神戸のクラシカルな街並み

 神戸の海岸通りを歩くと、神戸市立博物館に転用された横浜正金銀行ビルをはじめ、商船ビル、郵船ビル、川崎ビルなど、石造りの立派な建物が建ち並び、大変美しい景観だ。なぜ、神戸にこのような立派な建物がたくさんあるのかというと、かつて神戸が東洋一の港町として栄えた時代があり、それらはその繁栄の名残なのだ。たとえて言うと、現在のシンガポールのような立ち位置だ。都市の繁栄があのような立派な建物を次々と建造させたのだ。

 この因果関係は逆ではない。経済的な繁栄が立派な建物を建設させるのであり、立派な建物が街を繁栄に導くのではない。立派な建物が建設されるためには、都市の繁栄は必要条件なのだ。考えてもみればよい。経済活動が盛んでない地方に立派な建物が建設されることは通常考えられない。寂れた都市には、それ相応の建物しか建たないのだ。

 翻って、神戸市が現在やろうとしていることは、経済の活性化を放っておいて、過去の繁栄した時代のような建物を、デザイン規制によって建設させようとすることだ。そのようなことは可能だろうか。世の中の形あるものには、すべて理由があるというのが、人気テレビ番組「ブラタモリ」の教えるところだ。すべては物理的な基礎条件から生じることなのだ。世の中のことは、理由なく、人々の思いだけでできているのではないことを知らなければならない。

 

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 神戸市の三宮構想を見ると、クラシカルで重厚な建物が立ち並ぶ将来像を描いているが、現状のままだと、このような街並みは実現しないと断言してもよい。なぜかというと、経済活動が盛んでもない都市に、このような立派な建物を建設する理由がないからだ。

 神戸市の都市計画担当者は、都市を単なるデザインだと考えており、人為的にどうでもできると考えているのではないか。都市づくりは、建築だけの問題なのだろうか。建築の専門家だけに都市設計を任せてはいけない。都市の姿は、都市の経済力が形をなしたものなのだ。理由なく巨大なビルが生まれるのではない。立派な都市の姿を求めるなら、まず経済的繁栄を求めるべきだ。どうすれば都市に経済的繁栄をもたらすことができるかにこそ、叡智を結集しなければならない。都市のデザインはその後の話だ。