三宮構想会議について

 新聞の報道によれば、6月18日の第4回三宮構想会議では、市が示した方向性の内容について、委員から、「総花的で何を強調したいのか分からない」「これでは都市間競争で埋没する」など厳しい意見が続出したそうだ。

 今回の構想案の問題点は、広域的な視点が欠落しているところだと思う。広域的な視点、つまり、神戸が、近畿、日本、アジア、世界の中で、どういう役割を引き受けようとするかということについて考えを及ぼすことなく、神戸の現在の住民の立場から三宮の将来像のようなものを描こうとしているということだ。構想案に見られる回遊性の向上や建築物の高さ制限のような抑制的な指向も、その反映ではないかと思う。構想案の中で「目指すべき将来像」として、「美しき港町・神戸の玄関口・三宮」としているが、三宮は神戸の玄関口だけでよいのだろうか。かつてのように近畿圏、西日本、さらには日本の玄関口を目指すべきではないのだろうか。こうした点を考えることなしに、目指すべき都心の将来像が描けるのだろうか。将来像設定の前提条件として、都市の立地条件、周辺条件、競合関係を客観的に冷静に分析すべきだ。

 現在の神戸の最大の課題は、「拠点性の回復」だと思う。震災後、神戸市が開発を抑制していた間、大阪、京都はもとより、周辺都市もが大規模な開発を行ったことによって神戸の都心の魅力が相対的に低下し、都市の吸引力が著しく低下し、周辺都市への埋没、都心性の溶解、関西三都からの脱落の危険に神戸は直面している。今回の三宮の再整備は、神戸の拠点性の回復の最大にして最後のチャンスという緊迫感をもって取り組むべきだ。であるにもかかわらず、このたびの構想案は、他の大都市や周辺都市との都市間競争を顧みずに、拠点性の回復とは逆方向の、中心部への集中的な投資を抑制し、周辺部へ人が流れることをねらいとしている。現下の神戸の低迷は、回遊性がないことが原因なのだろうか。まず広域から人を集めなければ、回遊性自体意味をなさない。

 全般に、客観性がなく、「BE KOBE」のような独善的で根拠のない優越感で彩られているのも、視点が市内にとどまっていることと無関係ではないと思う。