関西国際空港 泉州沖決定の経緯(昭和49年航空審議会答申を読む(その1))

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 関西国際空港が、泉州沖に建設することが決定的になったのは、昭和49年8月に発表された運輸省の航空審議会答申である。この答申の考え方はどのようなものであったのであろうか。当時の答申を読んでみた。

 答申は、その冒頭で、「規模及び位置」として、「関西国際空港は、大阪国際空港の廃止を前提として、その位置を大阪湾南東部の泉州沖の海上とし、当面その規模を、海上の国際空港として最小の単位となる長さ4,000メートルの滑走路1組(少なくとも300メートルを距てた2本の平行滑走路)に、長さ3,200メートル以上の補助の滑走路1本を加えたものとすることが望ましい。ただし、空港の精確な位置は、現地を詳細に調査したうえで決定されるべきである」と結論づけている。

 これを見ると、やはり当時の議論は、大阪国際空港の廃止を前提としたものであったことがわかる。

 次に「理由」として、「大阪国際空港のみでは関西地区における航空輸送需要の増加に対処することができず、新しい空港を建設する必要がある」と述べている。その背景として、まず、大阪国際空港の深刻な騒音問題を挙げ、「周辺住民の要請により運航便数等に厳しい制限を課さねばならなくなり、わが国が対外的に負う義務さえも履行できず、国際信義上の問題が生じている」として、「昨今では一層深刻化し、同空港の存廃さえも問題にされるに至ってきた」と述べている。次に人口の増加や国民生活水準の向上への要請から見て、関西地区における航空輸送需要の増加が見込まれることを挙げている。これらの理由により、「国としても地域としても、制約を受けない新しい空港が緊急に必要であることを確認する。」としている。

 位置については、「関西地区の地形等にかんがみ、当初、新しい空港の候補地を泉州沖、神戸沖、播磨灘及び淡路島の4個所と想定」し、「淡路島は特に騒音問題の解決が著しく困難」と思われるため候補地から除かれることになった。いずれの候補地も、「空港の候補地としては適地と考えられた」が、「新しい空港の位置としては泉州沖の海上が最も望ましいと判断した」と結論づけている。

 次に、規模については、「最小の単位となる滑走路1組で足りるかどうかを、早急に決定することは難しい」が、この空港の緊急の必要性にかんがみ、さしあたり早急に整備されるべき最小の規模として判断したと述べている。さらに、「今後、関西地区において更に滑走路1組を必要とする場合も考えられるが、本答申と時点を異にする問題である」として、ここでは触れないとしている。この点について、答申の本文の中で、「わが国の経済が成長する限り、航空輸送需要は依然として伸び続け、空港の能力の不足を来たすことが予想される。」として、これに対処する方法として「新空港の沖合にもう1単位又は他の地点に別の空港を設けることも技術的に可能であると確認した。」と述べている。

 

 以上によると、泉州沖の関西国際空港は、騒音問題が深刻化する大阪国際空港の廃止を前提に、関西地区における航空需要の増加に対処するために計画された。緊急性にかんがみ、とりあえず1単位を建設することにしたが、将来的には、他の候補地も含めて検討することが想定されていた。すなわち、関西の空港機能を、将来にわたって、すべて泉州沖に集約することまでを想定したものではなかったことがわかる。