関西国際空港 泉州沖決定経緯(その4)(佐藤 章「関西国際空港」を読む)

 関西国際空港が、現在の泉州沖に決まった昭和49年航空審議会答申を読むと、交通機関としての利便性や建設費などの基本的性能ではなく、それ以外の要素が判断材料に多く盛り込まれていたことがわかる。

 このあたりの背景を伺い知るのに、佐藤 章「関西国際空港」(1994年中央新書)が詳しい。

 その中に、当時、大阪府で空港政策の中心を担っていた企画部企画室長 西村壮一(敬称略)についての記述がある。西村は、空港候補地の選定に影響を与える立場にあった運輸省関西国際空港計画室長 木戸 武に次のように力説したとある。

 国土政策上、果たしてそういう選択(神戸沖案)が得策なのか。東京や名古屋、大阪、さらに神戸という国土の主軸はすでに開発され尽くして今や肥大化してしまっている。そういうところに国際空港を持っていくよりも、むしろ今は開発の進んでいない泉州沖に新たな空港都市を建設すべきではないか。(中略)たとえば、道路建設の投資順位を自治体が考える場合、その検討材料は単純に言えば、通過交通量の調査だけだ。つまり、交通量の多いところは需要が多いと考えられるから、当然投資順位を上げなければならないわけだ。しかし、これでは、「南北問題」はほとんど永遠に解決されない。それどころか、地域間格差はますます開いていくばかりだ。泉州沖の空港都市はそういう投資順位をひっくり返し、大阪だけでなく、さらに南の和歌山県まで含めた関西全体の格差是正につながる。

 

(佐藤 章「関西国際空港」(1994年中央新書))

 

 つまり、このような関西圏の「南北問題」、「格差是正」のために建設されたのが、現在の関西国際空港だったのだ。航空審議会答申の判断基準に交通機関としての利便性や建設費と異なる判断がされたのはそのような事情だったのだ。

 しかし、この判断は正しかったのだろうか。この結果、関西圏の利用者は、空港の利便性や建設費などのコストを度外視した関西国際空港を使用することを強いられることになってしまった。利便性や経済性を放棄して、関西圏の南北問題の解決のために奉仕させられることになってしまったのである。それは結果として、関西圏全体の交通の利便性や経済性が損なわれることになり、関西圏全体の利益が損なわれることになったのである。

 

 関西国際空港は、大阪国際空港の騒音問題の解決と、増加する航空需要に対応することを目的に建設をすることになったものである。しかし、いつの間にか、関西圏の南北格差是正のための事業にすりかわってしまった。

 この不合理な判断ゆえに、多くの利用者や関係者が納得できる結論にはならず、後に廃止されるべきであった大阪国際空港を存続させ、神戸空港の設置が求められた根本的な原因となった。関西国際空港周辺の自治体は、現在も関西国際空港への一極集中を主張し、譲ろうとしない。しかし、関西国際空港の建設地の決定過程を見ると、交通機関として、利便性や建設費などの合理的判断から決定されたものではなく、泉州沖に未来永劫一極集中させるという趣旨でもなかったことがわかった。

 いつまで、関西南部の格差是正のために、我々は奉仕し続けなければならないのだろうか。もうそろそろ、合理的な判断に立ち返るべき時である。