企業の本店、支店の数に見る神戸の姿(2)

 この間、神戸市は、なぜ有効な手を講じなかったのであろうか。

(本店数の変遷)

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 次の表は、本店数の変遷を序列化したものである。(同)

 これを見ると、本店数においては、戦前、支店数と同様に国内第3位であったが、戦後も、1980年代に至っても第4位を保っていた。1921年には、神戸が1に対して、東京6.0、大阪1.9であったものが、1985年は、東京18.7、大阪5.8と、東京や大阪とは差が拡大し、名古屋にも抜かれてはいたが、国内有数の大都市としての地位を保っているように見えたのだろう。さらに、神戸港は、国際貿易港として輸出入額の国内シェアを次第に落としてはいたが、1980年頃においても、世界有数のコンテナターミナルという地位を依然保持しており、また、人口も拡大を続けていたため、漠然とした神戸市の地位の低下を感じてはいただろうが、世界有数のコンテナ港、ということで心理学でいう防衛機制である「合理化」が働き、つきつめて対策を講じるにはいたらなかったのではないだろうか。事実、その間、神戸市は、ポートピア博の成功やファッション都市、都市経営の先進都市としてもてはやされ、国内最先端を自認していたのだった。