大阪都構想住民投票のその後

 大阪府の吉村洋文知事は6日の記者会見で、大阪都構想否決を受けて検討している、広域行政の一元化条例案について「広域事務は府に全て一元化すべきではないか。大阪市を残す前提で都構想の対案として、2月議会に提案したいと改めて意欲を示した松井一郎市長も2月議会への条例案提出を目指すが、自民党公明党は慎重な姿勢をみせている。

 広域行政の一元化条例は府市の二重行政を生じさせないためとして、松井氏が5日、制定を目指す考えを表明した。松井氏は6日も「府市が二度とバラバラにならない仕組み作りをやりたい」と強調した。

 松井、吉村両氏は条例化を目指す理由として、住民投票で示された「民意」に言及する。大阪市を廃止して4特別区に再編し、広域行政を府に一元化する都構想について、賛成と反対の票差は約1万7千票。全体の投票数約137万票に対する得票率の差は1・26ポイントだった。

 吉村氏はこの日、都構想の制度設計で府に移管するとした約430の大阪市の事務が条例で府に移管させるかどうかの検討対象になるとしたうえで、「仕事と財源がセットなのは当然」と述べ、財源もともに市から府へ移す考えを示した。また、府市が重要課題を協議する副首都推進本部会議を「条例上の組織」として明記するとした。

 条例案は府市の共同組織「副首都推進局」が策定するが、都構想では法律で基礎自治体が担うと定められた消防も府に移すとしているため、総務省との協議も必要となる。

産経新聞 2020/11/6)

 

  大阪都構想を巡る2度目の住民投票は反対票が賛成票を上回る結果となり、大阪都構想は葬られることになったはずだ。ところが、大阪府の吉村知事と大阪市の松井市長は、住民投票で示された民意として二重行政を解消するために「広域行政の一元化条例」の制定を目指す考えを表明した。

 大阪都構想は、大阪市という地方自治体を廃止し、新たに4つの特別区に再編すると同時に、従来、大阪市、すなわち大阪市民が保有してきた権限と財源を、区長の公選制と引き替えに、大阪府に引き渡すという内容である。吉村知事の発言は、都構想のうち大阪市を廃止する部分については断念するが、大阪市民が保有してきた権限と財源を大阪府に引き渡すという部分については、条例化して進めるという方針を示したということになる。

 大阪都構想の本質は、「大阪市民の保有する権限と財源の縮小」ということであるから、住民投票で反対が多数となった今、これを進めようとする考え方は尋常ではない。大阪都構想の「対案」というが、これは都構想の本質部分で、対案ではなく都構想そのものだ。都構想の本質はそのままに看板だけを掛け替えるようなものだ。これはあまりに不誠実な姿勢だといわざるを得ない。また、住民投票で否決された大阪都構想と本質的には変わらないことを、市議会の多数決だけで行おうとしているのは、住民投票の結果をないがしろにする行為だ。

 先に、地方自治法における都道府県と市町村の事務の分担の考え方について説明したが、法律論、形式論だけではなく、大阪市民の大阪市に対する自治権、決定権という観点に立てば、二重行政の解消というなら、大阪市の権限と財源を守り、さらに拡張する方向から大阪府に権限と財源の移譲を求めるのが本来だと考えられる。そもそも、大阪市民の権利の保護、拡張を考えるのが大阪市長大阪市議会の役割であるはずだ。そのために市民から信託を受けているはずなのに、この一元化条例を進めようとする姿勢はほとんど「背任」といってよいぐらいだ。なぜ、大阪市民から信託を受けながら、大阪市民の権利の縮減に血道を上げるのか。大阪市民の信託を受けた者が大阪市民の権利の縮減に邁進しようとする姿は普通ではない。

 住民投票が反対多数となり、都構想の住民投票は自分たちの手でもう二度と行わないと宣言したその舌の根も乾かないうちに、このような発言があったことに対して驚愕するばかりだ。この執拗さの背後にあるものはいったい何なのだろう。

 「広域行政の一元化条例」大阪都構想の問題と同様に、大阪市民の権利、権限と財源に対する自治権、決定権の問題として、もう一度、大阪市民はよく整理し直すべきだろう。ここをしっかりと押さえないと、また、本質からはずれた水掛け論に突入し、大阪市は混乱の日々を送り続けることになるだろう。

 大阪市は、この問題に既に10年間を費やしている。いったいいつになったら大阪市民はこの問題から解放されるのだろうか。

 

firemountain.hatenablog.jp

 

学術会議問題について

 日本学術会議の会員の任命拒否問題について、大きな議論となっている。

日本学術会議の任命拒否

 日本学術会議の任命拒否とは、2020年9月、内閣総理大臣菅義偉が、日本学術会議が推薦した会員候補のうち一部を任命しなかった問題である。現行の任命制度になった2004年以降、日本学術会議が推薦した候補を政府が任命しなかったのは初めてのことである。

 

 任命を拒否された推薦者

 任命されなかったのは以下の6人である。6人は安全保障関連法や特定秘密保護法などで政府の方針に異論を唱えてきた。
(以下省略)

 

ウィキペディア

 

 これについて、日本学術会議法には、「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」と記載されており、政府のこれまでの公式見解では、任命制とはいうものの実質的なものではなく形式的なものであるとの説明がされてきたようだ。そのため、これまでは学術会議が推薦し、その推薦のとおりに任命されてきた。ところが、今回は、学術会議が推薦した候補者のうち、政府の方針と異なる見解を唱える6人の者を政府が任命をしなかった。これに対して、同法に反する、学問の自由を脅かす等の批判が起きている。

 そうした意見に対して、政府が税金を使って運営する会議で政府が人事に関与するのは当然である、学術会議の在り方に問題があるとの意見も表明されている。

 

 この問題についてどう考えるか。

 憲法で、「学問の自由は、これを保障する。」(憲法第23条)とされている。政府の方針と異なる見解を述べる者を排除することは憲法の規定に抵触するおそれがあることはいうまでもないが、そうした形式論だけではなく、実質的にも大きな問題があると考える。というのは、学問上の結論が政治的な判断と異なることがあることはよくあることだ。しかし、学問は学問的観点から自由に展開されるべきで、学問が政治の顔色を見て判断をゆがめるようなことがあればそれは学問の死を意味することになってしまう。つまり、政府の方針に気兼ねして結論を変えるような学問では意味がないのだ。政府の方針とは別の次元で独立して自らの良心に従って論理的結論を導き出すのが学問の役割だと考えられるからだ。それが社会全体の多様性を確保することになり、環境変化に対する社会の適応力を高めることになるのだ。だから、今回のように政府の方針に反する見解を述べる者を排除しようとすることは、単に学術会議だけの問題ではなく、社会全体を大きくゆがめ、社会の多様性、豊かさ、環境変化への社会の適応力を破壊することになってしまう。だから、今回の政府の対応は妥当ではない。

 この問題を聞いて思い出す話は、太平洋戦争中の逸話だ。日本海軍がミッドウェイ作戦に先だって図上演習を行ったという。そのとき、日本海軍の航空母艦が4隻とも大破するとの結論が導き出された。しかし、それでは軍として不都合なので、そのような被害は生じないことにして演習を続けたそうだ。その後、作戦は実行に移されたが、図上演習が予測したとおりに4航の空母艦の喪失という致命的な打撃を受けることとなってしまい、太平洋戦争の大きなターニングポイントになった。

 この事例だと、論理的には正しい結論が導き出されていたのに、主観を差し挟んだがために、それが活かされることはなかったのだ。このように、それを採用する側の思惑に関わりなく論理的な結論を導くのが学問に求められる役割であり、自分たちの方針に反するからといって排除していけば、その後に残るものは、政府への忖度、追従だけとなり、そのような学問は意味がないと考えられる。その究極の姿は天動説が支配する中世のヨーロッパだ。

三ノ宮駅ビル計画が白紙に

 JR西日本は30日、遅れている三ノ宮駅ビル(神戸市中央区)の再整備について、社内で検討を進めてきた計画をいったん白紙にし、内容を見直すことを明らかにした。新型コロナウイルス感染拡大による経営状況の急速な悪化を受け、仕切り直す。駅ビルの需要に変化が生じているとし、改めて市場調査をした上で計画を決める。

 長谷川一明社長が同日の会見で「従来の考え方で駅ビルを造れない。業種、業態を含めてゼロから検証する」と言及した。都心活性化の目玉事業は、全体像が示されないまま不透明感が強まった。

神戸新聞 2020.10.30)

 

 

 JR西日本が30日、JR三ノ宮駅ビルの再整備について、計画をいったん白紙にし、内容を見直すことを明らかにしたと報じられた。 新型コロナウイルス感染拡大による経営状況の急速な悪化を受け、駅ビルの需要に変化が生じているとし、改めて市場調査をした上で計画を決めるとのことだ。

 9月27日の記事で、JR三ノ宮駅ビルの計画が白紙になっているのではないかと予想したが、その予想は正しかったようだ。

 三ノ宮駅ビル再開発計画は同社の2018年4月に発表した中期経営計画(5カ年)において大阪、広島両駅と並ぶ「三大プロジェクト」と位置付けられていた。今回の計画見直しでは、このうち三ノ宮駅ビルのみが見直しの対象になったようだ。どうして三ノ宮駅ビルだけが見直しの対象になったのかというと、その中で一番収益性が低く「不急」と判断されたためだろう。

 

 三宮再開発は神戸市にとって市の将来を担う最重要プロジェクトであり、その中でもJR三ノ宮駅ビル計画は間違いなく最重要のプロジェクトであったはずだ。三ノ宮再開発は、単に神戸の表玄関のリニューアルというにとどまらず、これまで造船、鉄鋼などの重工業や国際港湾都市として発展してきた神戸を、陸海空の交通拠点として経済や文化の交流の中心地という新たな位置づけを与える重要な意味を持つものだ。その計画の基幹事業が白紙に戻されてしまったのだ。それは単にJR三ノ宮駅ビルだけにとどまらず、その周囲の再開発計画にも大きな影響を与えるだろう。

 この事態は新型コロナウイルス蔓延によるやむを得ない事態と理解すべきではない。これは神戸市、特に久元市長の大失態というべきだ。JR三ノ宮駅ビルの建て替え計画は、今から10年以上前の、2008年頃にJR西日本と神戸市との協議が始まり、2013年3月には再開発する方針を固めたと新聞で報じられた。それによると、建て替え計画は同社の13年度からの中期計画に盛り込まれ2021年度の完成を目指すとのことだった。この方針を引き継ぎ、2013年11月に就任したのが久元市長である。ところが、JR西日本は、2021年度の完成を目指すとのことだったにもかかわらず、それから7年後の現在にいたるまで、新ビルの計画すら発表していない。こうした事態の背景に神戸市が一切関わりがないとは考えられない。おそらく、神戸市の方針とJR西日本の方針に重大な相違があったのだろう。神戸市は、三宮再開発を進めるにあたって度重なるアンケートや検討会議に時間を費やし、神戸の道路交通の要ともいうべき三宮交差点から自動車を閉め出し歩行者専用空間に転換させる「三宮クロススクエア構想」などの三宮再開発の本質とは関わりのない計画を抱き合わせにしようとした。そうした議論に時間を費やした挙げ句、迎えた事態がこれだった。

 JR西日本は三大計画のうち、大阪、広島両駅については、計画の見直しの対象とはしなかった。駅ビルの需要に変化が生じているというなら、大阪、広島も同様のはずだ。となれば、神戸だけの特殊事情があると考えなければならない。もしかすると、JR西日本は、神戸市から課せられた条件を、新型コロナウイルス禍を理由に一挙にリセットしようとしているのかもしれない。それが、同日の会見で同社の長谷川社長が「従来の考え方で駅ビルを造れない。業種、業態を含めてゼロから検証する」という白紙宣言なのかもしれない。このことは、同社長が「神戸の中心地の再開発は非常に重要な取り組み。三大プロジェクトの一つとの位置付けに変わりはない」と述べたこととも符合する。

 今後どうなるかを考えると、早くても2023年4月以降の次期5カ年計画に乗るかどうかであり、経済情勢次第ではさらなる先送りもあるだろう。

 本来、神戸のシンボリックな建物が存在すべき市内最大の交通拠点の目の前が長期間にわたって更地、もしくは低利用の状態をさらす事態は、都心の吸引力、都市ブランドの失墜など神戸にとって悲惨な事態というべきだろう。

 神戸市の退潮はもはや覆いがたい。近年の神戸市の停滞感、「下町神戸」や「茅葺き神戸」など、神戸ブランドの毀損は著しい。市政の舵取りを誰にゆだねるかは、都市の発展にとってやはり非常に重要な課題なのだ。

 

firemountain.hatenablog.jp

 

大阪都構想住民投票 反対多数に

 大阪市を廃止して四つの特別区に再編する「大阪都構想」の是非を問う2度目の住民投票が1日投開票され、反対票が賛成票を僅差で上回った。政令市である大阪市が存続する。都構想を進めてきた日本維新の会松井一郎代表(大阪市長)は記者会見で、「政治家としてのけじめをつけなければならない」と述べ、2023年4月の市長の任期満了で政界を引退すると表明した。

時事ドットコムニュース 2020/11/2)

 

 

 11月1日に行われた大阪都構想を巡る2度目の住民投票は、反対票が賛成票を僅差で上回る結果となった。賛成、反対のそれぞれの投票数は、賛成675,829、反対692,996(確定)であり、その差は約1万7千票であった。

 大阪都構想は、大阪市という地方自治体を廃止し、新たに4つの特別区に再編すると同時に、従来、大阪市、すなわち大阪市民が保有してきた権限と財源を、区長の公選制と引き替えに、大阪府に引き渡すという内容である。都構想は大阪市民にとって不利益しか存在しないといえる内容のものであるが、今回、反対多数の結果になったものの、最後まで予断を許さない大接戦となったことに衝撃を覚える。

 大阪都構想を推進する理由として、「二重行政の解消」が挙げられるが、仮に二重行政の弊害があるとして、府と市の両者があってこそ二重行政となるはずだ。ところが、なぜか、その責任が市にのみ帰せられ、大阪市が徹底的に攻撃される理由がわからない。地方自治制度の大綱を定める地方自治法においては、市町村と都道府県の事務の分担については次のとおり定められている。

地方自治法(抜粋)

 

第2条 地方公共団体は、法人とする。

2 普通地方公共団体は、地域における事務及びその他の事務で法律又はこれに基づく政令により処理することとされるものを処理する。

3 市町村は、基礎的な地方公共団体として、第五項において都道府県が処理するものとされているものを除き、一般的に、前項の事務を処理するものとする。


4 市町村は、前項の規定にかかわらず、次項に規定する事務のうち、その規模又は性質において一般の市町村が処理することが適当でないと認められるものについては、当該市町村の規模及び能力に応じて、これを処理することができる


5 都道府県は、市町村を包括する広域の地方公共団体として、第二項の事務で、広域にわたるもの、市町村に関する連絡調整に関するもの及びその規模又は性質において一般の市町村が処理することが適当でないと認められるものを処理するものとする。


6 都道府県及び市町村は、その事務を処理するに当つては、相互に競合しないようにしなければならない

 

 

 上記を読むと、市町村は基礎的な地方公共団体都道府県は広域の地方公共団体と位置づけられている。都道府県が行う事務は、(1)広域にわたるもの、(2)市町村に関する連絡調整、(3)規模または性質において一般の市町村が処理することが適当でないと認められるもの の3つに限定されている。それに対して市町村は、都道府県が処理するものとされているもの以外の事務を処理することとされているが、前記(3)の事務であっても、その市町村の規模および能力に応じて処理することができるとされている。つまり、広域にわたるものと市町村に関する連絡調整は当然に都道府県の事務であるが、その他は、市町村の規模と能力に応じてどちらが事務を行うかを判断することになる。

 この考え方に従えば、大阪市の場合、大都市の豊かな経済力を背景として巨大で高度な行政機構を有するから、大阪市が幅広く事務を処理することは当然に認められることで、競合を避けるために譲るのはむしろ大阪府であると考えるべきだろう。

 大阪市民は大阪府との二重行政の解消を考えるのであれば、行うべきことは大阪市の解体ではなく、大阪府に対して「大阪市のことは大阪市民が決めるから、大阪市から手を引け」と言うことであったはずだ。大阪市は、大阪という大都市から生まれる豊かな経済力を背景に、その繁栄の維持、発展に力を注ぐべきなのだ。それが、地方自治の基本的な考え方だ。

 しかるに、大阪都構想は、本来の姿とは逆に、大阪市の解体、分割、権限と財源の縮小を内容とする、真逆の方向性を打ち出し、いうなれば大阪市民の自治の破壊を進めようとしたのだった。しかし、その計画は、大阪市民の賢明な判断で阻止された、というのが今回の住民投票の結果の意義だ。

 今回の住民投票は、世界全体を覆う新型コロナウイルス禍の中で、外出や集会もままならない状態で、コロナ対策でマスコミに出ずっぱりの吉村大阪府知事の「人気」を背景に強行されたものだ。選挙戦は、当初は賛成派が圧倒的に優位な状況で始まったが、日を追うに従って、その問題点についての市民の理解が広まり、最終的には僅差での反対派の勝利となった。

 今回の投票に対する議論が十分に深まらないところがあった。それは、大阪都構想の本質を覆い隠すように、特別区の区長公選制の導入や、将来の大阪の発展という裏付けのない約束が盛り込まれたことも影響している。反対派はそうした本質をはぐらかす論点に深入りせずに「自治権の確保」という本質的な議論で応ずるべきであった。にもかかわらず、住民サービスの低下等の水掛け論、泥仕合に突入してしまったところがあり、あまり上手な戦い方とは言えなかった。

 

 今回のこのような僅差の結果になったことを考えると、社会全体に閉塞感が覆い被さり、将来の光が見えない中で、人々の中に既存の秩序を壊したいという「破壊衝動」が鬱積しているのではないかという気がしてならない。理屈ではなく、既存の秩序を壊したい、恵まれた人々への怨嗟が背景にあるような気がする。こうした人々の気持ちをあおり立て、社会秩序に対する攻撃に向かわせたものが大阪都構想だったのだ。もし、大阪都構想が賛成多数となっておれば、大阪では大変な地獄絵図が待ち構えていただろう。そして、そうした姿が、さらなる人々の破壊衝動を呼び覚まし、大阪だけではなく、日本中に広まっていったかもしれない。そのように考えると、今回の住民投票における反対派の勝利は、大阪市民だけでなく、我が国の国民全体を救う意味を持つものであったといえるだろう。

 

 

 

大阪都 住民投票 終盤の情勢

 大阪都構想の賛否を問う住民投票の投票日が迫る中、報道機関の世論調査が発表されている。

 

 朝日新聞社朝日放送テレビは24、25の両日、大阪市民を対象に電話による世論調査を実施した。大阪市を廃止して四つの特別区に再編する大阪都構想について聞くと反対41%、賛成39%だった。前回の9月調査では賛成42%が反対37%を上回っていたが、今回は反対がやや増えて賛否が伯仲した。

朝日新聞 2020/10/27)

 

 

 「大阪都構想」の賛否を問う住民投票(11月1日投開票)を前に、読売新聞社は23~25日、大阪市内の有権者を対象に世論調査を実施した。都構想の賛否は「賛成」が44%、「反対」が41%で拮抗きっこうした。「答えない」は15%だった。1か月半前の前回調査では賛成が14ポイント上回っていたが、反対が増加した。

(読売新聞 2020/10/26)

 

 

 上記の記事に見るように、いずれの調査も結果は僅差であり、「賛否が伯仲」、「拮抗」と伝えるなど、住民投票の行方は流動的である。まさにふたを開けてみなければわからない状況だ。

 こうした混沌とした情勢は、「大阪都構想」の住民投票についての議論が十分深まっていないことにも一因があるように思われる。

 

 都構想の実現によって、反対派は住民サービスが低下するといい、賛成派は住民サービスの充実を目指すという。両者で全く見解が異なっている。その違いはどこから生じるのだろうか。

 都構想が実現すると、大阪市という地方自治体は消滅し、4つの特別区に分割され、権限と財源を大幅に失ってしまうことになる。権限や財源を失うのだから、ここだけ見れば、大阪市民の権利(主権)は低下することは明らかである。ところが、賛成派は、(1)4分割されることにより住民の声が反映しやすくなること、(2)大阪府が(将来的に)成長することによって大阪がより豊かになることをメリットとして主張している。

 反対派が大阪市全体が保有する権限と財源の喪失を問題としているのに対して、賛成派は(1)(縮小された権限と財源の範囲で)住民の声がより反映しやすくなること、(2)大阪府が(将来的に)成長することによって大阪がより豊かになることという将来の問題を主張しており、論点がずれている。議論が深まらない原因はこの点にある。

 さらに詳細に考えてみよう。(1)の論点について、賛成派は分権によって住民サービスが向上するというが、それが大阪市を解体する理由にはならない。なぜならば、大阪市の枠組みを残しつつ、その中で分権を行うことも不可能ではないからだ。(2)の論点について、大阪府に権限を集中させることによって、成長が加速されるかどうか全く保証がないし、現行の政令指定都市の体制のままで不可能なことなのかが明らかでない。しかし、反対派がこれを決定的に否定することもまた困難だ。あくまで、未来のことだから、どうしても水掛け論になってしまう。そのため、限られた時間内では十分な検討もできないまま、不毛な「サービス向上と低下」の水掛け論が行われているのが現状だ。

 将来のことは明確な結論を出すことは困難だ。ただし、現時点で明らかなことはある。それは、大阪市という地方自治体が消滅し、大阪市民は大幅に権限と財源を喪失した4分割された特別区の住民となるということだ。大阪市民は、政令指定都市という高度の権限と財源を付与された自治体の住民としての地位を失う、すなわち大阪市民が大阪市自治権を喪失することとなる。これこそがこの問題の本質なのだ。

 将来的に住民サービスが増えるのか、大阪が発展するのか、そのような論争に反対派は乗る必要はない。どのような住民サービスにするか、大阪市をどのように発展させるかについての決定権を大阪市民が失うことが最大の問題なのだ。そのような決定権(主権)を大阪府に引き渡すかどうかが大阪市民に問われているのだ。そして、大阪市民は大阪府民の3割しか発言権がない。

 

 

  住民投票そのものの問題として、圧倒的な世論の賛否のある社会的課題について、それを実現するための手段として行うのであればよいが、世論が定まらない、世論の議論が熟していない問題に対して強引に住民に住民投票を迫る、今回のようなやり方は、本来的に住民投票になじまないのではないか。住民投票は、社会を分断し、その後に対立、禍根を残すおそれがある。

 

 

 

firemountain.hatenablog.jp

 

 

firemountain.hatenablog.jp

 

 

firemountain.hatenablog.jp

 

大阪都構想 住民投票の情勢

 11月1日に投票が行われる大阪都構想に対する住民投票について、様々な報道機関が世論調査を実施している。

 その中で、日本経済新聞社テレビ大阪が行った世論調査では、賛否は拮抗しているようだ。

 日本経済新聞社テレビ大阪は16~18日、大阪市内の有権者を対象に世論調査を実施した。大阪市を廃止して4つの特別区に再編する「大阪都構想」の住民投票を11月1日に控え、賛否を聞いた。都構想に賛成と答えた人は40%、反対は41%で拮抗した。
 6月の前回調査では賛成49%、反対35%で賛成が優勢だった。「どちらともいえない」「分からない」が計19%おり、現時点で態度を決めていない有権者も多い。

日本経済新聞 2020/10/19)

 報道機関によっては、これと逆に、賛成派が支持を大きく伸ばしており、圧倒的に優勢であるとの報道もある。

 

 今回の住民投票については、これまで何度か述べてきた。

 

firemountain.hatenablog.jp

 

 

firemountain.hatenablog.jp

 

  「大阪都構想」とは、大阪市という地方自治体を廃止し、新たに4つの特別区を創設するものである。大阪市がこれまで保有してきた政令指定都市としての広範な権限、財源の多くは大阪府に引き上げられてしまう。(たとえば、固定資産税、法人市民税、事業所税大阪府に移管される。)その「代償」として(旧)大阪市民に与えられるのは、地方の市町村にもはるかに劣る権限、財源しかない4分割された特別区である。この特別区の区長は公選制であり、賛成派は、これまで大阪市という巨大な自治体では届きにくかった民意が届きやすくなるということを改革のメリットとして主張している。(「4人のリーダー、4つの役所、4つの議会で問題解決スピードUP」(大阪維新の会))

 

oneosaka.jp

 

 一見、よいことのように思われるが、注意すべきなのは、都構想が実現すれば、大阪市民全体で見れば、自らの権限と財源を大幅に失うということだ。大阪市民も大阪府民だから同じことではないかと思う人があるかもしれないが、大阪市民は大阪府民の30%しかいない。つまり、大阪市民が単独で保有していた権限と財源、これまで100%自分たちが自由にできた権限と財源は他の大阪府民と共有されることになり、(旧)大阪市民の発言権は30%しかないことになってしまうのだ。

 今回の大阪都構想の本質は、大阪市という地方自治体の廃止」であり、すなわち大阪市民の消滅」大阪市自治の廃止」なのだ。(旧)大阪市民はその代償として、はるかに劣る権限の特別区を、区長の公選制というおまけ付きで与えられることになる。一見、市民の権利は拡大するように思う人があるかもしれないが、そもそも自分たちが自由に決定できる事項そのものが大幅に縮小されてしまっているのだ。

 

 

 中国の故事に「朝三暮四」という言葉がある。

「朝三暮四」

 中国、宋(そう)に狙公(そこう)という人があり、自分の手飼いのサル(狙)の餌(えさ)を節約しようとして、サルに「朝三つ、夕方に四つ与えよう」といったら、サルは不平をいって大いに怒ったが、「それでは朝四つ、夕方三つにしよう」というと、サルはみな大喜びをした、と伝える『列子』「黄帝篇(へん)」の故事による。(中略)転じて、目先の差別のみにこだわって、全体としての大きな詐術に気づかぬことをいう。

日本大百科全書(ニッポニカ)より抜粋)

  大阪市民はよくよく考えて投票に臨むべきだろう。

 

 ちまたに、今回の都構想によって住民サービスが下がるとか変わらないとかいう議論があるが、それは問題の本質ではない。「大阪都」(実際は、府のままで都になるわけではない)が実現すれば、大阪市から引き上げられる財源は、特別区交付金として配分されることになっているから、都構想によって直ちにサービス低下は起きないのかもしれない。しかし、大事なことは、その交付金の額の決定については、(旧)大阪市民は30%しか発言権がないということだ。つまり、他の大阪府民の同意を得なければ「与えられないもの」なのだ。自分だけで決定できるのと、他人の判断で与えられるのとでは大違いである。与えられるか与えられないかは「あなた次第」だ。大阪市の廃止による大阪市民の大阪という都市についての「決定権の喪失」大阪都構想の問題の本質は、ここにある。

 

 

 

 

映画の街 神戸

 神戸フィルムオフィスは神戸市のフィルムコミッションとして2000年9月に設立されました。以来、行政やまちの方々からの理解を得て、規模の大小に関わらず、様々な撮影サポートをしています。

 神戸は海や山、高層ビルが立ち並ぶ都会的な市街地、ヨーロッパの香りただよう街角、昭和の風情が残る町並み、また温泉街や田園地帯など、さまざまな顔がコンパクトに詰まっています。

 製作者の方には、それぞれに映る神戸を自由に切り撮っていただければ嬉しく思います。また市民の皆さまには映像を通してみる神戸に、新たな魅力を発見していただければと思います。

 

神戸フィルムオフィス -KOBE FILM OFFICE-

 

 神戸フィルムオフィスは、神戸市を拠点とするフィルム・コミッションである。フィルムコミッションは映画等の撮影場所誘致やロケーション撮影の支援をする機関である。映画撮影などを誘致することによって地域活性化、文化振興、観光振興を図ることを目的としている。

 映画作品が撮影場所と分かちがたい印象を与えている例は少なくなく、大林宣彦監督の尾道3部作は有名だ。元々の観光地が映画の舞台としてさらに広く知られるきっかけになることもあるが、映画によってこれまで観光地でなかった所が映画の撮影場所として有名になり新たな観光地となるケースも多く、尾道のケースはこちらの方だろう。

 映画作品が素晴らしければ、「ローマの休日」のように、舞台にエピソードが加わり、聖地のような場所になることもある。

 映画を撮影するには多くのスタッフが長期間にわたって滞在することになるため、それ自体が経済効果も期待できる。

 神戸では、2009年にフィルムコミッションが設立され、「アウトレイジ」や「日本の一番長い日」など多くの作品が神戸で撮影された。最近では、神戸高校で実際の生徒がエキストラとして出演した「思い、思われ、ふり、ふられ」、神戸を舞台とする、ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した「スパイの妻」などがある。

 神戸は映画の撮影地に非常に適した街であるに違いない。神戸は海と山にはさまれた元来風光明媚な都市であるし、ビル街や農村、住宅地、港に空港、レトロ建築、動物園に水族館、寺院や神社、牧場に漁港、スキー場、中華街、温泉 等々、神戸にないものはないといってもよいぐらいだ。しかも、狭いエリアに、ほとんどテーマパークのようにいろんなものが隣り合い、凝縮されている。神戸であれば、あらゆるシーンの撮影が可能だ。温暖で明るく雨の少ない気候も有利な点だ。また、大勢のスタッフを収容できる宿泊施設もある。おまけに交通も便利だときている。

 映画撮影地として神戸ほど優れた条件がそろっている街はないだろう。そこで、素晴らしい作品、人々の心に残るシーンが撮影されれば、その記憶が新たな街の財産になり、それを求めて大勢の人々が訪れる。映画の誘致、撮影については、行政とも協力し、市民全体で盛り上げていきたいものだ。