宮崎辰雄神戸市政について

 宮崎市政は、右肩上がりの時代を背景に、都市経営の旗印のもと市政運営を行ったが、その基本的な考え方には、いかに開発の成果を市政に還元させるかという考え方があった。ひとつひとつの事業としてではなく、市政全体として最少の経費で最大の福祉を達成するというのが「都市経営」の根幹であった。そうした手法は難しいかもしれないが、現在も必要な考え方であろう。

 

 宮崎市政は、人事政策だけではなく、政策面でも「神戸モンロー主義」ともいうべき側面を持っていた。すなわち、神戸にこれまでなかった分野を積極的に取り込み、あたかも神戸市内ですべての要素が満たそうとするかのように見えた。それは、ある意味で、他地方との結びつきに対する関心の薄さの反映で、結局、関西国際空港の誘致に失敗し、国際的な貿易港からの転落を招くことになった一因かもしれない。宮崎市政は開発優先と批判されたが、本来的には開発とは対極的な指向であったように思える。