。

 極端に言えば、社会のインフラを整備することこそが行政の仕事なのだ。移住促進政策だとか効果の疑わしい施策や枝葉末節の「村おこし政策」は後回しにして、本来のやるべき仕事に集中すべきだ。

 現実をきちんと捕まえずに、人口減少社会だからとか既存のインフラの活用だとか、一見わかりやすい命題を鵜呑みにして思考停止してしまっているのではないだろうか。